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Mrs. GREEN APPLEが描く人間の本質──The White Lounge 新潟公演ライブレポ

はじめに──“The White Lounge”とは

“The White Lounge”。名前を聴いただけでぱっとイメージもつかないようなこのツアータイトルは、2023年8月中旬に埼玉県・ベルーナドームで行われたMrs. GREEN APPLE 10周年記念ライブ「Atlantis」内で発表された。

Mrs. GREEN APPLEのFC “Ringo Jam”の会員限定の公演である上、北は北海道から南は福岡まで10都市を回るツアーである。もちろん各地のミセスファンは手放しで喜んだに違いない。しかしこのツアーについて与えられた前情報は、2019年に同じく全国を回った“The ROOM TOUR”と同系統のコンセプトライブということだけであった。加えて本ツアーでは、夏に続けて行われたアリーナツアー、ドームライブに引き続き、さらに厳格なネタバレ禁止が敷かれていた。よってミセスファンは、本ツアーに関して「Mrs. GREEN APPLEのライブである」ということ以外に何の情報もなく公演に臨むわけである。

加えて、ツアー発表から開始までの約4ヶ月間、ついにメンバーの口からもその核心に触れるような発言が出ることはなかった。これまで全曲の作詞作曲を担当し、本ツアーでも演出家や技術家たちとともに公演の構想を組み立てた大森元貴(Gt.&Vo.)は、「ファンを信頼しているからこそできるライブ」と何度か口にした。もちろんネタバレ禁止というルールに関してもファンとミセスとの関係が試されるだろうが、では一体そのルールが守る内容とは何なのか。各々が考えを深めに深めながら会場に足を運ぶ、その思考プロセスまでも作品に組み込まれたライブとなった。


開演までの1時間

さて、私は本ツアーの折り返し過ぎ、2月12日の新潟県・新潟県民会館大ホールでの公演に参加した。

到着するや否や、ネタバレ禁止と並んで今回限りの個性的なルールである「ドレスコード:白」のアイテムを身につけたファンが会場近くを取り囲んでおり、すでに別世界のような空気を形成していた。公式に発売されたグッズも所構わず白、白、白。スカーフやキーホルダーに加え、ふだんは彩色豊かなタオルやTシャツもすべて真っ白である。私ももちろん白のモンスターコート、胸にはレースのリボンをあしらう。

だが、一つの雰囲気作りとして考えてきたこのドレスコードについて、会場に足を踏み入れて初めてルールの意味が見えてくることとなる。

開場時間となると入り口にはサングラスをかけた二人のSP(白いタキシードを着たガタイの良い男性である)が立ち、「ドレスコード確認中」と書かれた看板が設置される。「え、そんなにマジなの?」と同行者に話しかけながら1階席に足を踏み入れた瞬間、

そこには真っ白な部屋が広がっていた。ステージ中央にダイニングテーブルとチェア。ソファに冷蔵庫、書斎、ラウンジという名に相応しいバーカウンター。階段を上がって2階には簡素なテーブルとチェアのセット、そして大きな窓が3つほどつけられている。家具が真っ白なこと以外には、天井には反転されたソファやダイニングテーブルが設置されていること、それに加えて公式グッズにもあった真っ白なテレビがそこここに直置きされていることが特徴的だっただろうか。

そしてステージには、パフォーマーとみられる数人の男女(これも全員真っ白な服と真っ白な仮面を纏っている)の姿があった。交流の場としてのラウンジで、発話はなくても喋る素振りをしたり、異性を誘う人がいたりとそれぞれだが、全員の共通点はスローモーションで動いていることだった。

開演15分前のアナウンスが終わると、5,6人ほど姿を表していたパフォーマーが男女一人ずつ通路に降り、ホールの奥まで歩いてくる。この演出には誰もが驚いていた。手を振ると振り返してくれる。身につけた白のドレスコードアイテムを褒めてくれる。パフォーマーとのふれあいで、会場の雰囲気が一気にあたたまったのがわかった。
白いラウンジ。白い参加者たち。それに呼応するように白を身につけた観客は、その時点ですでに“The White Lounge”の参加者となっていたのだ。


第一部──時の旅行者が魅せる、人間たちの生き様

パフォーマー二人が通路からステージに戻ると、会場は徐に暗くなった。部屋のセットの向こうに楽器が設置され、キーボード、弦楽器、金管、ドラム、ベースのそれぞれに演奏者がつく。

次の瞬間、部屋の下手側のドアが開いた。若井滉斗(Gt.)、藤澤涼架(Key.)の入場だ。真っ白なタキシードに仮面、スローモーション。二人がパフォーマーと同じ様相で楽器の準備を終えると、ステージ中央のドアが開いた。

