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クレラップのCM曲がラップにならない理由を考える

突然だがみなさんは「クレラップ」という商品のCMを見たことがあるだろうか。日本人なら誰もが見たことがあるだろう。見たことがないという人はとっととこれでも見てろ非国民が。

参考動画

さて、ここで使われている「狂う!狂う!クレラップ!」という歌詞が特徴的な曲は、少しずつバージョンを変えながらもクレラップCMの代名詞として長きに渡り放送され続けてきた。
さまざまなバージョンが存在するクレラップCM、しかし以下の事実に目を向けた者は少ないように思われる。

どうしてクレラップCMにラップバージョンがないのか?

狂う!狂う!クレラップ!」というバイオレンスでセンセーショナルで歌詞、クレラップという名称、どれをとってもクレラップCMにラップはふさわしい。
しかしクレラップCMのラップバージョンなど、私は見たことがない。これは私が観測しうる限りでのことであり、実はラップver.が存在した時代があったのかもしれない。だがそうであったとしても、これだけ有名なCMであるにも関わらず、クレラップCMのラップバージョンがあったという記憶の断片もなければ、イメージすら湧かない。
この大きな謎を解明するべく私は次の仮説を提唱する。

CM出演者の雰囲気に合わない

そう、ラップという音楽のジャンルが、出演者の雰囲気に合わないのである。
まず、クレラップCMの主要な登場人物を確認しよう。それがクルリちゃんクルミちゃんである。彼女たちのプロフィールについては以下を参照していただきたい。

参考
https://kurelife.jp/products/newkrewrap/profile/

見て貰えばわかるようにかわいい。とてもかわいい。しかも姉のクルリちゃん10歳、妹のクルミちゃん7歳とまだ幼い少女である。このような可愛らしい少女が出演するCMの音楽として、時に暴力的に人間や社会を批判するラップは適していると言えるだろうか?答えは否である。従来のクレラップCMのようなお茶目で、溌剌とした、心がコーンポタージュで浸されるような可愛らしい音楽が彼女たちには合っているだろう。

しかし、次のような意見も見逃してはならない。

幼い少女にラップはふさわしくないというのは単なる偏見に過ぎず、女性蔑視ないしは幼児蔑視に繋がる危険な思想ではないか?

ごもっともである。実際に、ラッパーに憧れ、音楽を武器にのし上がったアフガニスタンの女性、ソニータ・アリザデという人物がいる。彼女はラップを通して「強制結婚」の慣習に異を唱えており、その半生は映画にもなっているほど劇的なものである。

このように幼い少女にラップがふさわしくないという思想を持つことは必ずしも正しいとは言えない。私もクルリちゃんとクルミちゃんがゴリゴリのラップを始めたらバチクソかっこいいと思うし、ぜひその姿を拝みつつメッカの方角に首を垂れたいものである。

それにも関わらず、私はクレラップCMがラップにならないことの妥当性を示す根拠を発見した。それは

彼女たちがおかっぱ頭である

ということである。おかっぱ頭はラップに最も適さない髪型の一つである。おかっぱ頭でラップをすることは、スーツで市民プールにダイブすることと同じだ。よってCMにラップが使われるためには、少なくとも彼女たちがおかっぱ頭でない髪型になる必要がある。

しかしそれは絶対にあり得ない。なぜならおかっぱ頭こそ自他ともに認めるクルリちゃんとクルミちゃんのアイデンティティであるからである。クルリちゃんとクルミちゃんといえば、現在7代目であるのだが、その髪型は代々おかっぱ頭として継承されている。これはおそらく進撃の巨人における「13年の呪い」のようなものであろう。新任のクルリちゃんとクルミちゃんは前任者から「継承の儀式」によりおかっぱ頭を受け継ぎ、前任者のおかっぱ頭は消滅する。

このようにおかっぱ頭が継承されていた結果、視聴者にとっても「クレラップCMといえばおかっぱ頭の女の子である」というイメージが形成され、不動のものとなったのだ。

よって今さら非おかっぱ頭の少女がいきなりラップを始めたところで「誰じゃこいつ」となるわけである。

また、彼女たちがおかっぱ頭を解脱しないというより強固な根拠が存在する。再び、以下の参考動画を見てもらいたい。

参考動画(再掲)

この動画の5:08~あたりを見てもらいたい。この回はクルミちゃんに初めて自我が芽生えた回である。クルミちゃんは絵本に出てくる白雪姫の長い髪に憧れを抱く。そして憧れの白雪姫とおかっぱである自分のギャップに気づいたのである。やってきた散髪の時間。姉の仕上がり具合を見るに、おそらく自分もこのおかっぱ頭が今にも増しておかっぱになるに過ぎないであろう。クルミちゃんは逃げ出す。「もう、こんな運命(かみがた)嫌だ!!!」クルミちゃんは生まれて初めて髪型のことで母親と自らの運命に抗ったことだろう。しかし逃げた先で、クルミちゃんは自分と同じおかっぱ頭の美しい女性に出会う。そこで彼女は気づくのだ。「現実世界からも自分自身からも遠い存在である童話の白雪姫よりも、目の前の比較的自分に近い女性を憧れとする方がよっぽど健全であり建設的である」と。彼女は、何も今の自分を否定して変化することだけではなく、自らの現状や運命を受け入れた上でその長所や特性を保ち伸ばしていくことも、立派な成長の形であると気づいたのだ。

上述のようにクルミちゃんは一度おかっぱ頭を否定し、再度その意義を再解釈することで自らのアイデンティティをより強固なものにしている。これは一連の成長を見届けたクルリちゃんとて同様のことである。これにより、彼女らがおかっぱでなくなることはますますあり得なくなった。したがってCM曲がラップになることもないだろう。

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以上、クレラップのCM曲がラップにならない理由を考え、その仮説として主要な登場人物であるクルリちゃんとクルミちゃんにラップというジャンルが合っていないことを述べた。この説は数ある有力な学説の中のほんの一つであることに注意されたい。次回は、「新自由主義の台頭と加速する頭わるわる」について解説する予定である。お楽しみに。

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