千葉俳句会 凡の会 合同句文集 鑑賞
本句文集は次のような構成の編集になっている。
素敵なカラー扉とタイトルを持つ句文集で、俳句作品、最後に一ページの小文という構成で、その小文に思い思いの回想的随筆と、千葉信子主宰への多様な謝辞が述べられていて興味深く読んだ。
そして最後に、主宰の千葉信子氏の慈愛に満ちた評文が添えられている。
その的確な評もまた味わい深い。
※
収録句から特に印象に残った句を以下に揚げる。◎印の句が最後のページに千葉信子氏が評文を書いている句である。
千葉信子氏の薫陶を得た結果の作品であることが頷ける。
千葉信子氏の作句姿勢と同様に、日々を丁寧に生きる姿勢から生まれる、新鮮な発見と命のときめきを感じる秀句ばかりである。
選出した各句の下に※をつけて、表現と主題に訴求力を感じた点を書き添える。
加藤憲子「母が居る」から ※ 武良感想
開花して桜は空へかけあがる ※「かけあがる」
つゆ草が咲くから青い雨になる ※「から」と「青い雨」
台風の目玉がしんと北上す ※「しんと」
金木犀かげのなかにも溢れをり ※「かげのなかにも」
◎ 焼き芋を二つに割れば母の顔 ※「割れば」の「ば」
休耕田白鳥百羽向き替ふる ※ 集団としての命の厚み
裸木のすき間すき間の風のいろ ※「すき間すき間の」の「の」
「焼き芋」の句について、千葉信子氏は「悲しみ」を受け止めて評している。「割れば」の「ば」の響きについての、実に繊細で的確な評だと感服した。
藤田寿子「俳句とプル」から ※武良感想
堤防の日差しふくらむ梅三分 ※「堤防の日差しふくらむ」
帰宅まつ耳を大きく台風圏 ※「耳を大きく」
◎ 雲の峰クロスワードの穴埋める ※「クロスワードの穴」の取り合わせ
菖蒲田の水のよろこぶ雲一つ ※「水のよろこぶ」
更衣つくばひの水あふれけり ※「更衣」との取り合わせの妙
逝く人の笑顔のやうな水中花 ※「逝く人の笑顔」
◎ レントゲン写真の骨がずれて秋 ※「て」で切れて「秋」と置く呼吸
亡き夫に初雪ほんの少しかな ※「ほんの少し」
千葉信子氏は、詩にはない季語という「働きもの」に七十パーセントを託し、省略の詩というスリリングな作業で、読み手に委ねることの大切さという言葉を、これらの句に添えている。それが出来ている句だということだ。
宮野遊子「山桜」から ※武良感想
春笋(じゅん)や帰りたくても帰れない ※「帰りたくても」の意味の二重性
◎ 古里の野菜にこぼれ桃の花 ※「野菜に」の「に」
明け易し登校の列のびちぢみ ※「のびちぢみ」
昼食は手のとどくもの茄子トマト ※「手のとどくもの」
水中り粥一粒を力とす ※「一粒を」の「を」
もの噛めば耳がもの言ふ寒の入り ※「耳がもの言ふ」
千葉信子氏は「野菜にこぼれ」の表現を「よく観察できました」と評している。野菜のみずみずしさと、下五の季語「桃花」と相俟って景色まで浮かぶと評価している。
森田弘子「落し文」から ※武良感想
嘘をつくことも介護や春の虹 ※「ことも」の「も」
一人てふ安らぎもありヒヤシンス ※「安らぎも」の「も」
囀やもうひと言が告げられぬ ※「囀」と「ひと言も」の対比
蛍袋の息漏らすときふるえをり ※「漏らすとき」の「とき」
こみあげる言葉をたたむ落し文 ※「言葉をたたむ」
詩の中へ父母を引き込む蛍狩り ※「詩の中へ」
