映画『ソウルの春』に関する情報(役名:俳優記入あり)
注意⚠『ソウルの春』で描かれるであろうクーデターそしてその前後の事件を結末に至るまで詳細に記載しております。映画とは微妙に違う部分もあります。随時修正していきます。個人責任でお願いします。
2023.12.8修正加筆
■『ソウルの春』とは
民主化運動を弾圧し夜間外出禁止令等の独裁的政治をおこなってきたパク・チョンヒ大統領が1979.10.26事件で暗殺されたことにより 国民投票により大統領が選ばれ民主化(=春)が来る期待からチェコスロヴァキアにおける政治的自由化「プラハの春」にあやかってつけられた
「ソウルの春(韓国民主化)」が本当に実現したのは1987年
映画冒頭で少しだけ触れられている事件
■1979.10.26 10.26事件(パク・チョンヒ暗殺事件)
中央情報部部長キム・ジェギュを中心とする中央情報部員が中央情報部(KCIA)施設内での晩餐中に大統領や大統領府警護室長等の9人を死傷させた
題材映画『ユゴ 大統領有故』『KCIA 南山の部長たち』
暗殺犯キム・ジェギュは事件がおきた宴会場とは別の部屋に陸軍参謀総長チョン・スンファを呼び出しておりキム・ジェギュの部下が相手をしていた。暗殺後にチョン・スンファの元に現れたキム・ジェギュは自身が犯人だとは隠し一緒に暗殺現場を見せた後に陸軍本部に向かい戒厳令(国の指揮を一時的に軍が執り行う)を執行させようとしたが執行できなかった。
■1979.12.26 深夜0:40
目撃者の証言で暗殺者はキム・ジェギュだと判り共犯者らと共に逮捕
衝撃的な事件政府側は混乱 保安司令官から昇進して政府と保安司令部の合同捜査部長を務めたのがチョン・ドゥファン(当時)陸軍少将
軍は2派に
国軍保安司令官:チョン・ドゥファン
役職は↓の方が上
陸軍参謀総長:チョン・スンファ
KICAトップ:キム・ジェギュ→暗殺犯大統領警護室長:↑らに暗殺される→権力は軍(チョン・ドゥファン率いるハナ会中心に)に集中
チョン・スンファ総長(映画ではチョン・サンホ:イ・ソンミン)がチョン・ドゥファンを呼び出して「貴方は軍人で政治家ではない」と告げたほど
◯軍内私的秘密結社「ハナ会(一心会)」
→映画の集合写真はこの写真が元
陸軍士官学校卒業生で且つ釜山や大邱等の韓国南部出身の優秀な軍人だけが加入
主要メンバー
◯チョン・ドゥファン(後:11・12代大統領)
◯ノ・テウ(後:13代大統領)
◯キム・ボクトン(後:国会議員)
◯チャン・セドン(後:大統領警護室長)
ラングーン事件時大統領と同じ車に乗車
◯チョン・ホヨン(後:内部&国防長官)
↑大邱から戻る間にクーデター発生=未参加
◯ホ・ファピョン(後:全斗煥大統領秘書室補佐官)
◯ホ・サムス(後:中央情報部長特別補佐官)
■1979.12.6 首相から10.26事件後大統領代行だったチェ・ギュハが第10代大統領に
■1979.12.12 粛軍クーデター
(10.26事件 パク・チョンヒ暗殺から49日後)
軍内部の内乱であり政治や国民に直接的な影響はなかったが 光州事件に繋がる意味で重要
ハナ会メンバーが主要ポストを占める等次第に越権行為が見られるようになり軍内で批判の声が上がりポストを外されそうになる。
11月中旬から保安司令官兼中央情報部長であったチョン・ドゥファン(映画ではチョン・ドゥガン:ファン・ジョンミン)は立場を利用し秘密裏にハナ会メンバーを中心にクーデター計画を立てた
チョン・スンファ総長(軍内権力を2分していたトップ 映画ではチョン・サンホ:イ・ソンミン)を高級酒場に招待し数杯飲ませた後に10.26大統領暗殺事件時に近くにいた事を理由にキム・ジェギュの共犯疑いという理由をつけ投獄
総長であるチョン・スンファを逮捕するためには大統領と国防長官の許可が必要
第10代大統領チェ・ギュハ(映画ではチェ・ハンギュ:チョン・ドンファン)は軍に疎い事もあり逮捕を拒否
