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哀悼―私はいつも間に合わない 黒田杏子・齋藤慎爾追悼特集に寄せて

コールック 114号   2023年6月刊

哀悼―私はいつも間に合わない  武良 竜彦

一 わたくしごと

 現代俳句界に影響を与え牽引してきた黒田杏子氏と齋藤愼爾氏の相次いでの訃報に接して、深い喪失感の中にいる。

 お二人は、私のライフワークとする石牟礼道子論の完成を励まし続けてくださった恩師である。お二人は私が現代俳句評論賞を拝受した石牟礼道子俳句論を書く以前から、私のライフワークが石牟礼道子文学であることを知っていた方である。
 社会批評的な視座を含む石牟礼文学論を書くことを想定して、彼女の作品の研究をしていた私には、俳句論を軸としてそれを纏めるという視座はなかった。その視点からの起稿を教唆されたのが、このお二人だったのである。

 その論考執筆は未完であり、目下「小熊座」誌上で連載中である。論稿の完成を楽しみにして頂いていたお二人に献じる望みは、突然絶たれてしまった。私はいつも間に合わないのだ。石牟礼道子、渡辺京二に続き、更なる深い喪失感の中にいる。
 だが、その喪失感の中に留まっているわけにはゆかない。

 

二 齋藤愼爾俳句について

 黒田杏子氏と齋藤愼爾氏の現代俳句への貢献の実績については、他で紹介され論じられているので、ここではその俳句世界についての私見を述べさせていただく。

  断崖に島極まりて雪霏々と  『永遠と一日』

 日本海の孤島「飛島」で思春期を過ごした時期のことを、第一句集『夏への扉』(一九七九年刊)でこう述べている。

私は刺客のように押し寄せる冬波に孤りふるえながらも何ものかに敢然と対峙しているといった不敵な情念をたぎらせていたように思う。いや、単に存在それ自体が苦しく発酵し空しく出口を求めていただけかもしれない。」

  菜の花や父を弑せし吾の来る  『永遠と一日』 

    旧軍港直立の父傾ぐ母        〃

 西洋型の父性の真似事をして、国土を荒廃の極地に追い込んでしまった日本の父の姿に投網を掛けるように、齋藤愼爾は二十歳のとき「日々の死」の中で冷やかに象徴的にこう詠んでいる。敗北し荒廃した日本という風土を、大きな文明批評的視座で、反時代的な俳句という伝統的な韻律の枷の中で詠み続けることに、齋藤愼爾氏の文学的主題表現の方法論がある。そのことと、現代人が生と死の実感を失って、上の空のような人生を送っている精神の危機という認識と、齋藤愼爾氏の「望郷」的風土を詠む方法論には密接な関係がある。

        螢火に月光という鉄格子    『冬の智慧』

       螢火もて螢の闇を測るかな     〃

       死水を欲せりかつての螢の身    〃

 喪失と滅亡の間に明滅する命。それが齋藤愼爾俳句「望郷」の真髄である。また命の根源的な本質の表現でもあり、同時に現代日本人の魂が抱える空虚性の象徴でもある。

  齋藤愼爾俳句の独創的な文学的主題を一言で言い表すとしたら「喪郷から心的創郷へ」と言えるだろう。「喪郷」とは風土性を喪失した現代日本人の中空構造的精神性のことであり、「心的創郷」とは生きる価値基準を外在的なものに依存せず、一人ひとりが自分の中だけに創造し確立すべき心的風土性のことである。

 

三 黒田杏子俳句について

  齋藤愼爾氏が『木の椅子』増補新装版で指摘していたが、「俳人協会」「現代俳句協会」等々の区別は、もうほとんど無意味化していると述べて、「俳人協会」に身を置く黒田杏子氏が昨年、「現代俳句協会」の大賞を授与されたことに、これまでの狭いセクショナリズムの壁が崩壊してゆく気配を感じているという意味のことを述べていた。

  翌年、現代俳句協会は無所属の齋藤愼爾氏にその同じ大賞を授与している。俳句界再編統合の兆しはこのお二人の逝去によって遠退いてしまった。

  黒田杏子氏の第一句集『木の椅子』には巡礼・魂の道行きのオリジンの輝きがある。日本古来の、特に仏教思想の流れによって育まれた日本人の精神性の底流を貫き伝承されてきたものである。巡礼とは己を虚しくして魂の遍歴を行う精神的な行為である。会派を超えて先達・後輩の創作的精神性に寄り沿い、敬愛と励ましの真心を捧げる黒田杏子氏の行為の根幹には、この巡礼の思想がある。

 蟬しぐれ木椅子のどこか朽ちはじむ   『木の椅子』

    父の世の木椅子一脚百千鳥         

『木の椅子』という句集名はこの句に拠る。

 木の椅子は常に自分に居場所を与えてくれるものであり「巡礼」に出かけてはまた還り来る場所でもあり、そういう魂の活動と循環の末に朽ちゆくものでもある。

 自分の居場所には「蟬しぐれ」を降り頻らせ、父の居場所には「百千鳥」の鳴き声を降らせている。伝統的な俳句表現では無常観の表現として詠まれて詠嘆的になる傾向があるが、黒田俳句ではそれを決して「嘆き節」にはしない矜持がある。

     牛蛙野にゆるされてひとり旅     『木の椅子』

必ず死で終わる命の旅を終末観などでは詠まない。人間中心主義ではなく、生かされて「在る」という天の摂理への感謝と釣り合う自己肯定感と拮抗するような詠み方である。

  ホメロスの兵士佇む月の稲架     『木の椅子』

 古代ギリシャ(紀元前八世紀末)のアオイドス(吟遊詩人)であった「ホメロス」は盲目であったという説もある。本邦の平家物語を「かたる」琵琶法師、過去の不幸の物語を三味線で「かたる」瞽女という盲目の「かたり手」。古代ギリシャでも、日本でも、盲人が社会で就けた数少ない職業が「うた」の語り手だった。この句では月夜の苅田に佇んでいるのは「ホメロス」が「うたった」叙事詩の中の戦場いる「兵士」だ。

  ここにも孤高の俳人精神である「巡礼者」としての、黒田杏子氏の吟遊詩人のような身上の投影があるように感じられる。

    稲光一遍上人徒跣          『一木一草』

   涅槃図をあふるる月のひかりかな   『花下草上』

 魂の巡礼は此岸彼岸の境も超えてゆくのである。

 お二人のご冥福をお祈り申し上げる。

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