一歩ずつ秋はしずかに降りてくる ※「一歩ずつ」「しずかに」
振り向けばコスモス揺れるまだ揺れる ※「まだ揺れる」
◎ 二度となき看取りの刻を寒ざくら ※「二度となき」「刻」
二十年近くの両親の介護の日々と、それを為し終えた後の寂しさが滲む句。心の闇の部分は封印し一言「ぽろっと」。それを詩という、と千葉信子氏は評している。
岡崎 翠「道」から ※武良感想
ふふふふと紐ふれあふて蝌蚪の足 ※「ふふふふと」「ふれあふて」
花かごのカーネーションは背伸びする ※「背伸びする」
片寄りし蓮回廊のももいろに ※「片寄りし」「ももいろに」
どの蝉の洋服なのと子の言へり ※「何が」の省略
柿の木に梯子の懸かりしまま昏るる ※「まま昏るる」
散骨の舟屋に膝をつけば秋 ※「膝をつけば」
曼殊沙華焦げし赤だと後ろから ※「後ろから」
大寒や岬鼻とがる九十九里 ※「とがる」
探梅や先ゆく影のふくらめり ※「ふくらめり」
◎ 耳遠き夫の大声去年今年 ※「去年今年」
千葉信子氏は通常の「大声」の印象を裏切る一脈の寂しさの表現だと評している。「片寄りし」「曼殊沙華」の句など、全体に「写生の目が光っていました」と評価している。
宮下奈緒「鍵盤」から ※武良感想
仮の世は土筆明りと思ふべし ※「土筆明り」と「べし」
山ざくら角のとけゆく角砂糖 ※「角砂糖」の「角」
下総の雲が雲追ふ菜種梅雨 ※「雲が雲追ふ」
日に向かふたびにはずみてしやぼん玉 ※「たびに」
目玉目玉目高の目玉透きとほり ※「目玉」のリズムと下五の終止
菖蒲湯や一家まるごと灯りつく ※「まるごと」
色褪せし風のぬけゆく籠枕 ※「色褪せし風」
鬼灯は子が笑ふたび赤くなる ※「笑ふたび」
にはとりの総立ち二百十日かな ※「総立ち」
ラグビーのボール俄に獸めく ※「俄に」
◎ 一トンの牝馬の駆ける大旦 ※「一トンの牝馬」
広大な北海道を見事に捉えて魅力的、と千葉信子氏は評している。明るさと確かな目が奈緒さんの真骨頂だと奨励している。
川又 優「秋刀魚」から ※武良感想
葱坊主ぷくとふくらむ反抗期 ※「ぷくとふくらむ」
椿の葉輝いてゐる母のやう ※家族の表現が秀逸
春彼岸父より笑顔受け継ぎて ※ 〃
弟の逝きて沈丁の香が濃ゆし ※ 〃
青嵐地球ざはざはして来たる ※「地球ざはざは」
晩学の筆の運びも夏に入る ※「晩学の筆の運び」
廃校のかはききつたる蝉しぐれ ※「かはききつたる」
菊人形もののふはみな目を閉づる ※「もののふきむみな目を閉づる」
◎ 姿よき秋刀魚のやうに寝てみたる ※「姿よき」
寒卵自立の道をふり返る ※「寒卵」と「自立の道」
作者の笑顔が見える「姿よき」の「なんとくすぐる言葉なのだろう」と、千葉信子氏は評している。俳人以外の人の心にも達する「普遍的な要素」が俳句には大切、と説いてる。「姿よき」の句にはそれがあると。
吉田礼子「万両」から ※武良感想
玉砂利を踏んで一人の淑気かな ※「一人の」
水浴びし鳥翔つ空を恵方とす ※「鳥翔つ空を」
形なき水流れだす桃の花 ※「形なき水」
芹の水昨日のやうに今日があり ※「昨日のやうに今日」
人疲れ千鳥ヶ淵の花疲れ ※「疲れ」のリフレイン
潮の香の葭簀をぬけて母もゐる ※「葭簀をぬけて」と母
白南風やたいらに鳶の下りてくる ※「たいらに」