白いタキシードに白いハット、白いアタッシュケースのようなカバンを持った大森演じる主人公の入場。それとともに、未発表曲の演奏で公演の幕は上がった。
空が白み始めた朝のようなまばゆい光と爽やかな大森の歌声、ともに呼吸するような演奏。単純な生演奏の楽器の本数が多い今回のライブは、それでも圧迫感なく、観客を包み込むように始まった。

曲の終わりとともに、主人公が冷蔵庫を開ける。そこに並べられた瓶を手に取るとともに、Folktale。本公演では扉や冷蔵庫の開閉など、生活音も一つひとつの演出として強調される。この楽曲はパフォーマーそれぞれが全身を使って曲のイメージを表現していることが印象的だった。「変わりたいな でも変わりたくないな」渦巻く感情を吐露する大森は頭を抱えつつも、希望を持ってただ歩く、その人間らしいさまを体現した。

「お元気ですか?僕のこと、覚えていますか?」

「──君を知っている、悪いのは僕の方だ

ステージ上手奥にある書斎に座り、電報を打つ主人公・大森のセリフパートから始まったのは、君を知らない。消えかかったような声がいつしか歌に変わり、演奏に乗せられて肥大する。下手から登場した電報の受け取り手の女性とともに、もどかしいすれ違いを激しくも美しいダンスで表現した。

女性と切ない結末を迎えた主人公が、自身を勇気づけるように「いつだって大丈夫」とアカペラを始めると、ステージも音響もパッとはなやいだ。ダンスホール。給仕係姿の若井と藤澤が登場し、甲斐甲斐しく注文や運搬を行う。歌ううちに楽しくなった大森は中央のダイニングテーブルによじ登り、体を動かし始める。最後には3人で腕を組んで踊る、先ほど届かなかった電報を利用してのリトミックのようなダンスなど、曲の世界観を存分に表現した演出だ。これには会場も大いに盛り上がり、最後には3人へのねぎらいがこもったような楽しい手拍子で観客が一体となった。

そんな明るいステージも束の間、
「やばい、こんなところ見られたら怒られる!」
給仕係の若井がリモコンを操作すると、ジジッ、と音がして2階の窓とテレビが砂嵐になる。曲の終わりごとにこの演出がつけられ、リモコンによって世界観が切り替わっているようなイメージを与えていた。

赤と黒の照明。一瞬でダークな雰囲気を醸し出したのは、ツキマシテハ。大森は悲痛な形相となり、ステージを縦横無尽に駆け回る。頭を掻きむしり、膝から崩れ落ち、泣き叫ぶように歌う大森に、若井のギターが応える。ここぞとばかりに歪んだギターが主人公の心情を表現し、見る誰もが息の根を止められるような、そんな世界観を作り出した。

また場面が変わった。大森は2階に移動し、伸びをしている。ふとプレイヤーをカチ、と再生すると、They areが控えめの音量で流れ出した。

「コーヒー、ブラックでよかった?」
「あぁ。ありがとう」
「冷蔵庫に牛乳もあったんだけど…怪しかったから、やめにしといた」
「そっか。…ごめん、買ってくればよかったね」

先ほどとは別の女性が登場し、主人公と何気ない会話を繰り広げる。だがどこか上の空の主人公。構わず喋り続ける女性。噛み合わない二人をよそに、始まったのはCoffee。「君を好きだと言うには 君を知らなすぎるから 愛という 恋とまた違う種を育まなきゃね」印象的なピアノに乗って、前向きながらも切ない主人公の心情が露わになる。

喋り疲れたのか、いつしか女性は眠ってしまう。主人公は風邪を引かぬよう気遣いながら1階に降り、「伝えたいけれど伝わらない」「大切な人とのすれ違い」の苦しさを観客に向かって訴えかける。それを託されたのはニュー・マイ・ノーマル。各々の方向を向き、受話器を持って喋るパフォーマーたち。伝わらないもどかしい想いがステージを駆け巡るとともに、壮大な演奏で昇華され、最後にはそれぞれの相手のもとに行きついた。

そして主人公の元に、慌てて駆けつけた女性がたどり着くと──ズボンのポケットから婚約指輪が取り出される。会場を緊張感が包み込むも、婚約の成立で沈黙が破られた。間髪入れずにPARTYの賑やかな音響が物語を盛り立てる。華やかにパフォーマーたちが舞い踊り、人生の最高潮とでも言うような主人公の心情を表現した。人生を「素晴らしい 賑わしい 僕が死ぬまでのPARTY」と形容した楽曲は、物語のこの瞬間だけでなく、忙しなく切り替わる感情の賑やかさをもよく収拾しているのかもしれない。


