カフェの風景。
小さな女の子が、紙のカップを口にくわえたまま母親のためにドアを開けようとしている。幼い弟か妹が乗ったベビーカーのために。
中学生の男女4人組が、一つのテーブルにそれぞれの教科書やノートを広げている。勉強している様子はまるでない。それでいいのだと思う。
大学生の3人組が、そのうちの一人にプレゼントを渡している。誕生日を迎えた女の子は、少し早いけれど今年はじめてのマフラーを首に巻く。
マグカップに入ったコーヒーからはまだ湯気が立っている。それは、遠い国で収穫された果実の香りを私に運んでくる。
天井に設置されたスピーカーからは、スタン・ゲッツの演奏する「Love Is Here To Stay」が流れている。窓から西日の差す夕方の時間にふさわしい音楽だ。
若いカップルが空席を求めて店内を歩く。気に入ったテーブルに向かい合わせで座ると、ほとんど同時にスマートフォンをいじり始める。いっこうに口を開く気配がないので、彼らはチャット上で会話をしているのだろうかという疑問が私の頭に浮かぶ。
中年の男性が一人、カウンターの席に座ってノートパソコンに向き合っている。画面までは見えないので、仕事をしているのか麻雀をしているのかいかがわしい動画を観ているのかはわからない。唯一はっきりしているのは、それがマックブックではないということだ。
私はというと、特に何もしていない。ただコーヒーを飲みながらそんなふうに店の様子を観察しているだけだ。それが私にとっては豊かな休日の過ごし方なのだ。一人でカフェに来て、外の世界とのつながりを感じる。そこにある音楽、匂い、会話、人々の表情に意識を向ける。
今日も世界はここにあるのだと。私はその一部であり、一人ではないのだと。
誰かと会って話をしたり、一緒に出掛けたり、SNSに何かを載せてみたりするより、私はここに座って見知らぬ人たちとのつながりを感じていたい。
なぜだろう。理由はよくわからない。でも、わからなくていいような気がする。私の気分が、私をここに連れてくるのだから。
入口のドアが開いて、杖をついたおじいちゃんがきょろきょろと店内を見回す。私はマグカップを手に取って(それ以外の荷物はポケットに収まっている)、2階へと続く階段のほうに向かう。そうすれば、また新しいつながりに巡り合えるかもしれないから。
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