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Dance巣食うの公演「巣をつくってそこにいる」終演
※インスタ投稿に対する追記。5分の2ぐらいそのままの内容。
ヘッダー画像を選んでいたら、1月31日の22時半ごろに撮影した空が出てきた。ギリギリ裸眼で生きられるのをいいことに、だいたいギリギリ裸眼で生きているが、小屋入り以降はコンタクトをしていた。空には意外と星があり、アライグマは結構出没していた。
以下は、逃すやろなあ、と思っていた終電をやはり逃し、5時までいた鳥貴族を出て、1人になった長い帰路、書きはじめた文章である。泣いていた。まあ割とよく泣くが。お酒入ってるし。しかし公演後に涙が出てしまって電車の中、困るという経験は、初めてダンスの公演に出たとき以来だったかもしれなかった。涙を流しても許される活動ができたか分からないが、頰をつたうものも否定できない。
言葉にすることで整理される、とは誰が言ったか。
相も変わらず、本番毎に言葉を書き連ねては、重いと思う。字数制限を諦め、別媒体にまで侵入しているのだからたまらない。文字の言葉を膨らますわりに、思考はまとまっていない。むしろ、まとまっていなさを文字として顕在化している。明日、メンバーとのフィードバックで、声の言葉として何を話すだろう。こうして文字を書いても、第二文型は叶わない。このとき、この文字の言葉は何として機能しているんだろう。
公演についてではなく、それについて書いたものに対する持論になっている。自己満足。
2025年2月1日.2日
Dance巣食うの公演「巣をつくってそこにいる」が終わりました。
来てくださった方、気にかけてくださった方、色んな活動にご協力いただいた方、ありがとうございました。
「ダンス」が何をさすものであるのか、あくまでもそこに判断はつけられないという前提はありつつ、人生で一番「ダンス」的なことをした時間の上演でした。それが「ダンス」かは分かりませんが、最も息切れした時間が長く、最も自他の汗を無視し、最も待ち、最も押し、最も滑り、最も跳びました。私、それに値することをできたか分からないけど、むしろ、値しないからそう思えているだけかもしれんけど、戻りたい。点的に戻るものとして認識すべきものでもないと思うけども。まだ「ダンス」的なことを続けてもいいのだろうか。続けるって何だろうな。私、今続けてるんだろうか。
今、「ダンス」に分類されうる公演が近いうち(近さの定義)にない(ないの定義)(定義の定義)。公演があるから続けていることになるのだとしたら、もうここにはいられないが、そうではないと思いたい。まあ、最初の前提に立ち返る必要がある。
「ダンス」と名のついた場所に自分がいることがどういうことであるのかは今もよく分かっていなくて、しかし、気づいてしまったのは逃れようもない身体であって、やりたいあれこれに伴う身体であって、それは言葉に起こすのであれば「ダンス」に近いものである可能性があって、その矛盾(二項対立的な感じが強く出てしまって、またズレてくる)のままに、そこにいることしかできず、そこにいることをした。自立するものだと思っていたら、圧倒的に他によって形どられていた時間だった。
「ダンス」したいのか、したくないのか、ダンスしたいのか、したくないのか、伴うそれがしたいのか、したくないのか、名づけたいのか、名づけたくないのか、名づけはできないのか、やはり身体、いや肉体という方が近い、決着はつかないが、意志は感じている、だから「ダンス」にまだいたいと思う、「ダンス」できないと思う、「ダンス」できるできないではないと思う、面倒な説明、
あーーーーー。
座ってマイクを持って話していたあの時間は、果たして「ダンス」公演の上演だっただろうか。
上演の中で、振付について語る機会があった。あの場で時間とタイミングに迫られて語れることには限りがあり、全く全てを言い切れていないが、嘘は話していない。あるいは、嘘ではないものからはじまったことを話した(上演は果たして真実なのか)。自分と、美しいとされる何かとの間のあれこれ。どうにかしろと言われれば反論の余地もないが。掌も、手首も、膝も、足の甲も、全部取り外し式ならよかったのに。