第二部──作者の脳内、楽曲の追体験

15分の休憩を挟むと、部屋のセットはハケられ、広く使われたステージにベンチがひとつ。第二部は若井と女性のセリフパートから始まった。花見に来たのに思うような結果が得られなかったといった趣旨の会話をしている。

二人の関係は順調に思えたが、勇気を振り絞った女性が今週末に花見のリベンジをと誘うと、若井演じる男性は「予定があって」と断った。それが嘘でもまことでも、なかなか実らない自身の想いに一人肩を落とす女性。どこからか雨が降ってきて、黒い傘にレインコートを纏った通行人がせわしく街を行き交う。

「もう嫌だ、何もかも」


白いパーカーのフードを被った大森が、ステージ中央に現れる。また別の主人公の姿だろうか。傘もなく俯いて歩く女性に、悲観的なセリフが重なる。

春愁。「人が大嫌いだ 友達も大嫌いだ 本当は大好きだ」。春の雨の中、人から人への諦めきれない想いが大森の歌声で姿を成す。通行人たちの傘を駆使したダンスフォーメーションが美しい。
先程の女性が下手から傘を持って現れ、濡れるがままの主人公に差し出す。

「どうしたの?雨の日に傘を持ってこないなんて」
「…あ、あぁ。…雨に濡れたかったから、とか?」
〜中略〜
「そうだ!今週末、何してる?」
「…いや、特に何も。」
「じゃあさ、ショッピングに付き合ってよ!どうせ暇なんでしょ?」

主人公は気圧されながらも誘いを受け入れる。Just a Friend。ポップな曲調ながらも叶わぬ恋を描いた切ない歌詞が、主人公の現状にぴたりと寄り添っているかのようだ。藤澤が楽しそうに、全身を使って曲の音色を担うシンセサイザーを奏でる。ステージではショッピングモールの色とりどりの店員たちが二人を受け入れ、その掛け合いも楽しい曲となった。

曲の終わりとともにステージは一度まっさらになる。届かない想いに感情を失墜させた主人公の、絞り出すような声とともにAttitudeが始まった。「どうにか届くように届くようにと綴る でもやっぱり100は無理」。作者の大森自身だけでなく、すべての人間が抱える切なさをも歌うような曲。パフォーマーとともに印象的なダンスで表現する。

砂嵐とともにまた場面が変わる。ステージから一度演者が消え、楽器隊が奏でるジャズの音色が印象的だった。ブロードウェイだろうか、夜も眠らない街並みが映し出される。

「みんな、そろそろ出番だよ!」と聞こえた声。それに応えるパフォーマーの登場で、インストゥルメンタルの音色は最高潮に達する。豪華な前奏から始まったのはFeeling。大森はもう一度白いハットとタキシードの姿で華やかにパフォーマーたちとダンスの掛け合いを繰り広げる。アウトロでは手を取り一直線でステップを踏む。「愛されてた。宝物だ。」主人公の言い聞かせにも取れるような歌詞とともにステージは完成され、会場には大きな拍手が鳴り響いた。

「劇場!」

そう叫んで、藤澤がセリフをとうとうと語り出した。同じく白ハットにタキシード、手にはスティックを持っている。劇の主催者のような様相だ。
藤澤は言う。私たちの手にかかれば、ただの箱もステージに変わる。見にくる貴方たち、ステージを作る私たち、相互が生きていることを感じられる。そして、頑張っている貴方たちの小さなご褒美がステージなのだと。それはまるで、客席にいる私たちとミセスチームとの関係を表しているような、一種核心をつくセリフだった。

ケセラセラ。中央に作られたサーカスのようなステージに、3人。大森はスタンドマイク、若井はギター、藤澤はアコーディオンを持っている。原曲よりかわいらしい、でもどこかおもちゃのような心許なさを感じさせる不思議なアレンジだ。だからこそ、小さな劇場に立つ3人が何を伝えたいのか、いつもと違う形で、観客個々に強く伝わっていたのではないだろうか。

「はいOKです!」お疲れ様でした〜、と送り出される主人公。ステージ用のハットを脱いで、また場面が変わる。Soranji。耳慣れた若井の優しいギターが、音数の多くない部分も寄り添い、支えている。藤澤は繊細な、それでも芯のあるフルートとピッコロで曲の感情を増幅させる。大森は自身の心の奥深くまでを解剖し、歌声を絞り出す。
大森が先陣を切り表現に歩く、その先は深く白いスモークで幻想的に演出されていた。その姿を後ろで見守る若井と藤澤、その姿が印象的だった。

スモークが捌けるとともに、第一部のセットが帰ってきた。それとともに、本公演のテーマソングともなっている新曲の一節が歌われた。

最後を託されたのはフロリジナル。公演の大団円を、物語に出てきたすべてのパフォーマーたちが飾る。主人公は歌いながら一人ひとりと掛け合っていく。色とりどりの絵の具を思いのままに塗り広げたように、真っ白なラウンジが照らし出された。人と人が関わり合って生きること、その中で傷つくこと、臆病になること、それでも諦めずに外へ出ること。人間そのものを歌ったような曲で、幕が降りることとなった。


