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先生、という存在
みなさんこんにちは、MUSAKOドラム教室です♫
今回はタイトル通り、"先生の存在"について書いていきたいと思います。
自分自身、"ドラムの先生" と呼ばれるようになって10年ぐらいですか。
20代前半で一回りも二回りも年上の生徒さんや親御さん、スタッフさんたちに「先生先生」と呼ばれるのはいささか、いや大いに違和感というか分不相応だなぁと思っていました。(今も全然思う時もある)
たださすがに34歳にもなると慣れてきて、むしろ先生らしく居なければいけないな、と思います。
振り返ってみるとこれまでの自分の人生で
心の底から"先生"と呼べる人はそんなに多くは居なかったように思います。
もちろん"先生"と呼ばないといけない人達はたくさんいました。
例えば教師。
学校の先生ですね。〇〇先生と呼ぶのが当たり前だと思うし、先生と思えるかどうか、なんてことはもはやどうでも良い気がします。気にしたこともなかった。
お医者さん。
さすがに初対面で〇〇先生、と呼ぶことはあまりないですが、もしこちらから呼ぶとしたら絶対〇〇先生ですね。
お医者さん、教師を除いてあとは…
バイオリンを習っていた先生。
ドラムを習っていた先生々。
…え?笑
ちゃんと自分の感覚で"先生"と言えるのは3.4人ぐらいですね…
多ければいいというものでもないと思うので気にしないでおきます。
野球も9年ぐらいやってたんだけどな、
先生って感じの存在はいなかったなぁ。
とここまでただただ事実といいますか自分自身を振り返っただけなのですが、笑
ここで "先生"という存在はいったいどういったものなのか、自分なりに考えてみます。
未来を教えてくれる人
![](https://assets.st-note.com/img/1716885381475-xNX47IQa5J.jpg?width=1200)
結構色々考えてみた結果、コレだなというのが出ました。
ドラムを教えている身としては、
「この生徒さんにはコレを教えて、こうやってやってもらったら〇日後にこれぐらいの感じになってるな。」
という未来が見えていないといけないと思います。
もちろんその生徒さんの性格や環境に合わせて課題やアドバイス等を設定したり言わなければただオートマチックに、ただ順番に課題を課したり教えるだけの人になってしまいます。
また生徒さんに
「この練習してたらどれぐらいでできるようになりますか?」とか
「この曲は何ヶ月ぐらい練習が必要でしょうか?」
といったように自分が質問をされたときにも、
未来が見えていないといけません。
未来が見えているからこそ、どんな課題を与えるべきかがわかるのです。
その際も自分基準で考えるのではなく先ほどの話で、あくまでも聞かれた人の性格や環境等を鑑みて回答する必要があります。
その道の先にいる人
![](https://assets.st-note.com/img/1716885630016-r5v5xiTiAa.jpg?width=1200)
先に生きた、生きる、と書いて先生です。
ドラム等の専門分野、いわゆるその道では年齢は関係ありません。
人間誰しもが”人生”という同じ道にいるという意味では
人生経験や単純な年齢は大いに関係ありますが、こと専門分野になればなるほど、その歴が大事になりますね。
生徒さんよりもドラムの道を先に生きた身としては、生徒さんを見て
自分もこの道を辿ったなぁ、とか、わかる、この気持ちね、
このモードね、とか自分自身の様々な経験を通して今生徒さんがどんな状態なのかがわかるのです。
わからないといけないですね。
例えば生徒さんがこの道に行こうとしてるけど、実は遠回りだぞーとか、間違った知識をつけてしまうなー、といったケースも正直多々あります。
ここでこそ先生の出番です。
先に自分がその道を行き、痛い目を見たからこそ忠告できます。
また同じ道を辿っていなかったとしても、経験や知識からも忠告できますね。
ただしいくら先生とはいえ、
生徒さんに "やってみなきゃなにもわからないじゃん!"
と言われたら本当にその通りなのですが、中にはお金を払ってある程度無駄な道を省くことや合理的で効率的な道を選択することが可能なのです。
だからこそ先生、講師とよばれるような人の存在意義があるとも思います。
そういう意味ではいくら先生と呼ばれる職業の人であっても最初の数年、ある程度経験やデータがその先生に揃ってくるまでは到底人様の未来なんて見えやしません。自分の未来ですら霞んでます。
そこで先生の先生(先輩)が必要になるのだと思います。
親でも先生でも、自分が信頼できる人にだって誰でも一年生、駆け出しの手探りで必死に頑張る時期があったんです。
そのときにその道に頼れる先輩がいること。
これは1人の先生を創っていくために不可欠なことだと思います。
僕から見た先生
さて、今度は自分がまだ生徒の立場だったとき。
僕のドラムの先生方はきっと僕がどのように成長していって、どれぐらいの実力を持つようになるか、なんとなく把握されていたように思います。
(すでに40歳を超えてプレーヤーとしても、講師としても、一人の社会人としてもとても大人に感じた、ということもあるとは思います。)
この人の言うことを聞いておけば、間違いない。きっと結果が出る。それは単なる話術だけでなく、確かな技術と経験に裏打ちされたものだと強く感じたのを覚えています。
教師のことを僕がなんとなく先生、という感じで思えていなかったのも、
(自分が相談をしなかっただけなのですが)結果として未来を教えてくれる感じがあまりしなかったのが原因かもしれません。
もちろん1対1でちゃんとお話して、
ここをコレぐらい勉強したらこれぐらいの点数取れるよ、とか
このままだとクラス替えしたときーとか、
3年生になったときにこうだからー、
とか多分聞けば色々見えてることもあったんだとは思いますが、なんか違くないか…?笑
と感じていたんでしょうね。
少なくとも僕にとって学校の先生ってそういう存在ではなかった。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/先生_(せんせい)/
ここでWEB辞書を引いてみます。(本当にここまで書いて初めて調べました)
なんと、先に生まれた人が原義じゃないですか!笑
やっぱり読んで字の如くですね。
手前味噌ですが、結構良い着眼点だったのでは。
なのでこれからは未来を教えてくれる人のことを先生と呼ぶことにします。
一方で呼ばれる側としては、生徒さんの成長曲線や未来を描ける、伝えられる存在でありたいと思います。
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