【推しとわたし】腐ってやがる!!!
【推しとわたし】再びです。
今回は、心の闇をえぐるかもしれない。まぁちょっとは覚悟しておけ。主に自分。
で、タイトルでカンの良い方は既にお察し、かと思われますが。二次創作の話です。今ならBLというなんだか小洒落た(?)な呼び方をされているアレです。
そして、古の腐女子は、それを「やおい」と呼ぶ…。
はい!ここまで読んで、「BL?やおい?なにそれ?」と思った純粋な方は回れ右です。ブラウザを閉じましょう。あなたと私の平和の為に。タノムヨー!
では、行ってみよう。(ここから先は、BLだのなんだの、その界隈に関する一定の知識を持っているという前提でのお話、という不親切設計です。)
世の中には二種類の人間がいる。腐る人間と、腐らない人間だ。(のぶお「腐女子、その生態」民明書房 2020年)
その境目がどこにあるのか。今もってサッパリ判らない。が、それを詳しく紐解こうとすると、己の奥底にある、平素意識していない成育歴や恋愛観等々、色々と抉りだす事になるので身体に悪い、とも聞く。ので、一旦そこは棚上げしておく。
そして、自分は腐る方の人間である。かれこれウン十年、現在進行形で腐っている。理系眼鏡、ならぬ腐女子眼鏡は標準装備だ。だが、ここで断っておきたいのは、どの腐女子も、世の物語の全てをその眼鏡を通してみている訳ではない、という事。ここ大事なのでテストに出まーす。眼鏡を通してみるべきモノの基準は人それぞれだ。そして、その眼鏡は時として、本人の意図しない所で装着されたりもする。なんでやねん(笑)
また、その眼鏡は、一般の眼鏡のように常に同じ度数を持っている訳ではないようで。物語やキャラクターによって見える景色が変幻自在だったりもするし、強固に変わらない部分もあったりする。全くもって厄介だ。なんなんだ、この眼鏡。
自分など「推しは絶対右固定」という強い度数の眼鏡をかけている。
これは三十数年前に、推しに会ったその日から変わらない。恐ろしい程の固定観念だ、と自分でも吃驚する。という訳で、好んで読む二次創作は「推しは右」、が基準となる。左もだいたい決まっている。
絶好調に腐りまくっていた学生時代、私の推しが右、どっちかというとマイナー。マイナー通り越して茨道。進むたびにHPが減る、ドラクエの毒の沼地か?!やはりアニメ好き・腐り仲間の同級生には「それは邪道だ、外道だ」と断言される始末である。邪道って、外道って(笑)
自分のような「推し右固定」派にとって、「推し左」は今でいうところの「地雷」である。「推し左固定」の方は当然その逆。右でも左でも美味しく頂くよmgmg派の方や、なんでもOK!な雑食派の方も、勿論いるのだが。
で、絶好調腐れ学生だった当時は、所謂「地雷」に遭遇しないよう、細心の注意を払い、そろりそろりと行くしかなかった訳で。当然、インターネットも支部もない。住まいは地方だ。アニメ誌の同人誌通販欄位しか頼れる情報源がない。ナイナイ尽くし。
今でこそ、同人イベントが頻繁に開かれ、通販も専門サイトが幾つもあり。決済はカードでポチっとな!が可能な時代になりましたが。当時からしたらなんて良い時代、と。感涙にむせび、つい先日「推し右」同人誌をポチっとなしちまったい!なんてこった!生きててよかったー!(笑)
情報化社会の進歩は「地雷」を踏まずに生きていく事を可能としてくれました。ありがとう、インターネッツ。
しかし、何が起きるか判らないのも人生で。もしも、意図せず地雷に出会ったら。
慌てず騒がず、そっとブラウザや本を閉じる事が大事かと。ご縁がなかっただけで、誰が悪い訳でもない。
「私の萌えは、誰かの地雷。その逆も然り」
心しておきたい言葉だ。