それもあってクーデターを実行したのでは?という説も
国防長官ノ・ジェヒョン(映画ではオ・グクサン:キム・ウィソン)は一旦檀国大学に家族と逃亡(避難)してから陸軍本部を始めあちこちに移動しながらクーデター軍対抗処置を取ろうとするが 最終的に発見されチョン・スンファ逮捕許可サインを書かされる
(記入した日時が後の裁判で重要な証拠になる)
■12.12クーデター阻止の動き
チョン・スンファの不当逮捕をキム・ジンギ准将(映画ではキム・ジュンヨプ:キム・ソンギュン)から聞いた赴任24日目の首都司令官チャン・テワン(映画ではイ・テシン:チョン・ウソン)は首都警備司令部に向かうが綿密に練られた計画により軍内はほぼクーデター軍の配下になっていた。
チャン・テワン首都司令官はチョン・スンファ自宅に兵士を送り救助を試みつつ
避難してきた陸軍首脳部やチョン・ビョンジュ特戦司令官らと大韓民国陸軍本部で作戦を練る
9師団長ノ・テウ(映画ではノ・テゴン:パク・ヘジュン)に命じ(チョン・ドゥファンがいる)保安部を攻撃して事態を鎮圧しょうとする。
チョン・ドゥファンとの紳士協定(公式の手続きや文書によらず、互いに相手が約束を履行することを信用して結ぶ協定)締結をしたため攻撃することなく一旦9師団を戻す(実は紳士協定は攻撃させない為のチョンドゥファンの罠)
攻撃を逃れたクーデター軍が3師団に踏み込み銃撃戦に 秘書室長キム・オラン少佐死亡。クーデター反対仲間であるチョン・ビョンジュ特戦司令官も負傷の上逮捕される
チャン・テワンは自分の側についた行事兵や炊事兵を含む100人程の兵士と戦車4台で保安部を攻撃しようとするがこの計画を盗聴されており その上余りにも敵(推定約6000人)が多く「もし戦車部隊にも裏切られたら兵士全滅」だと説得され断念 本部に戻った所を逮捕される
=クーデター阻止失敗
クーデター開始から終了まで7時間程
■クーデターその後
◯逮捕され拷問もされたチョン・スンファは軍法会議にかけられ懲役10年の刑が宣告され二等兵に降格(1997年 容疑の無罪判決と階級の復活承認)
◯首都司令官チャン・テワン 45日の尋問の後6ヶ月の外出禁止
首都司令官後任は「ハナ会」メンバーでもあるノ・テウ(後:13代大統領)
◯抵抗参加兵士ばかりでなくクーデターを批判した軍将までも対象となり 一部は拷問もされ転役や役職変更或いは除隊させ反対勢力を弱体化
■1980年春 軍部の政権掌握
1980.4.14チョン・ドゥファンの中央情報部長兼任
→維新憲法の廃止と民主的大統領選挙要求を含む民主化学生デモが活発化
■1980.5.14&15
ソウルの大学生がソウル地区戒厳令にも関わらず大規模デモ
■1980.5.17深夜〜
軍部による韓国全土戒厳令執行 国会解散、緊急機関設置などを含む市国収拾方案
5.20開催予定臨時国会中止
国家保衛緊急対策委員会設置
=全ての政治活動停止
→金大中を始めとする政治家たち逮捕&軟禁 大学休校&各大学及び主要都市へ軍部隊派遣
■1980.5.18〜27 光州事件
■1980.5.24 10.26事件犯人死刑
■1980.8.16 チェ・ギュハ大統領辞任
■1980.9.1 チョン・ドゥファン第11代大統領就任
以下カメオ出演者(特別出演)情報
◯3師団チョン・ビョンジュ(映画ではコン・スヒョク:チョン・マンシク)特戦司令官チャン・テワンと協力してクーデター軍に対抗しようとするが 紳士協定後クーデター軍から攻撃を受ける
◯キム・オラン少佐 (映画ではオ・ジノ:チョン・ヘイン)
3師団 クーデター軍に踏み込まれた際にチョン・ビョンジュ司令官を守るため銃撃戦で死亡
2019.12.19 ニュース記事
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