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クルマを愛し来日した元機械エンジニアが、外国人材ビジネスにも挑戦し日本社会と向き合うアツい物語

初めまして、令和6年10月にジンザイベースへ入社いたしましたムルティと申します。

心斎橋でカットした後の写真だったような、(笑)

東京中心のメンバーが日々活動している中、この度は関西在住の第一号社員となりました!
これから関西の企業様を中心に全力を尽くしてサポートできることにワクワクしております!

完全リモートワークができるジンザイベースだからこそ、今の働き方ができるのです!

ところで、ムルティとは何者や?と思う方もいらっしゃると思いますので、この場を借りて僕自身の自己紹介を書きたいと思っておりますので最後まで読んで頂けますと幸いです!

<プロフィール>
学 歴
2010年9月 SMA Negeri 3 Bandung Senior High School (高校) 卒業
2010年9月 バンドン工科大学・機械工学科(大学)入学
2015年3月 バンドン工科大学・機械工学科(大学)卒業
2015年9月 広島大学大学院工学研究科 入学
2017年9月 広島大学大学院工学研究科 卒業
2022年9月 同志社大学大学院ビジネス研究科 入学
2024年9月 同志社大学大学院ビジネス研究科 卒業
職 歴
2018年4月 マツダ株式会社 入社
2020年9月 マツダ株式会社 退職
2020年9月 GLM株式会社 入社
2022年6月 GLM株式会社 退職
2023年6月 テスラ・モーターズ・ジャパン合同会社 (インターン)入社
2024年3月 テスラ・モーターズ・ジャパン合同会社 (インターン)退職
2024年10月 株式会社ジンザイベース 入社

僕の経歴を見ると、自動車業界から?なぜベンチャーの登録支援機関へ入社したのか?と思う方もいる、いや、そう思うのが普通だと思いますがこれには理由があります。

結論から言います:

  1. 新たな分野へ挑戦したい

  2. 過去の働き方を変えたい

  3. 将来は独立して社会へ貢献したい

この3つの無謀な挑戦の受け皿になってくれたのがジンザイベースでした。

インドネシアから日本へのあらすじ

僕は1992年にインドネシアのバンドンという街で生まれました。現首都ジャカルタが東京のイメージであればバンドンは比較的大阪に近いイメージだと想像してください。6歳まではバンドンで過ごし、1998年より来日、小学校時代は千葉県松戸市にて4年間過ごしていました(1998年〜2002年)。周囲からは「日本語上手いね!」と言われるばかりですが、実は僕の日本語力にはこんなチートなカラクリがあります(笑)。この4年間があったからこそ後に再び来日するキッカケになります。

ただ、小1の頃は当然日本語は話せなかったので辛い日々を送る少年時代でした(涙)。

僕の故郷でもある松戸市、近くに戸定邸のある地域に住んでいました(写真:2015年)

2002年よりインドネシアへ帰国し、当時は逆に母国語をうまく話せないことやアルファベットを書けないことなど苦しい時期がありましたが、なんとか1年で乗り越えて小学校5年生に上がるとその年以降はそれなりのインドネシア生活を送ることができました。

小1は日本でカルチャーショックを受け、小4の半分はインドネシアでカルチャーショックを受け、まぁまぁタフな環境で育ちました。このような環境で幼少期を送った子たちをサードカルチャーと言うらしいです、面白いことに言語能力が発達したり発想力が豊かな子供に成長すると言われています(豆知識)。

中学校時代は学内でTOP3位を取ったりして成績はかなり良かったです。成績が良いことからゲームしてもいいと家族からの許可を得て、その時からグランツーリスモ(Gran Turismo)などのレーシングゲームにどハマりし、インドネシア現地で走っている日本車を意識するようになりました(T社がやっぱり多いです!)。

インドネシアの電力会社にてインターン(写真:2013年)

高校時代は無事に進学校へ入学することができ、この時から何か将来クルマに携わる仕事をしたい!と強い気持ちが芽生えて、それだったら大学は工学部行って機械科を学んで日本で就職すればいいんじゃね?!と思うようになりました。僕が通っていた高校ですが、バンドン内の序列では最難関高校です。難関大学への進学は当然あたりまえ、正直しっかり遊びたいタイプの僕にはかなり競走は激しかったですが他人には負けたくない!と思うタイプなので毎日勉強してなんとかバンドン工科大学に受かって、

天狗になってました!(笑)

2010年にバンドン工科大学へいざ入学。これも豆知識ですが、バンドン工科大学はインドネシアのスカルノ元大統領が通っていた大学でもあって、工学科の中では最難関レベルです(日本のイメージで言うと東工大?)。入ってくる生徒のレベルも高く、真面目なタイプの生徒がほとんどです。僕だけはイキってました!(笑)その結果、

「君、ここでGPAが2.00以下だったら退学だからね、この数字わかる?君のGPAは1.69だからね!」
成績表を指で刺され、教授に叱られたことは今でも覚えてます(笑)。

なんとか退学は避けたものの、それ以降の大学生活はプレッシャーの中、「俺には勉強はもう無理だし、日本で就職するのも無理だろうなぁ」と思った矢先、幸運に研究室へ日本人の留学生(広島大学)が交換留学で訪れました。彼との出会いがキッカケに、2015年に僕は再び来日する事になりました。 