長崎忌朝から喉かはきをり ※「長崎忌」と喉の渇き
冬瓜のどてつと土間を狭くする ※「どてつと土間を」の韻踏み
◎ 万両の鳥に喰はれるまでの赤 ※「までの赤」
万両の赤さを鳥に食べられるまでの「時間」で表現したのが新鮮。そう表現することで立ち上がってくる複雑な思いがある。千葉信子氏は実際の風景の「説明」ではなく「俳句における発見」が大事と評している。
阿部さくら「フィレンツェより」から ※武良感想
◎ 水温む山椒魚の大欠伸 ※「大欠伸」
風の盆時計廻りの輪に入る ※「時計廻りの」
雨催ひ風のこみあふ百日紅 ※「風のこみあふ」
絵手紙の海あふれ出す終戦日 ※上五中七の表現
追伸のさざなみのごとかなかなかな ※「ざさなみのごと」
雁渡る翼の欲しいモアイ像 ※「翼の欲しい」
秋の七草常のごと径分れ ※「常のごと」
冬空を大円に抜く観覧車 ※「抜く」
千葉信子氏は「水温む」の季語が適切でおおらかな一句と評している。水に恵まれた国の季語である、と。俳句は省略の詩学とも。
里見さち「初蝶」から ※武良感想
◎ 初蝶の大きな影のぶつかり来 ※「影のぶつかり来」
ふくらめる栗鼠のポケット山笑う ※「栗鼠のポケット」
密林の戦車も遺骨敗戦忌 ※「戦車も遺骨」
ショパンの余韻さんまに塩を振るときも ※取り合わせの妙
ここも又花野とおもふにぎり飯 ※「にぎり飯」の新鮮な表現
虫の闇柩の闇の通ひあふ ※「闇」で響き合う命の生死
棄つるもの指を離れぬ寒さかな ※「指を離れぬ」
平成の次も旅人除夜の鐘 ※月日も百代の過客
写生らしい写生は古くなり、逆の鮮烈描写は野暮になる。個性的過ぎる自己主張をしない飯田龍太的「詩は無名がいい」を、あなたにプレゼントしましょうと、千葉信子氏はこの句を評している。
五味ちひろ「春キャベツ」から ※武良感想
万物のひびく朝を卒業す ※「万物のひびく朝」
蒲公英や青き地球を分かち合ふ ※「分かち合ふ」
ハモニカの手書きの譜面花つむじ ※「手書きの」
◎ 二歳児のギャザースカート春キャベツ ※「二歳児の」
卒業の息を吐ききる校歌かな ※「吐ききる」
看護師の手の甲のメモ大西日 ※「の」で繋いで「大西日」
菜園が第二の職場ソーダ水 ※「第二の職場」
逆光を透ける紅葉のまだもみじ ※「を」「まだもみじ」
明るさとやさしさが滲み出ていて、新鮮、と千葉信子氏は評している。動詞を使わず句ごとに言葉を繋ぐ工夫がされていて味わい深い。
みうら翔「ももの花」 ※武良感想
荒武者のごと春笋の籠に入る ※「荒武者のごと」
来蟷螂祭りのやうに湧き出づる ※「祭りのやうに」生命の豊穣感
◎ 青芝の海広がりて魚になる ※「魚になる」
君逝きてほうたるひとつ生まれけり ※「ほうたるひとつ」
ひよんの実のちひさな闇を吹いてみる ※「ちひさな闇」命の痕跡
星空を閉ぢ込めてゐる氷面鏡 ※「閉ぢこめて」
凍星や別れしあとの手のぬくみ ※「手のぬくみ」
埋火やふるさと訛掘りおこす ※「堀りおこす」
千葉信子氏は「魚のごとく」と知的な判断を介入せず、「海広がりて魚になる」と感じたままに詠んだ点を評価している。一種の幻視詠だがこの句のように素直に詠んで成功するのは案外難しいものだ。
永井奈々「蓬莱橋」 ※武良感想
花一句背ナのうしろはみんな過去 ※「背」「うしろ」「過去」の非凡
