見出し画像

親知らずを抜く。中編

自分の歯が真っ二つにされるあいだ、男は「進撃の巨人」に登場するいくつかのシーンを頭に思い浮かべていた。命をかけて巨人に立ち向かっていく人間たちの勇姿に励ましてもらおうとしたのだ。

「進め! 進めぇぇぇぇぇ!」

パキッという音がして、男の歯は半分になった。麻酔が効いているので痛みはないが、「あっ…」という感じで体から力の抜けていく感覚があった。

しかし、そこからが地獄だった。半分になった歯を順番に抜いていくのだが、いっこうに抜ける気配がない。おそらくはペンチのようなもので歯を挟まれ、50代も後半の医師が「うーんうーん」と言いながら引っこ抜こうとするのだが、男の歯は断固立ち退きを拒否し続けている。

助手:「たくましい歯ですねぇ」

医師:「うん、まだ離れ離れになりたくないみたいだわ」

はじめのうちはそんな調子でつまらない冗談を交わしていた医師も、だんだんと勢いを失ってくる。「あれぇ」とか「チッチッチッ」とかブツブツとぼやき始める。「仕方ねぇだろ」と思いながらも男が大人しく身をゆだねていると、ようやく片方がスポンと抜ける。

「よしよし。もう半分」

そこからが長かった。手術というよりは工事のような勢いで医師がぜえぜえと息を切らしているあいだ、二人の歯科助手が彼らのところにやってきた。

「先生。初診の方、○○先生に代わっていただきました」

「先生。6番の方、もうこれ以上は待てないとのことです…」

男はだんだん申し訳ない気持ちになってきて、「お前さっさと抜けろよ」と歯に向かって話しかけたりし始める。それでも一向に兆しが見えないので、男は諦めて「おおきなかぶ」のシーンを思い浮かべながら暇をつぶすことにした。

「うんとこしょ、どっこいしょ…」


結局、手術が始まってから終わるまでに一時間以上かかった。男は疲れ果て、自分の魂が宇宙の彼方まで飛んでいってしまったような気分になった。

歯が残っていないかどうかを確かめるため、男はレントゲン室に入って指示されるまま謎の機械の上に顎を置いた。ウィーンという音を立てて謎の機械が頭のまわりを一周するあいだ、丸い宇宙船の床をスキップしながら一周する(そして交差する)二人の宇宙飛行士の姿が思い浮かんだ。

BGMはもちろん、ヨハン・シュトラウス2世の「美しき青きドナウ」だった。

トゥルルル~タラッタラッ、トゥルルル~タラッタラッ…

ーー明日、完結しますーー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?