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空でも肉でも
昨年末から、ポツポツと、舞踏のワークショップに通い始めた。
2022年の6月に、『名付けようのない踊り』というドキュメンタリー映画を観てから、漠然とした興味がずっとあった。
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知識や鑑賞経験は皆無なものの、兎に角やってみるべと、目につくワークショップに節操なく応募している状態。
実際に体を動かしてみても、講師の方の言葉を聞いていても、毎回毎回、非常に面白い。
数回参加しただけの浅い感想ですが、
自分という人間や、名前、性別、肩書き、社会的日常的役割なんかを、
一度空にして、自分の体を、そうある器や、袋や、肉塊として扱うアプローチが、とても面白い。
自分で踊るのではなく、外からの影響によって踊らせているような考え方が、とても面白い。
それでも空になりきらず、それをしている、「わからない」という自分自身すら見つめる視線が、とても面白い。
わかりやすくあること、
自分自身はこうであると打ち出すこと、
何者かになること、
明るく正しい意見を発すること、
実利や成果が明確にあるものに手をのばすこと、
そういった、今の現実世界で好まれる傾向にある事柄に対して、以前からずっと違和感を抱えていて、そのモヤモヤとした違和感に、未知で新鮮な衝撃を与えてもらっているようで、とても面白い。
自分自身であるということも、
空っぽであるということも、
どちらかに偏りがちではあるけれども、
その両者は混在していて、
どちらにもどちらなりの、面白さがあるはずで、
だから両極端を知っておきたい。
体験したい。
少しでも心身に落としたい。
混在の海を自由かつ不自由に泳げるようになりたい。
なんてことを思っている。
いずれ皆さんの前で、舞踏を披露できるくらいに、今年はゆっくりコツコツと、自分自身を見つめていこう。
などと。