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ペンギン見ませんでしたか?その一。

若い女がクリーム色のトートバッグを右肩にさげて、夜の街を歩いている。中に入っているのはノートパソコンやら手帳やら、仕事に必要なものだけだ。1日の業務を終えて家に帰るところなのだろう。

季節は冬で、彼女はベージュのトレンチコートに身を包んでいる。そのポケットからワイヤレスのイヤフォンを取り出して両耳に装着すると、スマートフォンを取り出して最近はまっているバンドの曲を流し始める。

the HIATUSの「The Flare」。イントロはメタルのように激しく始まるのだけれど、歌の部分になると落ち着き、美しいサビに向かって徐々に気分を盛り上げていってくれる。

その年の初めに流行し出した感染症のせいで彼女はマスクをしているけれども、それはむしろ都合のいいことだった。サビに入る直前の「Deep inside!!」に合わせて思いっきり口パクをしても恥ずかしくなかったからだ。

そんな感じで口パクカラオケを楽しみながら歩いていると、正面から歩いてきた中年の男性が彼女に向かって「すみません」という仕草をする。彼女はノリノリだったので誰とも話したくなんかなかったけれど、その男性がきちんとした身なりをしていたので立ち止まって片方のイヤフォンを外した。

「すみません。このあたりでペンギンを見ませんでしたか?」

彼女はとりあえず、黙って男性の顔を見つめる。それから音楽を止めて、もう片方のイヤフォンも外す。

「はい?」

「えっと、このくらいの大きさのペンギンなんですけど…」

男性はそう言って、自分の腰より少し下のあたりを右手で示す。彼女が最後にペンギンを見たのはかなり幼い頃だったので、それがペンギンという動物にとって現実的なサイズであるかどうかは判断できなかった。

少しだけ眉間にしわをよせて男性の顔に視線を戻すと、彼は心の底から困り果てたという表情で彼女のほうを見ていた。短い髪は丁寧に整えられ、髭は綺麗に剃られ、おそらくは高価な厚手のコートと本物の革靴を履いていた。

「すみませんが、今のところ見かけてないです。ペンギンは」

「そうですか…」

男性は残念そうに下を向いてから、こう言った。

「突然お邪魔してしまって申し訳ございませんでした。引き続き探してみます」

「無事に見つかるといいですね」

「ありがとうございます。歌っていらっしゃったところ、失礼いたしました。それでは」

男性はそう言うと、彼女の来た道へと足早に歩き去っていった。その後ろ姿をぼんやりと眺めてから、彼女は再び家へと向かい始めた。

イヤフォンをつけて音楽を再生しようとしたとき、彼女はふと気がついた。

どうしてあの人は、私が歌って(口パクをして)いたことを知っていたのだろう。

ーー続きは明日ーー

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