小考察

2時間を通じて人間の生き様を描き続けた“The White Lounge”。大森が普段から紡ぐ歌詞と曲を、前後のストーリーと合わせる、さらにステージにて視覚的に表現することによってさらに深く、楽しく体験してもらうという試みだったと言えるだろう。

最後は終演後も残った、いくつかの謎について軽く考察してみたい。

1. 第一部、第二部は何の基準を以て分けられているのか
2. 大森演じる主人公は何者なのか
3. 公開されたコンセプトフォトが何を示しているのか
4. そもそも"The White Lounge"という舞台がなぜ選ばれたか

振り返ってみると、第一部は白ハットを被った大森の登場から叶わぬ恋愛の懐古、すれ違いの表現、大団円。第二部は少年大森の届かぬ想いから急な場面転換、白ハット大森の葛藤と総括、といったところだろうか。

公演を通じての最初と最後に、明らかに同一人物と思われる大森(白ハット)が主人公になっていることから、第一部と第二部は繋がっていると言っていいだろう。またこの主人公は現在、何らかの移動パフォーマンスをする仕事をしており(Feeling,ケセラセラより)、その関係で旅行者の風貌であるとも考えられる。鍵を握るのは、「君を知らない」「Coffee」「Just a Friend」などでそれぞれ登場する大森が同一人物かというところではないだろうか。

着目すべきは「リモコン」「テレビ」という小道具を用いて次々に場面が転換していくことである。チャンネルの変更という動作で言えば、各世界線は並行しており、3人の大森も女性もすべて異なるということになる。だが大森の服装や女性の話し方を鑑みると、全員、もしくは主人公だけが同一人物で、一人の人間が時間を遡って自身の人生を歌っている、と言うこともできると考える。
ここで検討したいのが、公式に発表されたコンセプトフォトだ。終演後の今、もう一度確認してみよう。

Mrs. GREEN APPLE 公式Twitterより

後ろに見えるいくつかの階段は実際に設置されていたものだし、扉や手前の小道具にもある程度見覚えがある。中央の球体は反射しているかと思いきや、時計と、そこにはない手を映し出している。

他の要素から、このコンセプトフォトは本ツアーのセットを表現したもので間違いないだろう。となると、時計に伸ばされた手は主人公のもの。公演内で他に時間の表現がなかったことから考えると、主人公は自身の人生の時間を旅行している可能性がありそうだ。

以上のことから“The White Lounge”というコンセプトについても考えてみる。
大森及びミセスが伝え続ける「愚かに人間として苦しみ、葛藤し、それでも生き続けること」は、今回色を用いても紡がれていたのではないか。
白いセットと白い人間たち。一見個性のない風景だが、ラウンジという場所で人々が触れ合い、傷つけあう。連動して、照明や映像で色が重ねられる。慟哭には赤(ツキマシテハ)。すれ違いには青(ニュー・マイ・ノーマル)。幸せには黄(PARTY)、のように。フロリジナルではパフォーマーがそれぞれ違う動きをし、呼応するように色が映し出された。人間の心の動きを描き出すのにちょうどいいのが、「白いラウンジ」だった、と考えることはできないだろうか。

1. 第一部、第二部は何の基準を以て分けられているのか
 
主人公の今から青年時代、少年時代から今という時間軸で分けられた?
2. 大森演じる主人公は何者なのか
 
時間を旅し、自身の人生になぞらえて人間を歌う同一人物?
3. 公開されたコンセプトフォトが何を示しているのか
 
人生の時間を遡って人間を歌う主人公の生き様を示している?
4. そもそも"The White Lounge"という舞台がなぜ選ばれたか
 
人と人が出会う場所、感情を自在に表現できる色の融合体が「白いラウンジ」?

“The White Lounge”は、閉じこもったコンセプトライブではなかった。ドレスコードの設定、開演前のパフォーマーとの触れ合いから観客を「ラウンジの一員」として取り込んだ作品。2時間という公演時間だけでなく、その何ヶ月も前から、大森の「自分の作品を当事者として、より深く受け取ってもらう」策略にハマっていたというわけである。

ラウンジの一員として、私たちはミセスのライブに「描かれた」。私たちファンでさえも、人間として愚かに生きる様を見抜かれ、登場人物にさせられたのである。Mrs. GREEN APPLEの作品の一部になれた。そう感じ取ることができたなら、また明日から生き続けることができる。

私たちはまた、白いラウンジに色を塗るように生きながらえるのだ。


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