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第3話 社長就任


2007年12月18日 深夜

父が亡くなった。ここ数日は意識がハッキリとしない時が多く、意思の疎通も難しい状況が続いていた。長く入院していた病院からようやくホスピスに転院出来た矢先の容体急変であったが、特にこの2〜3ヶ月間、2週間に1回のペースで様子を見にいく度に少しずつ弱っていく姿を見ていたので、遂にこの日が来たかという思いしかない。会社の幹部をいち早く呼び寄せて、最後の対面をしておいてもらったのは良かったが、今日の午前中の新幹線でこちらへ来てもらう予定となっていた、世話になっている取引先の社長と顧問は残念ながら間に合わなかった。

前日17日の夕方18時の時点で今夜が山であると医師からは伝えられていたので、世が世なら闇討ちしてこの世から消したいほどの憎しみを抱いている相手ではあったが、常に最新情報を伝えておかなければならないメインバンクの担当部長に電話をした。その銀行は17時を過ぎると代表電話が留守番電話に切り替わるが、知る人ぞ知る内線直結の番号がある。
端的に恐らく今晩死ぬと伝えたが、まだ分からないじゃないですかというよく分からない慰めを受けた。彼らとしても、多額の融資を実行している法人の代表者が、社会人歴15ヶ月で専務に就任した26歳の息子になられるのは困るのであろう。ちなみにややメインバンクに嵌められた形でとっくに一部の融資に対して個人保証をしている自分からしたら、今さら何だという気持ちでしかないのだが。

専務に就任してからのこの半年は、とにかく動き回って、顔を売りまくる日々であった。父が闘病のために関東へ移住して直後の10月には、今の体制を続けるより、父が会長になり、私が社長になって運営をする方がベターだと思う旨を父に伝え、了承を得た。半期決算の12月末で新体制に切り替わる旨を全取引先に通知するため、父の名前を使ったゴーストライティングで会長・社長の就任を伝えるA4一枚のテキストを作成。関係が深いところから順番に訪問してそれを代読し、変わらぬ取引の継続をお願いする行脚を行なっていた。父と関係が近しいと思ってくれている取引先ほど、「室木さんらしい文章だね」と言ってくれたことに、心の中では舌を出していたが、これは良い嘘と言って良いだろう。一応、本人の確認も取っていたし。

死因が癌のため助かった部分は多い。当の本人は痛みもあり苦しそうではあったが、心筋梗塞などでポックリ逝かれることを考えると、最低限の準備期間が確保出来るという点においても、事業承継向きの病気と言える。

翌年6月末の決算までは持たないと思っていたが、年内はどうにかなるだろうと駆け込みであれやこれやと準備を進めていたが、社長交代まで残り13日というところで父は逝った。去年の9月に何もしなければ余命半年と宣告されたところから、民間療法のみで対応した割にはよく頑張ってくれた方だろう。

と、この間を振り返りながらも、明日から始まる面倒な日々を迎える憂鬱な気持ちと、何故か止まらない武者震いの狭間に私は居た。とにかく信用不安を抑え込むためにこの間動いてきたが、亡くなったことで、いよいよあそこは潰れるよとのたまう奴らが沸いてくるだろう。社長なんてやったことが無いから自信もへったくれもない、殺すなら殺せ、さもなくば、俺の方から殺しに行ってやる。

明日の始発で京都に戻り、そこからは怒涛の日々が始まる。迷えるほど選択肢が無いことだけはありがたい。これから目の前に現れる敵や難題を、RPGのようにただひたすら倒していくしかないだろう。

