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サークルコーンビームさん(izuさん)の死姦映画レビュー同人誌「Necrophile Cinema」レビュー「オタクの代弁者」。

オタクには他人とコミュニケーションを取る能力がありません。
オタク同士が会話している様に見えても自説を捲し立てているだけで
相手の話を聞き,その内容を理解し,その内容に応じた
返事を返す能力がないのです。

なれど。

オタクだって話がしたい。
自分の意見に絶対異論を唱えず,
自分の意見を黙ってウンウンと聞いてくれて
自分の意見を決して否定しない相手と。

…そんな「相手」…この地球上に存在する訳ないじゃん!
…と思うでしょ?

ところがいるんです。

小説の登場人物とか
漫画の登場人物とか
アニメの登場人物とか
ゲームの登場人物とか
映画の登場人物とか!

izuさんが選んだ「理想の相手」は死体でした。
死体は絶対に貴方の意見を否定しません。
死体は貴方の意見を黙って聞いてくれます。
死体は貴方の意見に異論を唱えません。

その「理想の相手」と性交渉に及ぶ事を「死姦(しかん)」と呼び
本書は「死姦映画」のレビュー本なのです。

僕は気持ち悪くなんかありません。
「戦艦人間」とセックスしようが
「馬人間」とセックスしようが
「架空のアイドル」とセックスしようが
ソレはその人の勝手。
誰に迷惑をかける訳でも無し。

尤もコレは「オタクの意見」であって
例えば見合いの席で
「御趣味は?」と問われて
「馬人間とセックスする夢を見る事です!」
と堂々と答えたら即・破談になるでしょうね。

「オタクの趣味」はソレ単体では誰にも迷惑かけてませんが
そのオタクと将来末永く付き合うことになるなら話は別だァ!

要するに…面接や見合いの席で「趣味」を問われた場合,
広言するに大いに憚りのある趣味なのですよ。
その「憚り」を感じないオタクが
「オタク全体の特徴」と
主語を超拡大されて喧伝されるのは
大いに困りものなのです。
オタクの多くは一般人に擬態して
闇に隠れてひっそりと生きているのです。

「死姦」も公にしにくい趣味なのですが
オタクにだって「自分の意見」を発信したい欲求は人一倍ある。
その「自分の意見」の発信方法のひとつが
同人誌を作って頒布する事なのです。

「おわりに」を読んでるだけで泣けてきます。

(引用開始)ワタシ自身,これまでの人生で人間関係が
上手くいった試しがなく…。
(アニメキャラや漫画キャラやゲームキャラの様に)
意見を持たないものに
一方的に気持ちや行動をぶつけたくなる気持ちが少しは分かってしまう…。

死体は生きてる者に干渉出来ないし,しない
死体は誰も肯定せず,否定もしない
誰からも好かれないワタシを
決して好くコトはないにしても嫌うコトもない

「だったら人形相手でもいいじゃん」

という御意見もあるだろうが…。
大切なのは死体であるコト…
元は意思のある人間であったコトが…
ワタシには重要に思えるのだ…。
(引用終わり)

このッ…「おわりに」をプリントアウトして
額縁に入れて朝な夕なに三拝九拝して
一日三度唱えて入滅したい心境である。

全く…全くね…izuさんはオタクの代弁者にして
同時にオタクの鑑であると言いたいのだ。

肝心のレビューはizuさんが死姦映画にハマる切っ掛けとなった
「ネクロマンティック」「同2」のレビューを皮切りに
「ディレンジド/人肉工房」「ビヨンド・ザ・ダークネス  嗜肉の愛」等々
死姦映画の基本を押さえられたチョイスが嬉しい。

特に「ビヨンド・ザ・ダークネス」の項では

フランクは「「死」も僕とアンナの愛を引き裂けない」とホザき
アンナを墓から掘り出して剥製にしておきながら
なんでアンナと死姦しねえんだよ!
し・か・ん・し・ろ・よ!

…と本音がダダ漏れになる私情と私怨に満ち満ちた
「オタクの怒り方」全開の「レビュー」が最高なのだ。

編集を担当されたシメギウムさんによる編集後記が

「えっ?死姦とか気持ち悪いだけでしょ?」

とizuさんのこれまでの思い入れを一刀両断する切れ味で
「批判」に耐えられないオタクを絶命させるオチとなっている。
izuさんには死体となって立ち上がり
憎きシメギウムさんを食い殺したのち
「Necrophile Cinema 2」の執筆に取り掛かる事を期待したい。


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