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『俳句詞華集 多行形式百句』をめぐって

俳句時評 2020年6月

 俳句の多行形式俳句は「風前の灯」だと聞く。
しかし現代俳句界に「風」など吹いてはいない。無風の中の稀少灯と換言するのが妥当かも知れない。形式や表記の問題に無関心・無自覚な一行形式多数派の中での、孤立した少数派である。消えかかっているというのは誤解で、林桂氏が代表で責任編集している俳誌「鬣」などに集う俳人たちによって、各自独自の多行形式の俳句が生み出され、多様な実績を積み上げてきていることも事実だ。「鬣」誌は評論にも重きを置く編集理念を持つ、俳壇では数少ない俳誌であり、全国俳誌協会第8回編集賞を受賞している。
その集大成のようなアンソロジー句集が刊行されている。
(林桂編著『俳句詞華集 多行形式百句』鬣の会 風の花冠文庫2019(令和元)年八月)
 本書で林桂氏が選出した句の中で、特に印象に残ったいくつかの句について、以下、鑑賞文を書かせていただく。

※多行俳句は縦書きでないと、その効果が正確には伝わらない恐れがある。縦書きでイメージして読んでください。

① 舟焼き捨てし      
  船長は        
            
  泳ぐかな 
   

① 高柳重信。多行形式俳句と言ったらこの句というほど有名。多行形式の源流は高柳である。述語動詞の一行目。主語の二行目。空白の三行目。そして物語的結末動詞の四行目。一行表記にしてみよう。「舟焼き捨てし船長は泳ぐかな」。これではただの散文になってしまう。多行によって物語的時空の広がりが獲得され、四行の結末直前の空白に、解けない謎が立ち上がる。読者はここに深々とした絶望感を読み取ってもいいし、言うに言えない艱難の思いを寄せてもいい。だが物語ではない。詩でも短歌でもない。紛れない短詩形文学としての俳句がここに誕生している。   

② 焼野匂へり
   遠く

   性慾花のごとし 

② 林桂。この三行目の空白も、私が好きな表現方法だ。林氏の場合は高柳的な物語は排除され、その空白に情念の在処だけが差し出されている。一行一行が他の一行を補助したり形容したりしない。孤独に佇んでいる。林氏のこの句にも、他の句にも高次の独特な抒情性を感じる。
    
③ 撃チテシ止マム      
  父ヲ           
               
  父ハ 
        

③ 上田玄。誰かがやっていた戦時・戦前的標語、慣用語を骨抜きにする表現方法で、「父」の戦争被害者の側面が描かれる。一行の空白の後、その「父」が加害者と化す。別の読み方もできる。父殺しの主題だ。だがそんな父は日本から消滅している。いや最初から父性などなかったか。

