偏見・ベッケナー
最近常々思うのは自分の中にある醜い癖や偏見のようなものがドンドコ漏れ出るようになってきたということです。
前から自覚はありましたが最近は頻度と一発の量が段違い。
朝起きて、朝飯食って、偏見を出し、バイトして、汗水と共に偏見をたらし、昼飯食って、偏見を出し、またバイトして、偏見を吸い一服、稽古に行き、偏見エチュードに精を出し、帰り道に思い返すは偏見の渦、布団に入れば偏見あふれた夢を見てぐっすり眠る。
ガンダムのキャラクターにヘンケン・ベッケナーという方がいましたねたしか。
本名にもあきたしそろそろ改名時かしら。
艦長に失礼であります。
どうしても自分は体育会系的な部活社会における上下関係や年齢至上主義であるとか男はこうあるべき女はこうあるべきというような旧態依然からほとんど抜け出せていないんだなということに気がつきそりゃあもう光の速さで落ち込むわけです。
これがたち悪いのは表面上というか普段の思考のうえではそのどちらをも嫌っているっちゅうことなんですね。
自分の中にあるからこその裏返しなんでしょうなと思っとります。
でもこれがまた面倒なのは自分の中の偏見を見つけたとしてそれを決して振り撒かないようにしようと石橋叩きを始めたならばそれはもう僕の性格上一生かかっても橋なんか渡り切れないわけです。
基本的には常時へっぴり腰の臆病者でございますから極端に喋らなくなるし主張なんぞ一切しなくなってしまいますわ。
切っただ切られただっちゅうのはやっぱり苦手ですいつまで経っても。
痛いのも痛がられるのもどうにもなあ。
あるいはすぐ諦めて他の橋を探すか。これはまた別の意味での悪癖あるいは良癖だと思うのですがそれは置いとけ。はい置いときます。
偏見が溢れてしまう状況や心理っちゅうのはきっと自分が普段よりも無防備になっとる瞬間な気がしていて他者に対する思いやりやそれこそ石橋叩きをやめてる状態だと思うんですだから自分の汚えとこが出る。
なので落ち込みはすれどしめしめと思っている自分も反面おるんです。
どうにも私は甘ったれですからもう少しキチンと自分を追い込んでいかねばというのは常々思っていてこういう状況にもっと身を置くことは他ならねそのひとつになりうるわけです。多分。
きれいな人間になりたいわけではないのよ。
だからと言って汚い人間になりたいわけでもない。
ただどちらもオモチャとして持っておきたいっちゅうことなんですねきっと。
時には反省して、時には改善して、状況によってはそれらを全部無視して、なんなら偏見で遊ぶくらいの心持ちで、やっていけたら理想でございます。
そういう意味では自分の醜い部分を露呈させてくれる人間や環境には感謝が絶えないわけです。
こうして大層に己の志を記したところでその偏見に付き合わされるのは常に周りの人だからそりゃたまったもんじゃねえよなあ。申し訳ない。
そこはやっぱり考えねえと。配慮は持たねえと。
好かれるのも嫌われるのも、今は同価値につらくて同価値に嬉しい。
なので地に足つけて、好かれ嫌われ切った張ったしていきたいもんです。
矛盾ばかりだから面白いんじゃんなあ。
結局変な話、反省はしていてもやっぱりどこかで少しはよしよしこれだと思ってるんだ。
兎に角、全部で、遊びたいだけなんです。
もっと頑張らねえとなあ。
そしたらまだまだ楽しくなる。
室田渓人
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