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書きたいことを書くための仕込みの時間、これからの執筆活動の決意について。
久しぶりにnoteを書く。
この1年ほど、公私ともにあまりにもたくさんのことがあって、喜怒哀楽の感情の大波に揉まれる日々だった。
そのため、SNSはTwitterやInstagramに日常の想いを吐露する程度しか使用しておらず、noteでの活動については、ほとんど絶筆気味になっていた。
物書きとしてアウトプットで成果を出す前段階で、人間的にぶつかる色んな事柄に、ひとつひとつ答えを出していく必要がある1年だったと思う。
そして、この1年は、先々に大きな分量の文章を書くための、長大な仕込みの時間でもあった。
色んな人に出会い、色んな話をした。たくさんの想いが交錯し、ある人たちとは深く絆を深め、ある人たちは離れていった。つい1〜2年前までは親しく大切な存在だったはずなのに、二度と会えなくなった人たちだっていた。大きく得るものもあれば、大きく失うものもあった。そんな濃厚な時間が過ぎていった。
書きたいことは山ほどある。
だけど、この1年の間に体験したことや、感情の起伏のどれもこれもが、あまりにも鮮明で、すぐに文章にするには重過ぎた。体験や感情の起伏の色味や、解像度が高すぎたのである。
人前に出せるくらいの文章に落とし込むためには、体験や感情の起伏を、主観と客観で立体的に観察し、ある程度、全体像を俯瞰してサマリーできるくらいまでには、書きたい事柄と自分の間に、距離を取る必要がある。
いろんな文章の書き方があるけれど、僕のこれまでの経験則的に、書きたい事柄はある程度、体験の色味を把握し、解像度を下げ、データ容量を調整してから文章にしなければ、読み手には伝わらないと思っている。
この作業はちょうど、インターネットで取り扱うデータ容量の調整に似ている。生データのままでは、容量を食い過ぎて、ほとんどの人たちの持つ記憶と感情のストレージには、アップロードしてもらうことができない。
この1年ほど、僕は毎日積み重なるさまざまな出来事を主観で体験しつつ、できる限り客観的に観察し、どうすれば容量を下げながら、わかりやすい文章にできるかどうかを考えていた。
体験や感情の起伏を読みやすい文章に書き下ろすには、仕込みの時間がかかる。
この1年で僕の中に蓄積された体験と感情の起伏の数々は、あまりにも重たい容量だったために、そのままでは、血肉の臭いが濃くて、とても人前に出せるようなものではなかった。
心の奥にある、記憶の鍋の中に体験や感情の起伏をどんどん放り込んで、コトコト煮込み、灰汁を取るには、相応の時間が必要だった。
だから、僕は沈黙することを覚えた。
手当たり次第にnote上で文章を書くことを、一旦やめたのである。
そして、やっと、色々なことに整理をつけて、体験や感情の起伏を煮込み尽くし、仕込みの時間を終えることができたような気がする。
これから、この1年間の体験と感情の起伏を、少しずつ文章にしていこうと思っているので、来年にかけて、長い時間をかけ、いくつかのテーマを丁寧にnoteへ書き下ろしていきたい。
まずは、休んでいたブランクを取り戻すためにも、近況報告のようなものから、書いてみようかな。
フリーランスの仕事について
今年は秋口にかけて、仕事面では、付き合う人間関係や取引の内容、協力関係などを、抜本的に見直した。
昨年の終わりから夏場にかけて、僕はフリーランスライターとしての執筆活動だけでなく、勢いのあるインフルエンサーや著名な方々との社交の場に顔を出したり、様々な企画を仲間たちと一緒に行ったり、時には経営や人間関係の相談を受けたりすることまで、なんでもやるようになっていた。
マルチタスクとオーバーワークを掛け持つような毎日で、少々、許容量を超えた活動をしていた。それゆえに、様々な場面で、ぶつかり合いが起こることも多々あった。
フリーランスという、自由裁量で仕事をする特殊な身分であるがゆえに、楽しさや勢いに任せて、単純に、引き受ける仕事の手を広げ過ぎていた。
そのため、秋口から参加する仕事を厳選し、受注したプロジェクトを動かすSEO プロライター・ディレクターとしての本来あるべきポジションに、マネタイズの主戦場を戻した。
これまで参加していた複数の仕事のうちのいくつかはクローズし、ルーチンだった仕事のいくつかは時間の流れとともに縮小の方向に動いていった。
代わりに、SEO プロライター・ディレクターとしてパフォーマンスを発揮できる大きな予算のプロジェクトをいくつか頂き、収益の軸を更新しながら、今に至る。
フリーランスの仕事は、月単位、シーズン単位、年単位でどんどんやるべきことが変わっていく。だからこそ、自分が取り組んでいる仕事が、いったいどんな種類の仕事なのかを、常に見極めていかなければならない。
お金のためなのか、信用のためなのか、あるいは、お金も信用も両方とも期待できるのか、優先度と重要度のマトリックスで物事を考えて、めまぐるしく依頼されるタスクの数々を、受けるか受けないか判断する。ひとりの経営者としての臭覚を鍛える1年でもあったように思う。
事業的な成長を振り返ると、フリーランス3期目の終盤を迎え、おおむね、毎年120〜130%の増益を続けることができている。これは本当に、周りの人たちとのご縁のおかげだと思っている。様々な運命的な出会いがあって、今の成長がある。心から感謝したい。
信用を積み重ねるための人間関係の構築と社交に、持ちうるすべての予算をかけて活動しているから、まだまだ資産運用に回すことができるほどの資本は形成できていないものの、来年は法人化も視野に入れて、大きく増益していきたいと考えている。
大人になった、といえば、そうなのかもしれない。仕事においては、なにひとつ不満はない。ある程度、自由に仕事を選びながら、全力で稼ぐ事に向き合うことができる環境は、何物にも代えがたい。必要としてくださるクライアントの方々には、頭の上がらない想いがある。