大学院は無事に卒業でき、夢を叶い大手自動車メーカーの企業からも内定を頂く事ができました。

大手社員時代

大手自動車メーカーへ入社した僕の配属先は開発部隊でした。駆動系部品の研究開発を中心に、駆動系部品の実験プロジェクトなどを主に担当しておりました(M社の有名なSUV用です)。自動車メーカーでは配属部署へ移動する前に工場実習という教育期間があり、3ヶ月〜6ヶ月のスパンで生産工場の流れ作業や組み立て作業を主に学ぶ教育のやり方があります。工場実習では実際に現場で働いてもらうことが一般的なスタートです。(M社は3ヶ月、T社は6ヶ月らしいです)

我々の会社も主にエッセンシャルワーカーなどを紹介しております、僕が実習期間に経験した仕事のように製造分野で働いている特定技能人も国内にはたくさんいます。それだけ日本は人手不足の状態なのです。

今まで僕の中では「メイドインジャパン」のイメージとして、日本人が日本でプロダクトを製造し海外へ売る。という浅い認識だったのですが、いざ生産工場へ入ると外国人労働者がたくさん働いている現実を目にするようになりました。

南米から東南アジアの外国人労働者の協力もあって日本車は作られているんだ!と驚き、外国人材に興味を持つようになりました。僕も日本在住の外国人として、なにか勇気付けられたように感じてどこかのタイミングで外国人材業に関わりたいと思うようになりました。当時は海外ワーカーを束ねる仕事もあるにはあるのですが、結局のところ僕は開発の仕事になりました。

しばらく5〜6年間は自動車業界で働き、何社か経験してある重要な事に気づきました:

自動車業界において、日本の技術やサプライチェーンには敵わない、自分が自動車のプロになったとしても熟成したマーケットでは一生独立は無理かもしれない。何か自分のスペシャリティを持ちつつ次のステップに挑戦しなければ。その恐怖と思いから会社員は一度退職し、学び直しの道へ進みました。

挫折体験でもあり、選択肢の分岐点でもありました。

クルマ関係のお仕事では技術職以外でディーラー経験もございます!(写真:2023年)

ジンザイベースとの出会い

実は入社前から代表の中村さんへメッセージを送ったことがあります。1年以上前のことでした(2023年)。

当時のメッセージ

2019年から特定技能制度がスタートし、営利目的で外国人雇用がますます可能となりました。当然ながらインドネシア人もこのチャンスを巡って日本へ来日する方はたくさんいます。このような時代背景があることから特定技能の分野に少し興味が湧きました。とあるFacebookグループ内にて、実際にインドネシア人特定技能の書き込みを目にしました:

「日本に来たけど雇用条件が違う」
「送り出し機関に結局は多額のお金を払って財布はカツカツだ」

外国人ビジネスのあり方について疑問を抱き、つい最近までは大学院にて日本におけるインドネシア人特定技能の生活について研究をしていました。多数の情報を検索している際に、送り出し機関なしで外国人ビジネスをやられているジンザイベースをたまたまYouTubeで知って代表にアプローチしたのがキッカケです。LinkedInより片っ端からメッセージを送りました(笑)(最初のアプローチは見送りでしたが、)。

時は流れ、MBAにて学び直しの期間を終えてから自分自身の考え方も色々と変わったが、

やっぱり、外国人材ビジネスの市場が伸びている中、もしかしたら今まで自分がしてきた投資が今後に活かせるのではないか?と思い、再びジンザイベースへ直接アプローチし今回は内定を頂き入社しています。

同志社大学大学院ビジネス研究科にて:30代最後の学び直し、何事も挑戦!無事卒業できました!
先生たちと1枚、今後のキャリアプランについて応援してくださった!

最近の事例ですが、特定技能の市場では「自動車整備士」や「自動車運送業」などの業種も加わっています。今後はますます人手不足になるであろう自動車整備士人材や自動車運送人材、これは自動車産業また物流産業において大きな課題でもありますが外国人雇用で解決できるかもしれません。僕のような経歴を持つ人材がいるからこそ、登録支援機関としてはこのような課題解決に対しフィットする役割になる可能性はゼロではないのです!

このようなクリエイティブな発想が今後は活かせるかもしれません!

さいごに

長々と最後まで読んでいただきどうもありがとうございます!

僕の自己紹介を通していかがだったでしょうか?

実際に働いてみて「挑戦」という言葉がジンザイベースには似合うかもしれません。外国人材雇用のスペシャリストとして登録支援機関のような難しい仕事は挑戦的な精神がないとなかなか厳しいです。しかし、この領域で挑戦したい方にはジンザイベースでは年齢、国籍、経歴は一切関係ありません。やるべき業務をこなしつつ、自由に挑戦できる環境でもあります。

僕も日々の業務をやりつつ、最近ではHUAAI(広島大学インドネシア人アルムナイの会)にて「外国人留学生が日本で就職するには?」についてのテーマでインドネシア人学生に向けてプレゼン活動いたしました:

80人以上の学生が参加したイベント。

ご参考に:https://shorturl.at/MnTeJ

登録支援機関としての仕事はもちろん、違う角度から社会へアプローチできる社内の環境があるからこそこの活動ができました。将来、インドネシア人学生たちに蒔いたタネが咲くと僕は信じています。(なんと、後に1名の学生が僕にアプローチし就活のコーチングを依頼したとか、)
配信中のコメントではジンザイベースについてのお問い合わせも多々いただきました!自社プロモーションになったかな?(笑)

ジンザイベースは今、同じような志を持つ仲間を探しています。もし、少しでも興味を持っていただけましたら、まずは気軽にカジュアル面談からでも構いません。人材紹介の仕事に興味がある方はもちろん、「どんな会社なのかまずは知りたい」という方も大歓迎です。

僕は新たな分野にて挑戦中です。

あなたの「次の一歩」を、ジンザイベースで踏み出してみませんか?


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