いいさ、かかってこい。

インサイドストーリー「代筆したメッセージ、義理と人情と浪花節、挨拶原稿」

20071124_社長からのメッセージ(代筆).doc
 平素は格別のご高配を賜り、厚くお礼申し上げます。さて、弊社は12月末で第55期半期決算を迎えますが、半期決算後の2008年1月1日付で私が代表取締役会長に、現専務取締役 室木英人が代表取締役社長に、それぞれ就任することに致しましたことをご報告させて頂きます。
 今現在もご心配をおかけしております病状に関してですが、先日の血液検査の結果は腫瘍マーカーも下がり傾向で推移しており、血液中の免疫力を測る指数も非常に高い数字を叩き出すことが出来ました。約1年前に再発が判明し、「何もしなければあと半年」という告知をした医者もその言葉を撤回せざるを得ないと言わしめるだけ、癌との闘いに勝ち続けていると客観的な検査のデータ等からも言える状況までに来ております。
 しかしながら、弊社55期を迎えた7月頃から闘病のための手当てや食事の関係で横浜の実の妹宅を行き来する生活を続けておりましたが、普通の人間でも負担になる京都と横浜の移動の負担を軽減し、もう一段治療に専念するための環境を作ろうという話し合いを私と息子とで行って参りました。
 また、この間の業界環境の冷え込みも止まる様子が無く、専務である息子が弊社の経営幹部と共に、社長である私が不在の中で実質の経営の舵取りを行ってまいりましたが、今期計画を必達し、且つH株式会社としてもう一段「攻め」の姿勢を明確に打ち出すためにも、自分も代表権を持ち、包括根保証の判も全て押し、全ての責任を背負った上で舵取りを行っていきたいと強く息子から進言を受けました。
 半期のタイミングで会長・社長就任を行うことで、無用な信用不安を起こしてしまうリスクも十分に検討致しましたが、H株式会社は創業以来「受身」ではなく「攻め」の姿勢、例え「早すぎる」という外部の声があっても常に先手を打って勝ち残ってきた会社であります。最近の最たる例として本社屋の売却がありました。当時、金融機関の皆様からも「まだ御社はそこまでの状況ではないでしょう」という声を頂きましたし、社内の役員も本社屋への愛着を含めて反対意見の方が多数を占めておりました。息子は現在の企業規模と本社屋の規模が不釣合いであるし、このタイミングで大幅な借入金の圧縮を行えることはH株式会社にとって非常にプラスであると、私の決断に全面的に賛成をしてくれていたと同時に、「周囲の意見を丁寧に聞く姿勢はとても大事だが、経営者というのは誰が何を言っても自分一人の責任で会社のために何よりも早く決断と実行を行わなければならないことがあるということを肌で学んだのが本社屋の売却の時であり、僕は同じ状況であるわけではないが、多少のリスクを取ってでも決断と行動を起こすタイミングだと確信している」と、強く進言を受けました。
 結果として、あのタイミングで本社屋の売却を行っていなければ、その後の商況も含めてどうなっていたのかを想像するに、あの時の決断が正しかったことを私自身も実感をしております。

 進言を受けた時はかなりの躊躇いもありましたが、「守り」や「リスクヘッジ」としての会長・社長就任ではなく、あくまで「攻め」のために、今期計画を必達するためにという、私と同じ「熱く」、「一途」な想いを持って息子が決めた覚悟に社長のバトンを託すことに致しました。親の欲目かもしれませんが、ここまで私が想定していた以上の役割を果たしてきてくれ、責任感も非常に強い真面目な人間であります。今後ともご支援並びにご指導を賜りたく、伏してお願い申し上げます。

 本来は私も直接出向いてご挨拶させて頂くのが当然ではありますが、金融機関の皆様、お得意先様、仕入先の皆様全てにご挨拶をして回るのは現在の闘病のリズムを大幅に崩すことになりかねず、ある所にはご挨拶に行ってある所には行かないというのも大変失礼であると考えた結果、大変恐縮ですが書面のみでご挨拶を行わせて頂くことに致しましたこと、ご理解頂きたいと思います。

 また、私からの提案で会長・社長就任披露パーティーを今期決算明けの2008年7月29日にハイアット・リージェンシー京都で行うことに致しました。今期中は闘病に専念させて頂きますが、必ずや就任披露パーティーまでにガンを治し、万全の体調に戻して皆様の前でご挨拶を申し上げることを心よりお約束して、会長・社長就任のご挨拶とさせて頂きます。

2007年11月24日
H株式会社 代表取締役社長 T.M.

読み直してみると、よく自分で自分のことをこんな風に書けるなと、自分でも感心します。

義理と人情と浪花節
当時、一部の仕入先には白生地の仕入を中心に、何と半年以上の期限の手形で支払いをしていた。社長交代をすることで支払の現金化を要請されることを私は非常に恐れていたのだが(一社でも現金化してしまうと、他の仕入先も雪崩れを打って現金化を要請してくることが予想されたため)、
↑の文章を私が読み上げ終わった瞬間に、
「室木さん!取引は今までと変わらずにやりましょうや!」と言ってくれた白生地問屋社長の懐の広さを、私は一生忘れないだろう。現に、あれから16年経った今でもその時の情景はありありと思い出せるぐらいなのだ。
他にも、義理と人情と浪花節を発揮してくれた方々のお陰で、私はとりあえず戦うフィールドに立つことを許された。もちろん、ここぞとばかりに人の足元を見てくる輩も山ほど居たが。