でも、だからこそ、というべきだろうか。
増益を見込んだ活動以外に、己の精神的な充足を実現していけるような活動にも、2020年は時間を多く割いていきたい。そのための投資は、惜しまずに行おうと思っている。
ありがたいことに、今の僕の周りには、尊敬すべきすごい人たちや、愛すべき仲間がたくさんいる。
だから、まだまだ頑張らなければいけない。
やっと、35歳にして、自分らしく戦うスタートラインに立ち始めることができているのかなと思う、今日この頃。遅咲きだけれど、もっと咲き誇れるように、仕事に邁進していく。
今後の活動について
これからやりたいことを、簡単に棚卸ししておこうと思う。具体的には、以下の事柄を実現していきたい。
① フリーランスとしての仕事
先ほどもお伝えしたとおり、2020年はさらなる増益、法人化を目指して、大型の継続プロジェクトをメインに活動していきたい。
これまでは単発の案件を積み重ねてきたところがあるものの、やはり法人化を考えるならば、長期的な継続取引に主眼を置いていかなければならないと思っている。
そのためには、これまでのように紹介からの受注商売だけを続けるのではなく(ありがたいことに、僕はフリーランスを始めて以降、100%紹介受注でこれまでやりくりしている)、取引のあるクライアントの皆様同士をつなぐアライアンスなどを自ら提案しながら、より広い視野で業務に取り組んでいく必要性を感じている。
② 物書きとしての活動
2019年は、ひたすらにビジネス的な動きに終始した1年だった。だからこそ、2020年は物書きとしての活動も、本格的に取り組んでいきたい。十分に、期は熟したと思っている。
具体的には、「自分が好きなものに密着して、自己資本を投下して取材活動を行う」ことと、「フリーランスとして、これまでの体験を書き下ろしていく」ことを並行して行っていきたい。
最もやりたいことは、自らの創作によって大きな波を作ることなのだけど、まずやるべきことは、自らの体験と感情の起伏を、具体的な読み物に落とし込んでいく作業だと思っている。
物語は、自ずとそこから生み出されていくだろう。
そして、僕の大好きなアーティストである、Yohji Yamamotoとのコラボレーションが話題の画家、内田すずめさんが、1月に個展を開かれるそうなので、それに向けて、僕なりに個人的に取材を進め、すずめさんの活動をドキュメントとして残していくことに貢献したいと思っている。
すずめさんはつい先日、noteを始められた。その中で、書いていらっしゃった文章に、「いつ死ぬかわからないから」というものがあった。
僕は、この死生観に強く共感している。
僕自身も、2018年〜2019年にかけてnoteを200記事以上書いてきたのだけど、その理由のひとつとして、「いつ死ぬかわからない」ということがあった。
今日という日が当たり前にあるわけではないからこそ、自らが生きていた足取りを残し、後世に少しでも貢献できる文章を書き、命を頂いたからには、何かを成し遂げていかなくてはならない。
すずめさんの作品や、作家自身が持つ物語を読み解いていくことは、僕自身の持つ物語を振り返り、立ち上げていくことにもつながると思っている。
2018年からYohji Yamamotoとコラボレーションし、すでに世界的な作家であるすずめさんのことを、このように未熟な物書きである僕が、並列な存在として書き現わすのは、非常におこがましいことかもしれない。
けれど、僕もまた、すずめさんの作品に出会ったことをきっかけとして、何かを書き残すことを使命づけられて、今を生きているように思うのである。
うまく説明できないけれど、すごくワクワクしているのだ。僕には、もっと面白いものが書ける、もっと大きな仕事につながる文章が書けるはずだと、根拠のない自信がある。
勝手ながら、これから個人的に、同世代に生きる素晴らしい作家の作品を、少しでも世に伝えていくことに貢献していきたい。
なお、昨年に書いた以下のnoteの記事は、Google上でも高い評価をいただいており、「内田すずめ」で検索すると2〜3位に表示される状態になっている。
けれど、2020年になれば少しずつ、その情報も古いものになっていくだろう。
だからこそ、11月5日に参加した下北沢B&Bで開催されたトークイベントをはじめ、今後の11月16日の大阪Vogue Fashion's Night Out、1月の個展などの取材を続け、最新の動向に密着していきたいと思っている。
この命尽きるまで
今日は長くなったので、取り急ぎ、ここまでにしておこうと思う。
最近、すごく考えるのは、35歳というのは、僕の人生にとって、ひとつの大きな分水嶺だということである。
村上春樹の小説で、どの作品だったかは忘れたけれど、主人公が自らの人生の分水嶺を過ぎたことを実感する場面が書かれているものがあった。
分水嶺とは、物事の方向性が決まる分かれ目のたとえのことだ。それより先に進んでしまえば、もう後戻りすることはできない。
これは動物的な勘のようなものだけど、今の僕の人生は、すでに、この分水嶺を越えようとしていると思うのである。
それによって、これまでの僕にはできなかった大きな仕事を、成し遂げることができるようになるかもしれない。一方で、一瞬でも判断を誤れば、もう二度と、同じようなチャンスは巡ってこないかもしれない。
今、この文章を書いている間も、大きな時計の針が動いているのを感じている。刻一刻と迫る、避けがたい瞬間の数々。その時に備えて、この命尽きるまで、僕は文章を書いて生きていく。
非常に重い覚悟を持って、2020年に向け、己を奮い立たせて、書かざるを得ない物語を、書き綴っていきたい。
それでは、また。
ぽんぽんぽん。
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