第10話 ブレイク
2014年9月18日
9月に入って日中の最高気温が30℃を下回りだすと、宅配着物レンタル事業の受注金額が毎日10万円を超えるようになった。7月~8月の受注金額は真夏の閑散期ということもあり、毎日3万円~5万円の低空飛行を続けていたことを考えると、毎日がフィーバータイムで、遂にブレイクを迎えた!と私は有頂天に。
そもそもは宅配型の着物レンタルが伸びているらしいという話を聞きつけた私が、その市場への参入を促すセミナーに参加したことがきっかけであった。セミナーにも登壇したこの市場を開拓した一番手の会社は、市場全体を伸ばすために参入プレイヤーを増やしたいという、大局的な視点を持っていたので、直接訪問した際もありとあらゆるノウハウを惜しげも無く伝授してくれた。
早々に参入したかったが、当時は楽天市場で展開している店舗が多く、商品毎に更新されるカレンダーの予約状況を見た上でフォームに希望日時を入力してカートに入れるという非常にアナログな仕組みであった。ホテルや旅館の予約サイトのシステムを鑑みた時に、借りたい商品が今週末に借りられるかどうかがリアルタイムに分からないというのは、ECサイトとしては致命的な欠陥ではと感じていたが、それを解消するためのパッケージシステムや今で言うSaasのようなものが当時は存在しなかった。ゼロからのシステム開発、所謂フルスクラッチ開発での見積りをシステム会社に依頼すると、1,000万円を切る見積金額は出て来ないという状況に、二の足を踏んでいたのが実情である。
当初は知人の経営者たちと合弁で事業を展開することも検討したが、意見の集約を行なっている間に時間はどんどん流れていくため、2012年の段階で自社での事業展開を決意し、人員の採用やシステム開発への投資を決断した。
社内に優秀なメンバーが集まっていたため、サイトの要件定義やサービス内容の構築、システム開発から商品の手配まで、私はジャッジのみを行なえば良いレベルで準備が進む。2013年の春に満を持してサイトをローンチしたが、自社サイト運営における集客のセオリーを全く知らない状態で運営していたため、最初はひたすら閑古鳥が泣き叫ぶ状況に。WEB広告の代理店に依頼して広告出稿をスタートすると、確かに受注は増えてきたが、あまりにも費用がかかりすぎて採算が合わない。レンタル用の商品を仕入れた費用、レンタルシステムをゼロから開発した費用など、合計すると1,000万円以上の投資をしたにもかかわらず、初年度の売り上げは600万円強と、燦々たる状況であった。
このままではいずれ事業のスクラップ、それはイコール必死に採用してきた優秀なWEBチームのメンバーを解雇することになり、新しい事業を生み出して深い沼から抜け出すきっかけを永遠に失うことでもある。
それだけは絶対に避けなければならない。焦りだしたところに一通のダイレクトメールが届く。自社通販サイト運営におけるWEB集客を学ぶという、当時の自分にとってはど真ん中ストライクな内容であったが、1泊2日夜通しやろうというコンセプトであったため、チームの女性社員に行かせることが出来ず、私がプレイヤーとして参加した。
この研修が、私の人生を大きく、本当に大きく変えることになる。
最初は広告出稿の管理画面の設定から、機能を使いこなすことで特定の商材の市場規模を概算で算出するやり方や、どのようなページが受注を取れるのか、など、非常に実践的な内容で、すぐに自社に持ち帰ってスタート出来るものであった。
早速自社に戻った私はメンバーを集めて、自社での広告運用に切り替える旨を伝え、2014年7月から早速開始。ところが最初の2ヶ月間は思うような結果が出ない。これは今考えてみると当たり前なのだが、真夏の7月~8月にどれだけ頑張っても着物のレンタル受注は取れるはずが無い。当時の自分たちは事業をスタートしてまだ二年目で、まともな昨年の受注実績が無いことも影響し、そんな単純なことも分かっていなかった。
潮目が変わったのが冒頭の9月に入って体感的に涼しくなった瞬間。
そこからは快進撃の始まり。
前述の研修を運営していた会社から、コンサルフィーが安い若手の社員を派遣してもらい、月に1回アドバイスをもらうことに。広告の運用を行ないながら、今では主流となったコンテンツマーケティングをガンガン行なうことで、費用を使わないオーガニックの検索結果でも上位表示を次々に実現していく。結果的に二年目の売上は初年度の6倍弱の3,400万円、その翌年は2.7倍の9,400万円、そのまた翌年は1億円を軽く突破。売上は伸び続けるが、広告費の比率はどんどん下がり、新規の商品投入を抑えれば営業利益率30%を実現するという驚異的な高収益事業となった。
第8話 2勝7敗に書いたように、ことごとく新規事業を失敗させてきた私は、一生新規事業が成功することは無いのではないかという考えに囚われつつあったが、この事業の成功がその考えをぶち壊し、翌年の実店舗型レンタル事業の垂直立ち上げに繋がっていく。