サーフ系ラーメンたく家 新宿店オープン初日の店主が心境を語る

⚠️この記事はフィクションです!⚠️

二郎系、家系に次ぐラーメン業界の期待の星「サーフ系ラーメン」を名乗るラーメン店が先日新宿にオープンした。
「新宿はオレの故郷のような場所です。念願の新宿店開店が叶ったと思うと今も涙が出ますが、営業中は泣かないように頑張ります」と、店主の西城拓也さん(自称29歳)は宮本浩次/冬の花を店内スピーカーで流し、涙ながらに語る。
若い頃は売れっ子のウリやってるボーイ(略してウリボー)であった拓也さんだが、2010年代後半頃からネット上で誹謗中傷や肖像権侵害が多発し、客が激減した。思い悩む拓也さんは常連の客から「稼げないならオレのペットになれよ。衣食住は保証するからさ」と誘われたが、「若いウリ専の子やゲイの子達が元気をもらえる店を開きたい」と決意し、ラーメン屋への道を歩み始めた。

だが、これまで特殊な生業や交友関係の中で過ごしてきた拓也さんの道のりは決して平坦ではなかった。
まず初めに拓也さんは自分が大好きなラーメン二郎に通い味を研究しようとしたのだが、
「前の客が座っていたイスがベトベトしている」
「隣の客から精液や小便の匂いがする」
「北京原人が出没するラーメン屋には行きたくない」
などのクレームが相次ぎ、出禁になってしまったのだ。これでは当然修行などさせてもらえない。

そこで、拓也さんは俳優時代に知り合った平野さんが経営する料亭で修行する事にした。
当時の拓也さんの様子について、平野さんは
「先輩後輩問わず性処理係を進んで担当して、皆からとても慕われていました。食事はヨーグルトのみの日もあったようで、相当な努力家だと思います。衛生面で問題があったので料理には全く関わらせませんでした」と語る。

半年の修行を経て、拓也さんは念願の一号店である「ジム系ラーメン俊」を高円寺にオープンした(現在は閉店)。高円寺を選んだ理由は、援交と似ているからだそうだ。
ジム系ラーメン俊は、ジムという名の通り高タンパク低糖質で、アスリートやビルダーをターゲットにしたラーメンがウリだった。
オープン当初の俊は1週間の来客が20人以上?30人以下?と拓也さんの下半身のように貧弱な売り上げであったが、友人やかつての職場のマネージャー、拓也さんを贔屓にしていた客、掲示板で募集したタチ達が足しげく通い、徐々に売り上げは伸びていった。

しかし、ここでも拓也さんの性生活環境が仇となってしまう。
「閉店後のラーメン屋から男の喘ぎ声がする」
「店主が食べログで自作自演をしている」
「くさい店」
などと近所から苦情が出るようになり経営が傾き始める。とどめには、知り合いのマサヒコさんが仕込み中の拓也さんをスープの鍋に水没させるという事件が発生。拓也さんは全身に火傷を負い閉店を余儀なくされた。

「俊の一件は近隣の皆さんやオレの周りの皆さんに多大な迷惑をおかけして申し訳ないと思っています。ですが、あれがきっかけでもう一度自分と向き合い、ゼロから始めたいと思えるようになりましたし、良い経験になりましたね」と、当時を振り返って拓也さんは話す。
新宿で開いたサーフ系ラーメンは、食べれば湘南の海を思い起こすような爽やかな塩味に、ジム系時代にも使用していた秘伝の高タンパクなホワイトペーストを合わせたもの。
「人懐っこいとよく言われるので、接客には自信があります。サーフ系と書いてはいますが、もちろんサーファーやアスリート以外の方にも食べてもらいたいです。家系もかつてはトラック運転手やガテン系に向けたものが今や万人が好むラーメンになりましたから、サーフ系もそんな感じになれたら嬉しいです。新宿という立地なので、ゆくゆくは久保帯人さんや米津玄師さんのような有名人が来る人気店にしたいですね」と店のシャッターを開けつつ、拓也さんはさっきの哀叫から一転、朗らかに話すのだった。


(追記・2022年12月更新)
サーフ系ラーメンたく家は、スープと店主共に薬物が検出され閉店しました。拓也さんは現在、更生施設ぷもも園で療養中だそうです。


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