つげ義春「無能の人 日の戯れ」レビュー「素人が玄人を駆逐する」。
「無能の人」なんという直截な響きなのだろう。
あまりの直截ぶりにどれほどの無能ぶりを披露してくれるのかと
期待するあまり思わず本書を購入してしまったではないか。
本書の構成は以下の通り。
1.「退屈な部屋」(1975年10月「漫画サンデー」初出)
2.「魚石」(1979年11月「ビッグゴールド」初出)
3.「日の戯れ」(1980年11月「カスタムコミック」初出)
4.「散歩の日々」(1984年6月「COMIC ばく」初出)
5.「池袋百点会」(1984年12月「COMIC ばく」初出)
6.「隣の女」(1985年3月「COMIC ばく」初出)
7.「石を売る」(1985年6月「COMIC ばく」初出)
8.「無能の人」(1985年9月「COMIC ばく」初出)
9.「鳥師」(1985年12月「COMIC ばく」初出)
10.「探石行」(1986年3月「COMIC ばく」初出)
11.「カメラを売る」(1986年6月「COMIC ばく」初出)
12.「蒸発」(1986年9月「COMIC ばく」初出)
上記短編漫画12作のうち項番7から項番12までの6つの物語が
「無能の人」を指していて1988年5月に季刊雑誌「COMIC ばく」
の出版元である日本文芸社より「無能の人」名義で刊行されている。
項番1から項番3までが1981年5月に刊行された
晶文社の「必殺するめ固め」に初収録され
項番4から項番6までが1985年6月に刊行された
日本文芸社の「隣の女」に初収録されている。
また本書の巻末には1996年7月ロッキング・オン誌に掲載された
吉本隆明氏の「消費の中の芸」が「解説文」として
改題され再録されている。
僕の「お気に入り」は漫画家の夫が妻には内緒で二畳の部屋を借り
子供が押入れを「秘密基地」と称するが如くこの「秘密基地」で
無為に過ごす愉しみを堪能していると妻がやってきて
浮気目的ではないことを確認すると,この何もない「退屈な部屋」には
「生活感」がないことを嫌い本来の住居から家財道具を持ち込み
夫にとっての「秘密基地」が「退屈な部屋」へと変貌を遂げてしまう
日常がハレの日を駆逐する一抹の寂しさを覚える項番1
子供の頃,河原の石がキラキラ輝く宝石に匹敵するほどの
魅力を持っていた「懐かしく大切な思い出」を
大人になってからも忘れられず2年かけて飛び切りいい石を採石し吟味し
「これ商売になるんじゃね?」
と思い込み「石屋」を初めてしまい
子供の頃の「懐かしく大切な思い出」を
大人の「金儲けの道具」として売れる訳もない
その辺の河原の石を売る男の悲哀を描いた項番7
野鳥を自由自在に飼い慣らす「鳥師」のような「玄人」が駆逐され
その代わりにやってきたのが
己れの未熟を正当化するために「価値観の多様化」などと
都合のよい言葉を弄して物ごとの本質を曖昧にし
手前えの理解できないことは何でも古臭いと決めつけ
自律自制を忘れ自己主張ばかりの「素人」であるという指摘が
心に突き刺さる項番9
霧のように伊那に現れそのまま三十年伊那に住みつき耄碌が進行すると
次第に厄介者扱いされて子供に石を投げつけられても決して怒らず
善光寺詣でに連れ出され捨てられても何故か伊那に戻ってきて
辞世の句を詠んで伊那の旧友宅で果てた
幕末から明治にかけて生きたとされる考証の手がかりすら
霧に包まれたかの如く判然としない俳人柳の家井月と
井月の生き様,死に様に憧れ「郷土の誇り」とまで呼ぶ
自称伊那出身の古本屋の山井を描いた項番12である。
自称「無能の人」助川助三は彼自身に言わせると
漫画屋としても中古カメラ修理屋としても骨董品屋としても
目論見が外れた為,石屋を始めたとあるが彼の女房はそうは思ってはいない。
アンタには漫画しかない。
アンタ自身も内心ではとっくに気づいている。
なのに何で中古カメラを修理したり
散々贋作をつかまされるためだけに骨董品屋をやるのか。
挙句石屋ときたわ!
アンタの目論見が外れるのはアンタが本気じゃないからよ。
アンタが本気になれるのは漫画だけなんだから漫画を描いてよ!
本気を出してよ!
つげ義春氏は「無能の人」の最後の物語「蒸発」を執筆したのち
翌年(1987年)「海へ」「別離」を執筆後,
現在(2016年)に至るまで新作を発表されていない。