2022.05.24 permian
音を出す事に余計な思考があまりなく。ただその空間に反応していく選択の連続の時間。大きな世界の中で僕はただがむしゃらに踊るだけだった。1人では到達できないだろう存在になっている自分に悦びを感じて楽しくてしょうがなかった。終わらないでと思いながらも身体の癖や音の癖を、俯瞰した自分が見つめていたりそのルーティンみたいなものを毛嫌いもしていた。対ヒトである事が自分の性格を浮き彫りにするような瞬間もあって悔しくもなった。
表現しているという感覚もなく、ただひたすらに聞こえてくる音を聞き、肌で感じて反応する。呼応するようにあるけど全く違う世界線が3つそこにただ存在しているだけ。でもどこか大きな世界では共鳴しあっているのかなぁと思ったりするけど、こんな僕にはそんな事はわかるはずもない。
時にその聞こえてくる音への反応を裏切りたい欲までもが自分の中に生まれ、、こんな時にも天の邪鬼な自分が出ることに、なんて傲慢なんだろうなと、いま振り返ると思う。
足で床を踏むこと。なにかを吐き出すようにしかタップを踊る事が出来ない僕には、こういう時間はとても貴重なんだと思う。ソロで踊る時にもこんな風に踊る人になりたい。もしかしたらタップと呼べないかもしれないし、人から求められてないかもしれないけど、僕は1人でこんな踊りが踊りたいんだと思う。でも1人ではなかなかこんな風にはなれないんだろうな。
足裏の感覚と呼吸と身体のインナーを感じる事ができた。なんだかそんな事全部をひっくるめて楽しかったという言葉に尽きる夜だった。
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