佐藤みね句集『薫風』 ――このしなやかな「喪の仕事」
東日本大震災で家族や友人を喪い、遺された人々には既成宗教は何の慰めにもならず、無力だったということが、よく語られています。では心はその事態にどう立ち向かったのか。『黒い海の記憶―いま、死者の語りを聞くこと』(岩波書店)において、著者の宗教人類学者である山形孝夫氏が、言葉には尽くせない不幸の前で、人は死者の語りに耳を傾ける「始原の祈り」ともいうべき行為に回帰していく過程を、深い共感を交えながら描き出しています。生者は悲しみ、泣くことで、死者と語り合う。それを通して、悲しみはゆっくりと昇華してゆく。たぶん、そのようにして人は明日への一歩を踏み出すのでしょう。
ここにそれとは少し違う、別の方法の文学的手本があります。佐藤みね句集『薫風』の、死因は震災ではありませんが、最愛のご子息を失くされた俳人の心のあり方。句集の「あとがき」に、作者はこう書かれています。「句集を編むことになったきっかけは、亡き息子崇裕との思い出を詠んで、常に息子と共にありたいと願ったからです」と。
わが日々の薫風となり吾子逝けり
句集の題名はこの代表作から取られています。
生前の子息を詠まれた句には次のような句があります。
帰省子に海の色濃し祭笛
少年のゆるぎなき意志黄水仙
草笛の少年空を広げゆく
子と潜り深海魚めく蚊帳の中
亡くなった後に詠まれた句には次の句があります。
野辺送り五月の空はただ青し
青空へ影なき柳絮飛びゆけり
明易の逆縁の星探しおり
曼珠沙華陽に透きとおる魂もあり
子の愛でし曲を何度も三ヶ日
句集『薫風』は、俳人にしかできない方法で、喪失の悲しみに立ち向かった「喪の仕事(モーニングワーク)」だと言えるでしょう。それは、悲しみが癒えることを目的としない、しかし悲しみの中だけに留まらず、その悲しみを見つめ、抱き締めて、明日を生きる力とすることです。
そしてそれが可能だったのは、それを可能にする言葉の世界を、作者がすでにお持ちだったからに他なりません。
水打って心の襞を伸ばしけり
手拭を絞れば冬日強くなる
郭公や湖ふっくらと暮れのこる
作者をとりまく自然の中にあった、光、風、水の煌めきが、彼女を内側から支え生かす精神世界に、広大な空間を形成していたからです。喪失の悲しみはその中で昇華され、魂の生きる場所をそこに創造します。この句集は俳人にしかできない、しなやかな「喪の仕事」の記録なのです。