西野亮廣作品の考察⑤/「ブルーノ」の名前の由来~ヨーロッパに実在した2人のブルーノ~
今回はヨーロッパに実在した2人のブルーノの生涯と、えんとつ町のプペル及び西野亮廣作品との繋がりについて考察していきます。
考察②を読んで、なんで急にユダヤ出てきたんや!ってなった人に朗報です。
これを読んだらきっと、モヤモヤがほんのり晴れます。ほんのりです。ほんのり。
#ハードルを下げるために3回言った
私は、ブルーノのモデル(名前の由来になった人)は、現段階では2人いると思っています。
(※ビジュアルのモデルはET-KINGのいときんさんだよ)
(「えんとつ町のプペル」 Covered by ET-KING)
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1.ジョルダーノ・ブルーノ
ジョルダーノ・ブルーノ(Giordano Bruno, 1548年 - 1600年2月17日)は、イタリア出身の哲学者、ドミニコ会の修道士。神学博士。
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細かい説明は省きますが、ざっくり言うと当時の常識を覆すような宇宙論を説いたりして、異端審問所に捕えられて殺された人です。
詳しく知りたい人は名前のとこクリックしたらWikipedia飛べるから読んでみて!
- 西野亮廣作品と繋がる部分▼
・ジョルダーノ・ブルーノは異端の嫌疑をかけられ、異端審問所に殺された
→えんとつ町のプペルのブルーノと共通する
ジョルダーノブルーノは、神への冒瀆、不道徳な行為、教義神学に反する教説や、魔術・占術の信奉、輪廻説の支持、哲学と宇宙論にみられるいくつかの点などが問題とされ、自説を撤回することも拒否したために異端だとして死刑判決を下され、火刑にて殺された。
(ヨーロッパでは、火刑は宗教的異端者や魔女狩りで、魔女とされた者に対して科せられることが多かった)
・ブルーノの宇宙論
ジョルダーノ・ブルーノは地動説を主張していた。当時は天動説が広く信じられていたため、「地球自体が回転しており、それによって地球上からは見かけ上天球が回転しているように見える」という主張は画期的だった。
また、それまで信じられていた地球中心説などを否定し、宇宙は無限に広がっており、地球も太陽も宇宙の1つの星にすぎないと主張した。
それは宇宙の中で地球だけが生命の存在できる空間で、地球だけが特別な星であるという当時のキリスト教的宇宙観を覆すものだった。
近代以降の宇宙観を先取りするような説だったが、あくまで直感であり自然観察をもとにしたものではなかった為に、ジョルダーノ・ブルーノの説は魔術に属するものとされ、異端の宣告をされた。
一般的には、1600年に行われたジョルダーノ・ブルーノの処刑をもって、ルネサンス時代の終わりとされる。
(これ読む人は分かってるだろうという前提で書いてましたが一応改めて書いとくと、西野さんの作品は全て繋がっていて、大筋としては宇宙創造を描いています。例えば「えんとつ町のプペル」もその中のほんの一部。)
ちなみにジョルダーノ・ブルーノは異端審問所から逃れて放浪生活を送っていた時、北イタリア各地で文法や天文学を教えていた。
異端者で反感を買っていたために大学側から受け入れてもらえず、なかなか教授として雇ってもらえなかったが、ブルーノはとにかく教壇に立ちたかったらしく、放浪を繰り返していた。
そもそもジョルダーノ・ブルーノに関しては、西野さんがライブ配信でブルーノのモデルだって言ってたので間違いないです。
※ちなみに、月にはジョルダーノ・ブルーノと名付けられたクレーターがある。ただの豆知識。関係あるかはわからん!
