おおしろ房句集『霊力(セジ)の微粒子』
コールサック社2021年8月刊
〇 「解説」(鈴木比佐雄)より抜粋
〇 野ざらし氏よる選出句
失速の地球を引っぱる揚雲雀
屋久杉の千手観音時空巻く
鰯雲死へのプログラム解除します
西瓜割る肉弾の恋は終わります
ジャズは木枯し心のうろこ吹きとばす
目の矛で耕していくトルコ紀行
ニライカナイへ塔カルストは船の先
白菜や太陽の翼になりたくて
春一番人工骨も動き出す
朧夜や水道管をジャズ流れ
蝸牛夕陽のよだれのような後悔
春雷や昏睡の母は避雷針
雨粒が潰れ出てくるエゴイズム
大脳にゴキブリはりつく熱帯夜
十・十忌幾万の霊と綱を引く
遮断機に切られていく認知症の月
神女(カミンチュ)の勾玉に乗るニライカナイ
大津波陸に墓標を立てて去る
光年の孤独弾いて独楽廻る
原発の臍の緒つけた初日の出
月光を身体に溜め蛇の脱皮
啓蟄や床下で蠢く放射能
片(カタ)降り(ブイ)や彼岸此岸の綱を引く
地球が廃炉になるまで鳥渡る
沖縄忌影持たぬ人とすれ違う
哀しみの眼球となるジャボン玉
梅雨晴れ間ガラスの仮面外します
夕立や原子炉で孵化する疑惑
石蹴って死期を決めてる山桜
降り注ぐ霊力(セジ)の微粒子東(アガリ)御廻り(ウマーイ)
余生とは噴水の上に乗っている
虚無の世に尾を入れている瑠璃蜥蜴
人権が溶け出してゆく陽炎かな
月裏で策略巡らす枯蟷螂
月の嘘土の真実かぎ分ける
海鳴りの闇に沈むか百按司(ムムジャナ)墓(バカ)
鳥渡る地球の動悸激しくて
殺意ならひまわり畑が震源地
浜下りや外反母趾のえら呼吸
浜下りやホモ・サピエンスは戻れない
新聞に畳まれている蟻地獄
〇 野ざらし延男による句鑑賞の一部抜粋
※武良 註
反CTS闘争について知らない人のために、琉球新報社の新聞記事を参考として次に転載しておく。「琉球新報」2020年11月6日の記事。
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〇 『霊力(セジ)の微粒子』を読む
沖縄の俳人の方からの、初めての句集のご寄贈を賜った。
沖縄の俳句表現については、本ブログで二度触れたことがある。
その一つが「コールサック」誌の『沖縄詩歌集~琉球・奄美の風~』における「二章 俳句 世(ゆ)果報(がふう)来い」という評文で、俳人の鈴木光影が、その意義について書いていることを紹介した。
鈴木光影の評文の冒頭と結びの部分を以下に摘録する。
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この書でおおしろ房の次の句を読んだ記憶がある。
芭蕉布の衣で隠す混血児 おおしろ房
この複雑な思いを句の背景に感じさせる表現は、「ナイチャー」の私たちには、とてもできないと感じたことを覚えている。
ちなみに「ナイチャー」の鈴木光影と私が投句した句も引いておく。「ナイチャー俳人」を二人が代表しているという意味ではなく、本稿で触れた二名というだけのことである。
ナイチャーへ破顔シーサー沖縄忌 鈴木 光影
遥かなる卯波金網肝苦(ちむぐ)りさー 武良 竜彦
注 拙句の「金網」は基地を象徴したつもり。
鈴木光影と私は沖縄のことばを使って詠みたいと志して投句しているところが共通しているが、そのことを自身について述べたい訳ではない。
やはり沖縄のことを思って句を読もうとすると、その独特の文化の厚みを感じる沖縄のことばを用いて詠みたい誘惑に駆られてしまうということを述べたかったのである。
逆に本土標準語で沖縄を詠むことの方に、違和感を抱いてしまうのだ。
ここに沖縄のことを俳句で詠むある種の難しさがある。
「ナイチャー」が沖縄について詠むと、「沖縄問題」を詠みたがる傾向がある。どうしてもそのような意識が先行する。「沖縄問題」というふうに感じているようでは、俳句表現としては表層表現に留まることになる、というジレンマに陥る。
「沖縄問題」は「日本問題」に他ならず、そこに抜き差しならぬ当事者意識の「深度」が問われていることを自覚するからだ。
鈴木光影も述べているように、沖縄の俳人が、沖縄の言葉で詠んだ句について、その語義を調べて鑑賞するのは、より深くその風土性と生活のリアリティに触れる歓びと愉しさを感じる。
沖縄の俳人が過去の戦争や今の基地問題を含む現代的課題だけでなく、沖縄の日常的リアリティをもつ表現の中に包み込まれるように表現しているのを読むと、私たちのジレンマが解消されるような、清々しい気持ちになる。
おおしろ房のこの句集には、この二十年の暮らしの実感と、その背景に厳然として存在する「沖縄という日本の課題」が、スローガン的な言語を廃した、詩的な言葉で表現された世界が豊かに展開されていて、独自の「闇の突端」を突破する創造力で、句集に深い統一感を与えている。
「ナイチャー」が触れたいと願う沖縄俳句の真髄は、こういう世界だと思うのは、私だけだろうか。
寄贈句集を本ブログで紹介する方法として、必ず私自身の感想を添えているが、本句集については、それはやめておきたい。
なぜなら、先に引用した野ざらし延男による秀句選出と、その深い鑑賞文が添えられているので、私の感想文など無用に感じられるからだ。
今回は本句集からの引用紹介だけにさせていただく。
本句集の、「ナイチャー」的な季語絶対主義からは無縁な、自由で豊穣な世界を味わっていただきたい。
季語を使っていても、歳時記的情緒とは異質の空気感に包まれるような表現の句ばかりである。 ――了