見出し画像

第39回 現代俳句評論賞受賞式 報告

   於 2019年11月16日 上野 東天紅にて  
 ※  ICレコーダーから文字起して送っていただいたもの(有難うございます。ここに転写いたしました)

受賞作「桜(しゃくら)の花の美(いつく)しさようなあ―石牟礼道子俳句が問いかけるもの」  武良竜彦


司会者 武良竜彦さま、この度はおめでとうございます。
まずは率直なご感想をお願いいたします。

武良 感想ですか……。( 会場、笑い)
東日本大震災という体験によって、私の文学的原点である石牟礼道子文学に連れ戻されたという気持ちでいます。そんな私のライフワークでもある石牟礼道子俳句論で、評論賞をいただけたことは、とても励みになります。有難うございます。

司会者 武良さんは石牟礼道子さんと同郷の水俣出身ということで、この度のご受賞、亡き石牟礼さんにどのように報告されますか。

武良 報告……。( 会場、笑い)
この評論を書いたことが報告になればいいですかね。生前、お会いできてないので。
今日ですね。皆さんあまり読んだことがないだろうと思いますので、石牟礼道子の俳句を書き抜いて来たんですよ。それをここで紹介したら、いちばんの供養になるかと思って。
ちょっと、いいですか。( 司会者ちょっと戸惑っているような間)
会場に猫が嫌いとか、アレルギーとかいう人はいませんよね。これから猫の話をしますので。
石牟礼道子は無類の猫好きでした。石牟礼道子が詠んだ猫に纏わる俳句を紹介します。

花びらも蝶も猫の相手して           「水村紀行」
猫たちと絆浅からず梅雨の夜          「〃」
ポケットで育ちし神の仔猫なり         「〃」
老猫のいびきふところにあり夢や何色      「〃」

猫のいびきなんて、聞いたこと、ありますか?
石牟礼の猫愛の気持ちが溢れる細やかな表現の俳句ですね。この四句だけなら、まあ、普通の句でよすよね。ところが死者を悼んでいるような猫の姿が詠まれている句があるんです。

死にゆくは誰ぞ猫たちが野辺送りする    「水村紀行」

人の死を感じとって悼んでるんですよねー。そして驚くのは、猫の死が詠まれた句があるんです。句集には載っていない、未発表の、「創作ノート」に書かれていた句です。
 
まだ死(し)猫(びょう)ならざるまなこ星ひとつ   
死ぬ猫のかがめば闇の動くなり    
背中の毛ぞよぞよさせる猫看とる 
   
普通、可愛がっていた猫の死を詠んだりしないですよね。石牟礼道子はそれを詠む。
愛猫の死の瞬間という時間丸ごと抱擁している句ですねー。死の瞬間に「ぞよぞよ」と体毛がぞよめく、猫の全的存在性が抱きしめられている句じゃないでしょうか。
作者が、猫と同体となって闇を動かしている。死を含む命のという存在の総体を、最後まで見届けずにはいられない「もの狂い」の眼差しが、石牟礼文学を貫く本質だと思います。

司会者 俳句作家としての今後の抱負をぜひ、お聞かせください。

武良 抱負……。そんなもの、ないですけど。(  会場、笑い )
あのー、石牟礼道子と猫のこと、もうちょっとだけ、いいですか。

司会者 あ、えー、時間も押してますので、手短にどうぞ。

武良 実は、彼女が水俣病と関わりをもつことになったのも、猫を介してなんですねー。
というのは、漁師さんたちは、漁の網が鼠に食い千切られる被害、齧害(げつがい)と言いますけど、それを防ぐために必ず猫を飼っていたのですね。 石牟礼道子も人伝にその話を聞いて、自分の家の飼い猫が産んだ子猫を、人を介して、漁師さんに上げていたわけです。
漁師の家の猫の名前はみんな「ミイ」で、村中「ミイ」猫だらけなんです。
後になって、漁師町一帯で猫たちが、きりきり舞いをするように踊り狂って、まるで自殺するみたいに、石垣に突進して頭を打ち付けて悶絶したり、海に飛び込んで大量に死ぬという事態が起きたわけです。
 そんな噂を聞いた石牟礼道子は、自分があげた子猫たちがどうなったか心配になって、漁師町に足を踏み入れて、その地獄図を目の当たりにしたわけです。まだ水俣病という公式名などない、「奇病」とか言われて、噂話になって市民に気味悪がられた時期です。
 その地獄図を見た石牟礼道子は絶句したでしょうね。言葉を失ったと思います。
 それから数年後、永い絶句と沈黙を抱きしめて、『苦海浄土』の前身にあたる作品が書かれてゆくことになるわけです。そんなふうに、言葉を失うような体験をして、それでもそこに言葉を与えようと、自分を奮い立たせたのでしょうね。
だから魂を打つような文学が生まれたのだと思います。以上です。

スクリーンショット (5248)

スクリーンショット (5247)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?