④ 日没の
     水を
    離るる
    魂 いくつ

④ 中里夏彦。句集『無帽の帰還』から。この句集で中里氏は原発禍によって帰還困難地となってしまった古里を背景にした表現をしている。そこからある普遍性へ向かう。

⑤ 小鳥がぢつと   
  雲のくづれる音をきいてゐる

⑤ 片平涙花子。文明禍の予感と慄き。
    
⑥ 胸の都 ただれ      
   だれか 駆け抜け   
  夢の輪 くずれ   

              
⑥ 楠本憲吉。戦火、戦下の都という身体の爛れ。

⑦ 殻のない卵の群れて 
       だれかの
         不眠


⑦ 瓜生宏司。自分を見失った現代人の心の荒廃。

   ※

 この表現形式の俳句に馴染みのない人のために、私の薄識の及び得る範囲内でその基本の基のお浚いをしておこう。
まず一行形式の俳句を作る人は、「俳句を詠む」と言うが、多行形式の俳句を作る人にとって、俳句は「詠む」ものではなく「書く」ものであるということ。紙に印字されることで、その二次元的空間性をも詩的な表現要素と見做して俳句を「書く」詩法である。
 そしてもう一つ、一行形式の俳句を詠み書きする人は、「なぜ一行形式なのか」と自らに問うことはないが、多行形式で俳句を「書く」人は、「なぜ多行なのか」が常に自問されているということ。(全員そうだとは限らないが)。
 俳句はもともと、一行形式の俳句でも「切れ」などの技法によって、一句内の文字表現で表せる以上の意味や余韻を生じさせることで、もっと広い文学的主題を呼び込むことができる表現形式である。それが多行形式では、より強度を増した表現力を獲得することができる、と解説すればいいだろうか。
 多行形式俳句を書く俳人たちの間で、論争とまでは言わないのだろうが、その呼称と意義について異なる視座が示されてきた歴史を持つ。「多行表記の俳句」と呼んでいるのは澤好摩氏で、その主張は次のようなことだ。
    ※
多行作品とはあくまで『俳句形式』に含まれるものであり、『多行形式』と言うことによって、俳壇では『俳句形式』とは別もの、つまり、俳句ではないものとして見做し括り出そうとする動きもなかったとは言えず、「多行表記」で統一しておく」(『高柳重信の100句を読む』)
    ※
 当時の俳壇的情勢の中での、この表現方法に対する大勢の姿勢も伺える主張だ。有季定型一行表現でないものは俳句ではないとする多数派が、無季俳句、自由律俳句を俳句ではないとする延長上に、この多行形式俳句に対しても、同じような蔑視的視線があったはずだ。澤氏は「俳句研究」の編集を担当して長く高柳重信の身近に接していた俳人である。「多行形式俳句」という呼称では、有季定型一行表現俳句を是とする「俳句形式」派から、その外部にある表現形式だという俳壇の大勢を利してしまうという意識からの主張だと思われる。 
 一方、「多行形式の俳句」と呼んでいるうちの一人が林桂氏である。林桂氏の主張では、結果としての「表記」と方法意識としての「形式」が使い分けられている。次の言葉にそれが覗える。
   ※
「三つの『切れ』の存在を一つの『俳句性』として自覚し、かつその『切れ』を多行によって顕在化し、従来の『五七五』の内在的な『切れ』からずらすことによって、その齟齬の中に新たな文脈を誕生させるという方法意識の獲得が行きつくところは、四行表記であった。それは『俳句性』に内在する三つの『切れ』を異化する最小単位であるからにほかならない。恐らく四つの『切れ』を求めて四行形式に収束したというよりは、従来の『俳句性』がもつ三つの『切れ』を異化する最小単位として四行形式を求めた結果として、四つの『切れ』を手にしたということであったろう。」(「高柳重信論と多行形式」―『船長の行方』)
    ※
「切れ」を多行によって顕在化する、三つの「切れ」を異化して四つの「切れ」を手にしたという具体的な表現方法論としての主張のようだ。換言すると「表記」という呼称では単に書き方の問題に聞こえてしまうから、表現主体の表現過程を規定する問題意識を包括する呼称としては『多行形式』と呼ぶべき」だということになるだろうか。
 もう一人、「多行形式」と呼んでいるのは高原耕治氏である。高原氏は「多行形式」として呼称すべき必然性をもっとも精緻に展開している論者にして作者である。それは次のような言葉から覗える。
   ※
「多行形式という言葉が意味し、指示する範疇は多行表記を必ず包含するが、その逆は必ずしも成立するとは限らない。すなわち、多行形式の成立には必ず多行表記を必要とするが、多行で表記されてはいても、ただそれのみによってはその句が必ずしも多行形式によって書かれた句であると認定することはできないし、また、してはならないのである。」(「多行形式の歴史と改行の《存在学》」―『絶巓のアポリア』)
    ※
 この言葉は多行表現された俳句を一行表現に書き換えても、そこから立ち上がってくる文学的主題になんの変わりもない、つまり、読者が受けとる感慨になんの変化もないとしたら、それは一行書きで済んだものを、行分け書きにしたに過ぎないという主張である。
 このように三氏三様の主張がある。
 本稿では「多行形式俳句」と書いてきているのは、はからずも、この林桂氏たちの呼び方に倣ったことになる。


 次に多行形式の創始者の高柳重信に始まる俳句表現史を概観してみたい。「前衛」俳句の系列に連なる高柳俳句の源流は、河東碧梧桐による無季無韻俳句(自由律俳句)や、社会批判思想の表現を志向したが故に、特高警察による検挙者を出した新興俳句運動(新興俳句弾圧事件・京大俳句事件)などの新たな試みがなされた時代に始まるという。
高柳は思想的基盤を持って自由詩的な行分けによる俳句表現を初めて行った俳人だった。多行形式俳句などという言葉が定着するのはそのずっと後のことだ。
 この高柳の試みは俳句界の全体的な雰囲気としては批判的な雰囲気だったに違いない。高柳は俳句表現にはもっと多様な可能性があるはずだという視点からの「俳句は俳句形式が書かせる」という信念を持っていたようだ。だがそれを現役の俳人が表明することは、誤解どころか、「袋叩き的」批難を浴びる危険性があったという。
 それはその時代の風潮を調べれば頷ける。時は桑原武夫が俳句「第二芸術」論(一九四六・昭和二十一年)を発表した時代だ。高柳の「俳句は俳句形式が書かせる」という信念は、表層的な意味だけを読めば、「俳句などという言葉のお遊びは、有季定型の形に、ちょっとした発見や感慨のようなものを字数に合わせて書きこんでみれば、だれにでも書いたり詠めたりするものだというものだ」というふうに、ただの形式主義的な言語遊戯的芸能と誤解されてしまう危険性があったという。もちろん高柳の真意は、そういう旧来の定型俳句に揺さぶりをかけて、新しい俳句の詩精神を盛るに足る形式を模索、創造しようとする志の宣言であったはずだ。
 だが、広く文学評論界にも、保守的な俳句界にも、それを理解するものは皆無という状態での船出であった。
林桂氏が、多行形式についての本格的な論考と、解説を本書の巻末に添えているので、私の紹介よりもっと深く知りたい方は、それを参照されるとよい。

 最近、この多行形式について、先に紹介した三氏と同等以上に見事に評した文に接して瞠目させられた。最後にその評文を引用させていただこう。「鬣」誌第74号(2020年2月)で、九里順子氏が「俳句と身体」という題で折笠美秋の一行・一字空け・多行形式という三種の俳句のそれぞれの特性を、簡潔に評している部分を「」内に摘録する。
  ※
 されば炎のバベルの塔と燃え立つ友よ

一行書きは、循環する時間との同調を前提とした身体でありたい時に、主体が選択する形式である。安定したリズムを刻む私であるための形式である

 炎の人が 雫の人が 針葉樹林

空白の挿入は、加速・減速・収束のリズムをそこで堰き止める。堰き止めることで、外にある時間が入り込んでくる。それは他の人々と共有できない私自体の時間であり、恙無く生きるために作られた秩序に乗らない私の身体である

 悲しみよ    
 眠れ      
 眠りて     
 火を妊るまで  

美秋の多行形式は、切断と飛躍による構築性だけではない本質を示してくれる。それは俳句という形式が、自己完結できない身体に根差した自己を表出するということである

  ※

林桂氏は最近「鬣」誌上で、頭韻四行俳句に挑み続けている。西洋・中国の脚韻式ではない新しい試みだ。
多行形式による俳句表現の未知なる明日を期待したい。

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