冴返る別れて人は近くなり ※「近くなり」
今が幸せふらここの晴れぐあい ※揺れ具合ではなく「晴れぐあい」
今生を分け入つてゆく白い靴 ※「分け入つて」「白い靴」
木漏れ日といへど光の尖りけり ※「尖りけり」
過去はひらがな里山は深みどり ※対句のようなリズム「ひらがな」
◎ うすものを着て羅の句を詠めず ※「在る今」の客観視の困難
秋刀魚焼く匂ひ家ごと日暮れごと ※「日暮れごと」
悴むや筆圧のなき便りかな ※「筆圧のなき」
◎ 幸せはこんなもんかい餅二つ ※ささやかであることの肯定感
凍土(つんどら)の戦かたらず夫逝きぬ ※「戦かたらず」
恵方とは子等のくる道南南東 ※個別的幸の「南南東」
しみじみとした伝統俳句派的な同人作品が多い中で、ただ今この時を呼吸する作風に共感した。千葉信子氏はこの作者の俳句を「ロックだ」と評している。日記をロックにした表現力に感銘を受けた。
織田宗卯「歳月の彩」から ※武良感想
一歳の笑ふいのちや初明り ※「笑ふいのち」
はるかきて拳のゆるみ寒明ける ※「拳のゆるみ」
糊かたきシーツが梅雨の空を裂く ※「糊かたき」「空を裂く」
秋暑し風の椅子ある停留所 ※「風の椅子」
法師蝉鳴くと追伸ただ一行 ※「ただ一行」
◎ こゑかけてくる松虫と通夜にをり ※「こゑかけてくる」「通夜」
百舌鳴いて白樺肌をゆるめたり ※「ゆるめたり」
通常の伝統俳句の表現方法の「写生」という受け身では「こゑかけてくる」という表現はなかなかできない。作者の姿勢が能動的に季節と景の中を生きているからできる表現。千葉信子氏もそのことを指摘して、「通夜にゐる」ではなく「通夜にをり」とした違いの冴えを評している。
小林 稔
◎ 貝殻を置き去りにして秋の海 ※「置き去り」「秋の海」
故人となられた同人の句のようだ。辞世の句ということになるが、臨終の時ではなく、生前の覚悟の詠として用意された句らしい。
適切な千葉信子氏の評をそのまま左記に摘録する。
※
今までの稔さんなら下五は(俳句としての完成度を考えて)「海の秋」にするが、「自分がいなくなるのは春か夏か……秋まで生きられるか。いずれにせよ家族はどうなるのか。」と、時間の経過に関心が向いていて、残される家族を案じていたのだろう。
※
以上がこの句文集に収められた同人たちの作品である。
故人となられた小林稔氏だけでなく、「そのときに臨んで」用意しているような覚悟と緊張感がある作品が多いように感じた。
最後は千葉信子主宰の作品である。
同人たちに、その深い人間的洞察と、俳句全般についての深い蘊蓄に富んだ視座からの、適切な助言をし続けているこの句会の、さらなる存続を希望してやみません。
千葉信子「雪女」 ※武良感想
籾ひたす芽をだしさうな水平線 ※下五の「水平線」が見事
あまりにも雲をはなれて蕗の薹 ※「あまりにも」「雲をはなれて」
狐火や孵らざるもの孵るもの ※一句の成立する視座自身
嚏して影よりはやく目をつむる ※「影よりはやく」
泣き声も目玉も入れて雪達磨 ※「泣き声」「も」
一月の根雪おそろし核怖ろし ※一句の成立する視座自身
かいつぶり地球そろそろ痒くなる ※一句の成立する視座自身
木琴が言葉をさがす寒桜 ※「言葉をさがす」
指紋なき菊人形の殺気かな ※「指紋なき」「殺気」
