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ニューヨークで見た、ゴッホの「星月夜」

オランダ人の画家、ゴッホの「星月夜」という作品をご存知でしょうか?

先日、MoMA(ニューヨーク近代美術館)で実物を鑑賞してきました。より正確に言うと、その絵を見るために足を運んだのです。

面白かったのは、絵の前に辿り着くまでの道すじ。受付でチケットを購入して、何も見ずにとりあえずエレベーターへ乗って。
5階で降りる人が多かったのでなんとなく降りて、そのままほとんど真っ直ぐ歩いていたら、最初に入った展示室の正面に「星月夜」が飾られていました。

MoMAの目玉と言える作品なので、アクセスしやすいところに展示されているということもあっただろうけれど。
「なんだか、いきなり人だかりができているな」と思って背伸びをしたら、そこに目当ての絵があったという不思議。僕はマスクの下で笑みを浮かべました。

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さて。実際に絵を鑑賞して、僕が抱いた感想を綴ります。事前に何も調べず、ゴッホについては「耳を切ったらしい」としか知らない状態で鑑賞した僕の、個人的な印象です。

※「星月夜」について紹介している記事は山ほどあるので、絵の描かれた背景や詳細などは省きます。ちなみに、鑑賞後もそれらの記事は読んでいないので、僕はただ作品と対峙して浮かび上がってきたことを書きます。

僕が思ったのは、「世界をどう認識するかって、本当に自由なんだな」ということでした。

それはゴッホの作品じゃなくても、絵画や現代アートに触れて感じてきたことだったけれど。
「夜に浮かんでいた星と月が、ゴッホにはこんなふうに見えてたのか」と思ったとき、温かい気持ちと冷たい気持ちを感じました。

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まず、温かい気持ちについて。

ニューヨークへ引っ越して最初の夜、玄関の外に出て煙草の火を点けたとき。顔を上げて目に映った街灯の光が、満月のように見えました。

「星月夜」を見てまず浮かんできたのは、そのイメージでした。この地球に住む僕以外の全員が、「それは街灯だよ」と言っても。あの夜、それは僕の目に満月として映った。

そうやって思いを巡らせながら、「僕は僕のままでいいんだな」と感じました。うまく伝わるかどうかわからないけれど、これ以上言葉で説明するのは面白くないので、割愛します。

それから、冷たい気持ちについて。

「ゴッホは本当に、生きづらかっただろうな」という切なさ。自分自身の眼で世界を見ることが、人生や社会、他者との間に生み出し得るすれ違い。

僕は耳を切ったりしないけれど、ゴッホの影を垣間見たように思えて、「辛かったよね」と背中をさすってあげたくなりました。あくまでも僕の勝手な解釈だし、余計なお世話だと思うんですけど。

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そんなわけで、江渕さん。

ゴッホの「星月夜」を見て、「僕は僕を生きよう」と村田くんは思いました。世界の、生きることの光と影を自分のレンズでとらえて、僕なりに表現し続けていこうと。そう思いました。





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