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2024/05/19 怖がりと近視

 たやすく、たやすくなるために生きてきて、わたしは目ばかりになってしまった。あります、います、ということが恐ろしく、本を読むのは好きだけれど、物語にはなりたくなかった。じゃあどうすればいいの? と考えたとき、もう書く側になるしかないと気が付いた。

 そうして、わたしは眼差すことばかりに熱中して、どんどん春みたいに近視が進み、今のこの気持ちだけはせめて、たやすくならないようにしたい、と願っている。

 まあそれはともかく、「ある」ということについて述べるのなら、詩を書くことは、「わたし」を遠ざけてくれる優れた手段の一つであると言える。ただ、それは自由とか解放を意味するのではなく、寧ろ呼吸とか叙法とか、言葉がもたらすありとあらゆるものに巻かれ、「わたし」を思い出す余地がなくなることを示している。

 そう考えると、詩を書くのってちょっと怖い気がしてくる。
 詩人のゴールは、言葉の海に身を投げることなのか、はたまた隙をついて、言葉に成り代わってしまうことなのか。なんて、思索を巡らせてみるのも面白い。

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