私と宝物の話
君は君のために描いていい。私たちは常に自由だ。
原稿用紙の上ではね。
ねえ中田君、このおにぎりを一個作るのにどれだけの水が使われてるか知ってますか?
米作りから考えると、270リットルもの水が必要です。
それをバーチャルウォーターと呼ぶそうです。
最近ネットで知りました。
その水にほとんどの人が気付かない。
ですが、見えない水を想像した方が世界が広がる。
私もまだまだ知らない事だらけです。
中田君。君が思ってるよりずっと、世界は広いよ。
テレビドラマ『重版出来!』第10話 三蔵山龍先生のセリフより引用
「見えないものを見る力を養いなさい」
これは、母校の校長であった西経一先生が、何度も繰り返し私達に伝えてくださった言葉で、今では、私の人生の道しるべのひとつとなっている。初めてこの話を聞いたのはいつだったか、全く覚えていないけれど、きっと中学校の入学式だろうとおもう。なぜなら、西先生はいつだって、大事な時にこの話をしていたから。まあでも、いっても、その程度の記憶。当時の、ピカピカの中学一年生の私にとっては、この言葉はまだなにものでもなかった。2年間の中学受験を終えて、無事第1志望の名門中学に受かった私は、自信に満ち溢れていた。いや、自信しかなかったと言ってもいい。地元の小学校ではなにをやっても一番だったし、先生にだって一目置かれていた。私は他の子とは違う、自分はなんだってできるのだとさえ思っていた。しかし、そうではないのだと初めて気付いたのは、入学後すぐのことだった。(この話は長い上に、心が死にそうなので割愛)
その後も幾度かの挫折を繰り返した私は、自分の心に見えないナイフを刺すようになった。己の欠点を探し、過去に遡り、何がダメだったのかを事細かに追及した。あれのせいだ、これのせいだと、ふりかかる全ての出来事を、昔の自分や周りの環境のせいにして、今の自分と向き合うことから逃げた。繰り返し繰り返し、自分で自分を傷つけてしまった私の心は、そのうちに、もう欠けらさえ拾えないほどに粉々になっていた。高1になった頃、だった、と思う。(この頃の時間軸は曖昧で、あまり覚えていないのだ。高校の3年間は、抜け出せない暗闇の中、どこに向かえばいいのかもわからず、ただうずくまって泣いている、そんな時間だった。)
そんな私の粉々になった心に、砂漠に一滴の水がおちるかのように、届いた言葉の一つが、この西先生の言葉だった。
それまでにも西先生は絶対どこかでこの話をされていたはずなのに、やっと私に届いたのは入学してから3年も経ってからだった。思春期こじらせ少女だった私の心には、他の、ほとんどの励ましの言葉は、けして届かなかった。優しい友人達の言葉も、見捨てないでいてくれた家族の言葉も、当時の私にとっては、まやかしだった。聞いたフリはしていたけれど、綺麗事しか言わないおまえらは私のことなんて何ひとつわかっていないのだと、内心では思っていた。
それでも、そんな痛々しい私だったけど、見失わないものもあった。どんなに傷付いたからといって、その刃を他の人に向けてはならない。向けたくない。あいつらと同じ人間にはならない。それが、この頃の私の唯一の正しさで、道理で、生きていくための支えだった。この痛みは、この苦しさは、人を攻撃することに使うんじゃない。誰かに寄り添うために使いたい。弱い人間の気持ちがわかるからこそ、他の人には見えないものがもしかしたら私には見えるのかもしれない。そうして、いつか、西先生のいう「見えないものを見る力」をつけることが出来るのならば。出来るようになったらいいなと思った。負の方向に、過去にしか向いていなかった針が、ほんの少しだけ動いた気がした。何も見えない、聞こえない、感じない、真っ暗闇のトンネルに、風が吹いた気がした(この頃まだ光はささない)。それから、どんな出来事も、なるべくいろんな立場の人のことを考えるようになった。想像して想像して、何も出てこなくなるくらいに想像して、そこで一番弱い人に一番優しくいよう。正しくなんていられなくていいから、綺麗になんて生きられなくてもいいから、どうにか優しくはあろう。そうあるために努力しようと思った。
大学生になって、たくさんの素敵な出会いをもらった。大切なものや、大切な人が、たくさん増えた。自分の好きな物事が、前よりずっとわかるようになった。知らなかった世界がどんどん広がった。それでもまだ全然、出来ないことのほうが多いけれど、そんな自分でもいいのだと、これが私なのだと、少しだけ認めてあげられるようになった。こんなふうに誰かと笑いあえているよ、なんて、高校生の私に言っても絶対信じてくれないんだろうな。
そして、そうやって変わっていくなかに、ちゃんと変わらないものもあって、私はそれらを、心のちょっと奥の方に、大事にしまっている。時々こっそり取り出して、抱きしめて、また戻す。西先生にもらった言葉も、そのひとつだ。
あのね、先生。私、今、あの頃の私には見えなかったはずの未来が、ちょっとだけ見えてるよ。これからもこの言葉を宝物にして生きていきます。
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