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そしてもう1人、私がブルーノのモデル(名前の由来)だと思っている人がこちら。
2.ブルーノ・タウト
ブルーノ・タウト(Bruno Julius Floria Taut、1880年5月4日 - 1938年12月24日)は、ドイツの東プロイセン・ケーニヒスベルク生まれの建築家、都市計画家。表現主義の建築家として知られており、多くの著作を残している。
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何をした人かざっくり挙げると、
・第一次世界大戦が始まる前の1913年に国際建築博覧会で「鉄の記念塔」を作り、1914年にはドイツ工作連盟の展覧会に「ガラスの家」を出展し、それが評価され、 若手建築家として有名になった。
・同じ時期に田園都市ファルケンベルクの住宅群を設計した。それがベルリンのモダニズム集合住宅群の一部として世界遺産(文化遺産)に登録されている。
・第一次世界大戦中は国内各地で後方支援に動員されていたために建築活動は中断しているが、戦時中からユートピア的な建築論の著作とスケッチに着手して、戦後、相次いで出版した。
そのうち、画帖(画集)『アルプス建築』『都市の解体』『宇宙建築師』はユートピア三部作と呼ばれている。これらは主に宇宙を舞台とした実現不可能なユートピア構想のイメージ図である。
(本当はここめちゃくちゃ掘り下げたいけど死ぬほど長くなるので端折ります)
・1921年から1924年まで、マクデブルク市の建築監に就任して都市計画を行い、「色彩宣言」を発表。建築物はすべて色彩を持たねばならないと主張して、市の庁舎や集合住宅に彩色を施した。
・1924年から1930年までの間には、ベルリンで多くの集合住宅(ジードルング)の設計に携わり、その戸数は12,000戸にものぼる。それらはドイツ・モダニズムを代表する建築として一般的にも評価され、その一部も世界遺産として登録されている。
(※世界遺産となっているベルリンの6つの集合住宅のうち、4つがタウトの設計。1つは上に書いた田園都市ファルケンベルク。)
・ヒトラーが首相になり、ナチス・ドイツに目をつけられ、亡命のために国外逃亡し、1933年(昭和8年)5月3日、日本に来た。
タウトは1936年(昭和11年)10月までの約3年半、日本に滞在していた。
日本滞在中はあまり建築家としての仕事に恵まれなかったが、代わりに多くの著書を残している。
-西野亮廣作品(主にえんとつ町のプペル)と繋がる部分▼
・タウトがドイツ人であり、生きていた時代がえんとつ町のプペルの時代と重なること
→細かい説明省きますが今までの考察読んだ人なら繋がるのわかるかなと思います。
(分からなかったら私の説明不足なんですいません。笑)
・タウトが出した「色彩宣言」
→えんとつ町の建物の壁や服装の色彩は派手という裏設定がある
→色彩宣言以前にタウトが作った集合住宅などもカラフルなものが多い
・タウトが都市計画と集合住宅の権威であること
→えんとつ町は狭い土地に多くの人が住むため、ミルフィーユのように複雑な構造になっている。
えんとつ町は長崎にある軍艦島もモデルとなっているのだが、軍艦島も狭い土地に多くの人が住むため、高層の集合住宅がどんどん建設された。
タウトも、産業化にともなう人口増加による住居不足を解消するために、ベルリン市内に労働者向けの安価な集合住宅を複数建てた。
・タウトは社会主義者で反ナチスを貫いていた(異端者だった)といったことからナチスから迫害された
→異端審問所に殺されたブルーノと共通している。
→ルビッチのモデル(名前の由来)であるエルンスト・ルビッチもナチスから迫害を受けていた(※こちらはユダヤ人であるからという理由での迫害)
・タウトはナチスに命が狙われることを分かっていながらも、自分の信念(平和思想)を貫き通した
→えんとつ町のプペルの「ブルーノ」と人間性や生涯、平和思想が共通している
タウトは建築家としても成功していたし、ベルリンで大学教授をしていたために社会的地位もあった。
