第6話 たかり
2011年9月4日
「ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと金持って来いよ!」
東京駅八重洲南口から徒歩5分の八重洲富士屋ホテル1階のコーヒーラウンジにて、向かいの男性は急に声を荒げてそう言った。
彼は遠縁の親戚で、生前の父にお金の件で約束していたことがあるからと私を東京にまで呼びつけて、
・お前の父親には色々と貸しがあり、父親名義のある保険契約が満期を迎えたら、全額私に支払う約束になっていた。
・証文などは無いが、君の結婚式の時に父親を交えた三人で確認をした。
ということを一方的にまくしたてた。
私は
・保険契約は確かに存在していたが、満期になった時点で何かと物入りな日々の資金繰りの中に投入してしまったこと。
・証文が無い話にお金を払うわけにはいかないこと。
・大変申し訳無いが、結婚式の際にその話をした記憶が無いこと。
・要求されている数百万円の金額のやり取りは贈与税の対象になること。
などを、相手を刺激しないよう丁寧に説明したところ、冒頭のセリフを吐かれた。
昨今、世襲をアトツギベンチャーやファミリービジネスと言い換え、対象となる後継経営者に対して良い選択肢のように見せる傾向がある。
世襲には暗くて深い闇がある。長く会社を続けていれば、事業を運営していれば、有象無象のありとあらゆる物や輩がヘドロのようにこびりついており、それらを一つ一つ引き剥がしていくのがどれだけ大変なことか。
創業者は親族などへの利益供与のために大盤振る舞いで株をばら撒く。また、取引先と関係強化のために株を持ち合いしたりもする。その時は良いかもしれないが、年月を重ねると関係性は変化し、場合によってはその株が相続され、継いだ人間が株主名簿を見ても、誰が誰だか一切分からないというような事態に陥っていることは中小企業あるあるだ。
私が入社するタイミングでは散らばっていた株の買取手続きは全て終えており、ほぼほぼ集約されていたのには助かったが、とっくに買取手続きを終えている株について、事あるごとに尋ねてきた人間も居た。まだ何がしかの金が貰えると思っているのか?
ある人間は自分には力があるから顧問にしろとしつこく言ってきた。大変申し訳無いが地方の斜陽産業ど真ん中の中小企業において、貴方の持っている大きな力が発揮されることは無いので、早々にお引き取りいただきたい。
もちろん、その人たちだけが悪いわけではない。ゼロから会社を興して僅か15年足らずで年商200億円を超える企業グループを作り上げ、週刊誌にも頻繁に取り上げられたら、誰だって調子に乗る。買う必要がない土地や株を沢山買わされ、それは後にバブル崩壊を経て多額の負債となった。羽振りが良いところを見せつけようと親族を含めた周りの人間に金をばら撒き、それは後に後継者であるその人間の孫にまで金をたかってくるという、B/Sには表れない最悪の負債として顕在化した。
娘婿としてひょんな縁から、落下傘候補のように後継経営者として入社してきた父も同様だ。激しすぎた学生運動のせいで実質的には大学を退学処分となった後、鉄鋼材の卸問屋を立ち上げてトラックを運転したり、銀座の画廊で勤務したりと、完全にフラフラしていたところから、急転直下で京都の大手着物メーカーの二代目社長だ。その時に大盤振る舞いしていた行動が、後に地味なダメージを私に与え続けた。
因果は断ち切らなければならない。
貴方の会社には、何にも専務などと揶揄されている親戚のおじさんはいないだろうか。
あの人が居なければ会社が回らないと言われている、裏方仕事を仕切っている親族はいないだろうか。
縁故入社した、仕事は全く出来ない人の処遇を今後一体どうしたら良いのか悩んでいないだろうか。
親戚であろうとなかろうと、それがプロパー社員の優秀な人間であっても、居なくなったら会社が回らないと言われていた人たちを何人も辞めさせてきたが、本当に会社が回らなくなったことは一度も無い。組織というのは人間の身体、あるいはアメーバのようなものなので、欠乏された部位があれば自然と修復される。誰かが補完しにいく仕組みになっている。
具体的な記述をすると該当者から抗議の電話がかかってくる可能性が高いので差し控えるが、親族に限らず、ありとあらゆる箇所への利益供与目的の契約や取引を一つずつぶった斬っていくのは本当に骨が折れた。
親族への利益供与目的で締結されたある契約の解除を伝えると、嫌味を一言も二言も三言も言われたが、ただただ静かに説得して押し切った。
「遊び」が大好きだった創業者だったので、お茶屋の鴨川をどり(と書いてしまうことでお茶屋のエリアが特定されてしまうが、まぁ別に良いだろう)の券購入やら、何だかよく分からない協賛依頼や請求書がやたらとやって来た。一つずつ、一つずつ、粛々と終わらせていった。お茶屋は女将が会社にまで頼みに来たけどな。
所謂「業界付き合い」が好きだった二代目だったので、何の意味も無い業界誌への多額の広告出稿が多く、一つずつ、一つずつ、出稿を取り止めていったが、筋の悪い業界誌からは
「若くて会社を継いだばかりでそんな不義理なことしたら、あの会社大丈夫かいなって言われますで」
と、明確な脅しを受けた。流石にブチ切れて出入り禁止にしたが、その業界誌の方が先に廃刊になった。
嫌だ嫌だ。世襲で嫌な思いをした思い出など、貴方が聞き飽きるほど出てくる。もう止めだ。