第7話 はじまり
2011年11月27日
「売上を伸ばすために、積める在庫ってあるんですか?」
現職で働いているということもあり、日曜日に会社へ出てきてさっきまで面接していたEC担当者候補は、なかなかパンチの効いた女性であった。後にある経営幹部は「うちのようなぬるい会社だと、あの子はトルネードみたいな存在になるでしょうね。あだ名はトルちゃんだな。」
果たして、それは現実となった。
2009年のリーマンショック後のリストラから2年が経ち、2期連続の増収増益を実現したタイミングで、とあるベンチャーキャピタルから接触があった。その担当者であるW君との出会いが、全てを動かし始めることになり、後に、全てを終わらせていくことになる。
リストラからのV字回復とは言え、旧来型のビジネスモデルがメインで、小売のアンテナショップの運営は始めたばかり。借金まみれで、実態B/Sは債務超過の会社に出資するベンチャーキャピタルなんて存在するわけがない。
なので彼が取ったアプローチは、長期の視点で投資対象候補の会社が伸びるサポートをするということであり、ECサイト構築で実績を持つ会社や、EC人材を採用するのに適したエージェント会社を当社に紹介することであった。
その縁で早々にEC人材としてDさんを採用して事業も動き始めた矢先に、Dさんが妊娠した。
産休は当然取得出来るが、入社一年未満の場合に育休取得を認めるかどうかはファジーな部分もあり、その対応には苦慮したが、結果的には取得出来るようにするので、出来るだけ早く帰っておいでと送り出すことに。
人事担当者からは嫌な顔をされつつ強引に押し通したのは良いが、問題は後釜だ。
もう一度同じエージェント会社に依頼をして、紹介されたのが冒頭のNさんである。かしましく、人を巻き込み、ありとあらゆる場面でハレーションを起こしながらも、目の前に立ちふさがる木々をなぎ倒して最短ルートを行こうとする女性であった。
上記のDさんやNさんらを雇ったのは、始めたばかりのアンテナショップのECを伸ばすためであったが、それはやがて京都きものマートというリーズナブルな着物を販売するECサイトの中に吸収され、同時期に宅配着物レンタルサイトの立ち上げと運営が始まることになる。
宅配着物レンタル事業は後のエピソードに出てくるが、立ち上げ後1年間の低空飛行を経て、一気にブレイク。その成功体験を横展開して実店舗型着物レンタル事業も垂直立ち上げに成功。日々動き回って七転八倒、いや七転び八起きしまくる私の後ろにはNさんを筆頭に優秀な実務スタッフが居たため、全ての事業が滞りなく動いていたのが本当のところだ。
私が入社して1年3ヶ月後に、業績不振で行なったリストラの責任を取るという形で退任した取締役が居た。その人が事あるごとに言っていたのは「経費を増やすな、在庫を増やすな、人を増やすな」というものであり、縮小均衡が続いていた中で、その発言そのものを理解出来ないことは無いが、その先に未来は無いと常々思っていた。
入社した2006年~2018年までの12年間で延べ何人の人を面接して、何人の人を採用したのか。実店舗型着物レンタル事業では多い時で4店舗運営、パート・アルバイト中心の採用であったため、延べで50~60人は出入りをしていたことを考えると、面接は150~200人以上は行なっていただろう。製造卸の若手社員や新規事業での正社員に限っても20~30人は新規雇用したと思うので、面接したのはやはり100人は優に超える。もちろん辞めていった人も多く、もっと言えば愛想を尽かされたケースも多いだろうし、こちらからのアプローチで辞めてもらったこともある。
入社以後、一時も欠かすことなく持ち続けていたのは、現状のメンバーをどれだけティーアップして能力開発を進めても、現状を打破することには繋がらないという確信であった。事実、軌道に乗り始めた新規事業を後押ししてくれる既存社員も居ないことはなかったが、どちらかと言うと大半が腐すか足を引っ張るかのどちらかという始末であったのが実態だ。
あるべき姿を掲げた時に、どれだけの軋轢を生んだとしても、足りない要素を貪欲に自社へ取り込んでいけるかどうか。事業や会社の再生に本当に必要なことは、そのたった一点なのだと私は思う。
入社後、もちろん大変なことが山積みであり、いくつもの修羅場をくぐってきたとは言え、事業を生み、伸ばすという意味では全く成果を出せていなかった落第経営者であった私だが、Nさんの入社をきっかけに、会社も事業も大きく動き始めることなる。そう、私の経営者、というより事業家としての人生は、実質的にここからはじまったのだ。