つまり反ナチスや社会主義の姿勢を表向きにでもやめていれば亡命しなきゃいけないこともなかったし、そのままドイツで裕福に暮らせていたはず。
それでも、その地位を捨てて、子供たちと離れなきゃいけなくなっても、反ナチス・反戦争という信念を貫いた。
ナチスから迫害されて亡命していたために、ユダヤ人なのだと間違った認識をされていたことも多かったが、タウトの場合はあくまで自分で選択して、より険しい道に進んでいる。
・タウトは日本滞在中、その多くを高崎で過ごしたが、高崎時代は「井上工房」にて顧問をし、工芸品のデザインなどをしていた
→『映画 えんとつ町のプペル』の作中、トンボ玉を作るシーンや、プペルの銅像を作るシーンが出てくるが、あの場所の名前は「ぬくもり工房」である。
タウトはドイツ人でありながらも本当に日本を愛していて、地場産業の育成のために様々な工芸品のデザインを行い、仙台の国立工芸指導所や群馬県工芸所で指導にあたり、後進の育成に努めた。
竹、和紙、漆器など日本の素材を生かし、モダンな作品も発表している。
※ぬくもり工房の“ぬくもり”はたしか静岡にあるぬくもりの森から取っているはず。
(キングコング西野 公式ブログ:ぬくもりの森)
・タウトは日本や日本の建築を愛していた
→ルビッチたち家族の家は、タウトが愛したような昔ながらの日本家屋のデザインに、ガラス張りのモダンな部分が共存している。
(▷タウトがデザインした熱海の旧日向別邸)
(▷日本にいた3年半のうち、2年半近く住んでいた高崎の少林山達磨寺にある洗心亭)
(▷『映画 えんとつ町のプペル』に出てくるルビッチたち家族の家)
ルビッチの家の2階のところにあるガラス張りの部分はおそらく星を見るためではないかと推測しているが、タウトはガラス建築も好んでいた。
「ガラスの家」において、タウトは、色彩豊かなガラスに包まれた空間を作り上げた。そこに刻まれたタウトが敬愛する詩人シェーアバルトの詩の一節に「ガラスは我らに新時代を到来させる」というのがある。
「ガラスの家」だけでなく、画帖『アルプス建築』などからもわかるが、ガラスはタウトにとって思い入れのある素材だったのではないかと考えられている。
(▷これはタウトが高崎の井上工房にいた頃デザインした5色のガラスでできた62ピースの積木セット。「ダンダナー、おとぎの国」と名づけられている。所蔵:少林山達磨寺)
・タウトは高崎の達磨寺に住んでいた頃、碓氷川の洪水で被災した八幡村に義援金を贈り、そのお金で全戸に「水害見舞 ブルーノ・タウト」と書かれたバケツが配られた
→プペルの口とアゴは、バケツでできている
タウトは十分な生活費もなく、ドイツから持ってきたお金を切り崩すような生活をしていたのにも関わらず、言葉も通じない多くの日本人を助けた。
(#こうやって災害が起きた時に寄付したりするの西野さんっぽいよね)
・タウトが住んでいた洗心亭がある群馬県の少林山達磨寺は、本堂に北辰鎮宅霊符尊を祀っている
この北辰とは、北極星のことで、北辰鎮宅霊符尊は北極星(または北斗七星)を神格化したもの。
(『北辰鎮宅霊符尊』は主に道教での呼び名で、仏教では『北辰妙見菩薩』、神道では『天御中主神』と習合される。)
→考察④の話になるが、プペル(ブルーノ)の心臓が上に上がって赤い星になったあと、他の星は動いてたけどその赤い星は動いてなかったことから、北極星ではないかと考えていて、北辰はそこに繋がる。
また、北極星が祀られていることを知ったタウトは、同じケーニヒスベルク出身で敬愛する哲学者イマヌエル・カントの言葉「わが頭上の星、わが内なる道徳律」だと喜んだ。
イマヌエル・カントは平和主義者で、永久平和の本を出し、「とにかく絶対に戦争はいけない」と説いていた。
タウトの平和主義といった思想は、カントの影響を多分に受けている。
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ジョルダーノ・ブルーノはライブ配信でちらっと言っていたけれど、ブルーノ・タウトに関してはえんとつ町のプペルのブルーノのモデルであると西野さんはたぶん一言も言ったことがないし(少なくとも私は聞いたことない)、絶対にそうだとは言いきれない。
しかしブルーノという名前を付ける段階で調べまくってるはずの西野さんがタウトを知らないわけがないので、ここまで繋がる部分が多いと、可能性は高いのではないかと思う。