振付の先にある自由というものの存在が、想定されるものであるかもしれないとかいうことも、一応、思いはしている。自由の定義の問題でもあるのでまたうんざりするが。一貫性のなさ。思考の遅さにうんざりする。片鱗がちらり。一貫性のなさ。言が先行してしまい、言外の言が明確でなくなってしまったことも確かであった。言葉ばかりが滑っていった。直すべき癖だと思う。
私は、きっと言うべきでなかったことを言ってしまったし、出さなくていいものが出てしまった(文型による言い訳)。視界に黒い縁取りの記憶。本当はなかったはずの視線を引き抜いた。眉の角度を忘れられない。ななめの一歩。踏みかえの一歩。足踏みの一歩。それだけだったのに。青かった。青すぎた。もっと、公演前に伝えるべきだった。ごめんなさい。
場面としては、トークに対する反響が大きめだった(コント、コメディとも幾度か書かれていた)。身体を用いようとしながら、言葉の印象が強くなる傾向があると知って、やりきれない(判断が早すぎるし、言葉も扱えるようになりたいんだけれども)。見ることも角度や経路をはかるということもできないそれとの日々に、バランスというやつは、こういうところにも適用されるらしい、というと、物理に概念を当てはめすぎていてポリシーに反するが、身体を伴わないダンスという主張も可能なのかもしれないとも、(文字が先行して進んでしまった)思ったりした。賛同はあまりしないが。
見にきてくれていた友人は、何かを質問したいが、それをどう言葉にすればいいのかわからない、と言っていた。その間。
巣食う部屋(はけることを不可能にする)という舞台の構造は、やってみたかったことの1つを他人の口を通してやれることになったような感じがして不思議だった。見えても見えなくてもいいが存在するという事実を露わにすること。だがしかし私なら公演の中でするという道はとらなかったと思うので、他を介したからこそやれたやりたいことというすれ違い。
他者といると、思ったことが私よりも早く場に音や文字として出現することがあり、このとき、私の思ったことというのが成立するのかということをよく考えていた。
7人の合議という前提は、不可能かつ理想たりえることだったように見えた。可能性としての合議。(可能性は、可能性である限り、実現しえないが、実現を想定されたものでもあり、しかし実現が訪れる頃に可能性はない。不可能と理想についても語らなければ平等でない気もしてしまうが。)
この原始的な何かは、私個人においても、求めているものとしてみなしていたものの一つである。
合議はしかし、一定の構造を突き付けてきた。人を呼ぶなら、こうしたい、と伝えるために一定の権力が必要、とも言われた。筋が通っている。しかし、複数人での創作というものは、まだ考えられるべき何かだと思う。
誰かのやりたいことを叶える身体という可能性。
私ならやらない、をやる身体という可能性。
もういいやろの個人差。
終わりの価値。終わらせなければならなかったのだろうか。
本公演後、別の作品の共演者が、共演作品への参加当時、指示(比較的特殊であろう指示が、比較的特殊であろう与えられ方をしていた)があったことで、かえって大胆なことができた、という話をしてくれた。ある種の責任のなさ(誤解を恐れずに言う)とそれによって引き出される行為。なるほどとも思った。
今回は初めてリノリウムをひいたり、照明さんのシュートをみたり、八の字巻きしたり、自主公演の「小屋入り」と「バラシ」を体験した。知らない常識で舞台が回っていることに絶たれる望み。層が厚すぎる。ぶちぬきたい。目指されるべきものとして君臨していたそれに、気づくと手をかけられていた。誰かの可能性を奪うことでしか存在を許すことのできない装置に加担せざるをえなかった。なぜ対世界でやれないのか。しかし、参加してよかったと言葉は言うのだから、わからない。
上演に参加するとはいかなる状態のことをさすのか。
次は、出演 全存在 のチラシの制作から始めたい。
全とは(可能性)。
この公演で巣食うの活動が終わるわけではない/公演をゴールとしていない、という認識の上で、約9ヶ月間という区切った時間を振り返るとするならば、それは、両手の運動、音、出演、教わるということ、価値判断、失った抵抗、恥、流れなくなったそれ、進む同期、無理の意味、2時間押し、いつもそうなることだった。(補足:両手両足すら(すらという言葉は適切でないかもしれない)、領域、週末、とは、とは、慣れ、慣れ、帰り道、同期の意味、無理の意味、日常、日常。)