科白とはちがふ間のあり霜の声 ※「科白とはちがふ間」
みどりごの真水のやうな汗ぬぐふ ※「真水のやうな汗」
地軸傾け大白鳥の回帰線 ※一句の成立する視座自身
斧始地球もつともふくらめり ※「もつともふくらめり」
やはり千葉信子主宰の作品は同人たちの水準を超えて輝いている。
私の「一言感想」の「一句の成立する視座自身」という言葉には少し解説が必要だろうか。この言葉が、この表現がいいとか凄いとかいうような感想を受け付けない句であるという意味だ。
狐火や孵らざるもの孵るもの
「狐火」は三冬の季語で、冬の暗夜、山野に見える怪しい火のむことで、鬼火、燐火などの類である。狐が口から吐いているという俗説に基づく季語である。自然の不思議、野生自身の本来の姿の意を含み持つ季語だ。
「孵らざるもの孵るもの」はそんな本来的な自然の中で、全うできる命もできない命もある厳しさを表現したものだろう。取り合わせの妙もさることながら、その作句の根底にある思想性、視座が深いのだ。
一月の根雪おそろし核怖ろし
いわゆる「社会性俳句」と一線を画す見事な俳句だ。言葉がスローガン化しがちな社会性俳句臭さが微塵もない。心底「怖い」ということの、はっとするような衝撃がある。
かいつぶり地球そろそろ痒くなる
この作品も通常的な発想や視座からでは生まれないだろう。地球規模、宇宙からの俯瞰的視野の広さ、それが大言壮語的にならないのは、「痒くなる」という身体に引き付けた表現で結ばれているからだろう。
地軸傾け大白鳥の回帰線
傾いて地平に沈んでゆくのは「大白鳥」という星座だが、それを「地軸傾け」と表現するのは、その視座が宇宙的だからだ。「回帰線」というのは、赤道傾斜角(地球では23度26分)の緯線である。至線(しせん)ともいう。太陽が地表を照らす角度(太陽高度、仰角)は季節と時刻によって変化する。いちばん角度が大きくなる正午ごろの場合(このときの太陽の角度を南中高度という)、春分と秋分の日には赤道上で鉛直に照らす。また北半球の夏至には北緯23度26分で、北半球の冬至には南緯23度26分で太陽が鉛直に照らす。この緯度が最も高緯度で太陽が天頂に来る地域であり前者を北回帰線、後者を南回帰線、あわせて回帰線と呼ぶ。(以上ウェブ辞典から)
この「回帰線」と言う下五の措辞によって、宇宙的営みの中で、私たちの命の今があることを、壮大な気分で実感させ直す句である。
斧始地球もつともふくらめり
このミニ句集の掉尾に置かれた句も宇宙的視座の表現である。
「斧始」は正月十一日、大阪市四天王寺金堂で行われる儀式を原義とする季語だ。正番匠は黒袍を、他の権番匠や副大工は狩衣大紋を着て、金堂内に横たえた材 木に手斧をふるう。関連季語に「手斧始 (ちょうなはじめ)」があり、これは大工など建築に携わる人の仕事始めの儀式のこと。一年間の安全と繁栄を祈る季語で、どちらもこの気持ちが込められているのは同じである。その気持ちが中七・下五の「地球もつともふくらめり」という表現にしっくり寄り添う。命の躍動感が伝わってくる。
全句、全く年齢を感じさせない。円熟の「年輪」を感じさせる句はかりで感服する。
※
千葉信子氏のご子息、千葉秀樹氏がこの句文集の編集発行に尽力され、扉と各句文集のタイトルページのデザインも千葉秀樹氏によるものだ。