ちなみに、ブルーノ・タウトを受け入れた達磨寺の廣瀬大蟲住職は、日本が原子力発電を始めようとした時に反対し、「電気のある便利な生活よりも貧しい生活でいい。あんなものはいらない。」という手紙を読売新聞の正力松太郎社主に出したりしていたらしい。
住職はそういう人だったからこそ、亡命者であり、普通は厄介な存在であるタウトを喜んで受け入れたのではないかと言われている。
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【ブルーノ・タウトについての補足】
・第一次世界大戦前後の、ユートピア的建築スケッチとジードルング(集合住宅)という対極的な作品は、タウトが夢と現実を区別した結果とされている。
・画帖『宇宙建築師』は全部で28枚のスケッチからなり、全体の構成はプロセニアム(額縁舞台)での上映が想定されており、紙芝居のように描かれている。
スケッチ1は幕が開かれるところから始まり、そこには何も無い宇宙空間があり、音楽と色鮮やかな光で満たされている。
(▷プロセニアム)
『宇宙建築師』の大まかな全体のテーマは「崩壊と再生」であり、それは当時(第一次世界大戦前後)の社会の崩壊と再生を象徴的に表現するものだったと考えられている。
・画帖『アルプス建築』の第5章(最終章)「星辰建築」は、スケッチではなく文字だけが記されている第30図の「星 いくつもの宇宙世界 眠り 死 大いなる 無 無名なるもの 終わり」という言葉で締めくくられている。
これは繋がりとするには根拠として弱いかなと思いつつも、マルタ・サンポーニャが人間に毎晩夢を見させて永眠する訓練をさせ、死んだ後の心臓を回収して星にし、宇宙作っているというのと関連がある可能性も無くはないかなーと思っている。
深読みしすぎかもとも思うが、西野さんが着想を得るヒントの1つになったかもしれないし、まぁあくまで考察なので。
これらは主にこの論文を参考にしてるので興味のある方はぜひ読んでみてください。
▷ ブルーノ・タウトのユートピア的建築スケッチのデザイン方法に関する研究
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一応かなり削ったつもりなのですが、思いのほか長くなってだんだん論文書いてるみたいになってきてしまいました。笑
(#高卒だから論文書いたことないけど)
ただあくまで西野さんの作品を更に深く知りたいというごくごく一部のコアファンの友達に向けてと、あとはほぼ自分のために書いてるので、すでに私の考察に対して「難しい!」というクレームをいただいていますが、許してください。笑
全く的外れなことを書いてしまってる可能性もありますが、西野さんの作品の考察としてそれが正解かどうか関係なく、私の考察が誰かの歴史を知るきっかけとなったり、1人でも戦争について考えてくれたりする人がいたならば、それだけでもう大成功だと思っております。
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【お願い】
そして最後にお願いなのですが、史実として明らかになっていることで間違ってることがあればそれを指摘していただく分には構わないのですが、“意見”を送り付けてくるのはやめて欲しいです。
もちろん、「面白かった!」とか「すごい!」といった“感想”は本当に嬉しいし励みになっているので、それはもうどんどん言ってください!
#褒められて伸びる子
ただ、答えなんて西野さんしか知らないわけだし、「僕はこうだと思います」「それは違うと思います」「深読みしすぎだろw」といった類のもの、否定的な言葉等は心底要らないので心にしまっといてください。
私が聞いたなら分かりますが、聞いてもないのに“あなたの考察”を送り付けてくるのもやめてください。めちゃくちゃ要らねえです。
これでも観といてください。
優しい感想下さる方には本当に本当に感謝してます!褒めてもらえるのすっごく嬉しいです!
いつもありがとうございます!🥰
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