20080729_社長就任披露パーティー挨拶原稿.doc
 
本日は、大変お忙しい中、また、大変お暑い中、ご出席を頂きまして、誠にありがとうございます。
 また、平素は元より、先代社長の急逝後も、皆様方からの本当に暖かいご支援とご協力を頂きまして、今日(こんにち)まで営業を続けて来られたこと、高い所からではございますが、社員一同を代表致しまして、厚く御礼を申し上げます。

 特に皆様方から大変にご協力を頂きました、今年3月の社長就任展までは、ざっくばらんに言えば、「火事場の馬鹿力」で乗り越えて参りましたが、その後、6月末の本決算を乗り越えるまで、非常に悩む日々を送りました。この間、業界にとっても弊社にとっても激流の中を過ごして参りましたが、平時になった途端、もちろん安泰という意味ではありませんが、自分は、会社は、何処の方向に進めば良いのだろうか。H株式会社の船長として、どう風を読み、どう舵を切るか、またその職責の重さの前に、立ち止まった3ヶ月間でございました。未だ、その全てが明確に見えているわけではありませんが、その3ヶ月間の中で、「代表取締役社長」という立場が為すべきことの一端は掴むことが出来たように思っております。

社長とは最終、決算で利益を出すことが出来なければ、そこに居る存在価値は無く、その責任も100%社長の責任である。

この、当たり前の事実に向き合った時に、では自分は何を為すべきなのかは、非常に明快になりました。

会社を永続的に発展させるために、広い視野と高い志(こころざし)を持ちながら、足元の1円を、泥水を啜ってでも取りにいくという執着心を持ち続ける、これに尽きると今は確信しております。

その第一歩として、市場を創造する、作り出すことの出来るメーカーへの進化を致します。昨今、この業界では「厳しい商況」という言葉が頻繁に交わされておりますが、これは違うのではないでしょうか。今までに他のあらゆる産業、金融の世界や百貨店などでも起こってきた変革・再編の波が、ようやく我々の業界にもやってきただけであり、これが普通で、これからも良くなるわけではない。ですが、その変革・再編の波に対応出来た企業、もしくは、新しい需要を、市場を作り出すことが出来た企業だけが生き残れる。それは、歴史を見ても明らかではないでしょうか。弊社にとっては、先ずは消費者に一歩でも近づくこと。そのニーズを掴むと同時に、気付いていないニーズまでをも喚起来るものづくりを行うこと。そのために、一年前から準備を進めておりましたが、弊社にとって初のアンテナショップ開業を年内に予定しております。これは、決して得意先の皆様方と限られたシェアの取り合いをするというようなことではなく、また、今後はそこをメインに数字を作っていくという意味でもありません。あくまで、メーカーとして得意先の皆様に、より魅力があり、儲けて頂けるご提案をさせて頂くための、弊社としての市場開発の一環でございますので、何卒ご理解頂きたいと思います。

 より積極的に営業を行うために、守りもきっちり固めて参ります。現在進めておりますが、根本的に一から販管費を見直しております。型代、販促費、催事経費などの営業経費から、家賃、光熱費、手数料などの間接経費に至るまで、大きいものから小さいものまで、あらゆるタブーや聖域、固定概念を排除し、それがひょっとすれば不義理に繋がってしまう場面もあるかもしれませんが、先ずはきちっと利益を出して、会社を永続させていくこと。その大前提を崩すことが一番皆様にご迷惑をおかけすることでありますので、先代がよく申しておりました、義理を欠く、人情を欠く、恥を欠く、の三欠主義を徹底していくことで、

攻守、攻めと守りががちっと噛み合った、厳しくもありますが、全員がその能力を120%発揮出来る、やり甲斐の持てる会社を作って参ります。

威勢の良いことばかり申し上げさせて頂きましたが、能力も、経験も、人間としてもまだまだ未熟な私でございますし、会社も、平均年齢が若いということは、良いように聞こえますが、それだけ組織・体制も万全でありません。
今後とも、皆様方からのご支援、ご協力、またご指導を心からお願い申し上げると同時に、皆様方から頂いたご厚情に必ずお返し出来るように全身全霊を賭けて取り組むことをお約束させて頂き、私のご挨拶とさせて頂きます。

 本日は、本当にありがとうございました。

若かったんですよ、まだ。

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