天地をひっくりかえすことも、保持することも、水に浮かべることも、ろくにしてこなかった自分の存在を自覚した。ベッドシーツにくるまることぐらいしか一貫できなかったよ。いや、それすらも幾度か逃した。もうここにはない。
距離が観測されていることを自覚しながらこれをやっているということには罪悪感もあり、しかし、やめられないために、どう割り切るべきか、と言葉には言い続けていたが、背後の気配を無視していたら慣れてしまった。しかし、巣食うは思案の上で、戻ってこられる場所として、ありえる側面もある。音楽しかり、戻ることのできる場所は、目に見えないのかもしれない。つまり、戻ることのできる場所など、ないのかもしれない。私が誤った生命を進んでいるだけかもしれないが。
この期間中には、「ダンス」をはじめる前から出会っていた友人、あるいは「ダンス」の界隈で出会っていない友人へ、告白せざるを得ないことが何度もあった。そういう時期らしい。誰が決めたんだか。2分の1で答えることができないたびに、めくれていくどこか、どこか、どこか、どこか、どこかで許されようとして、爪を噛んだ。それでも、「コンテンポラリーダンス公演」を普段は見ていないであろう友人が来てくれたのも今回だった。実際にそこにいてもらうことは、とてもものすごいことであると知っているつもりです。まだ甘いのかもしれないけれど。ありがとうございました。
このこともあってか、終演以降、本公演/「ダンス」関係者以外に話をすることがいつもより多かった。「そうだったんだ」と言ってもらう度に「そう」でよかったのかと悩む。行っていたこと、思っていたこと、起こったこと、起こそうとしたこと、など、「そう」。「そう」を私の口が話すということは、いかなることか。矢印の強さ。嗚呼、この口。(新たな言をいただけることは喜びです。)
約1時間の上演はあっという間で、毎回毎回通す度に、どんどん早く終わっていった。1ステージ目らしい1ステージ目だった1ステージ目。円環構造に気付いた2ステージ目。もふもふしてたら終わってた3ステージ目。本当にありがとう。楽しかったです。願わくは、今回の上演内容から、もう一回創作がはじまればいいのに、と思っている。それがどのような外見をとるかは知りようがないが、続くんじゃないかなあ。祈りも込めて。私が祈ることを、許してほしい。
上演内容が、果たしてどれを指すのかというのは、耐えがたい問題である。上演に向けて編集されたそれは、もはやそれではないのかもしれなかった。上演に向けて編集される前のそれは、上演ではないのかもしれなかった。
私たちは、私は、どの立場をとるべきなのだろう。いつも反応が遅くなってしまう。言い訳。
背中についても言及せねばならない。
偶然の流れだが、シーン1に入るきっかけが自分1人の歩き出しだった。上演たらしめる(自分から線を引くようなことを言うべきではないか…)行為を自分がするという因果。しかし瞬間的待機の背中はとてもよい経験だった。身体があるからこそできることをできたことが嬉しい。
しかし、それは、待つ/待たれるの関係を創出すること。避けようのない時間のズレを生み出してしまうこと。同一の視界を手にすることも、それを与えることも、不可能なのだと、諦めるしかないこと。諦めることにしかこの形式を成立する方法はなかったのだろうか?わからない。
何か一つのものを優先していいという状況の幸せ。それがなくなり、取捨選択の日々に引き戻される。3つの別物を並べ、私の肉体は未だにただ一つであった。なぜ公演は優先されるべき存在として、あり続けていたのだろう。無能に時間が過ぎているここ数日に、身体が上演の事実を残している、と昨日の朝にも話していたことを思い出している2月3日。力みのアーカイブ。裸眼の目はこすれることを思い出す。後悔することが確定している行きの道を過ごしているのも久々である。この文章、いつどこで出すのだろう。(2月4日)(2月6日)(2月7日)
私、今続けてるんだろうか。
(2月8日)
私に「ダンス」をはじめるきっかけをくださった「ダンサー」が見にきてくださっていた。人生で一番「ダンス」しましたと肉体は話した。私は自分のことを「ダンサー」だとは思っていないが、この期間のことを最も「ダンス」したと話す存在であった。少なくともそのときは。
(マ)
巣食うのnote↓