デイヴ・ジャクソン監督の映画「キャット・シック・ブルース」レビュー「救われない女」。アムモ98は…本当に酷い酷い酷い映画の円盤をリリースする酷いメーカーだよ!
猫好きのクレアは自分の飼猫の動画を撮影して
YouTubeに投稿するのが趣味で
投稿動画がバズって1000万回再生されたのが自慢。
ところが彼女は本名と住所を明かしていた為,
頭のおかしい猫好きの男が自宅に押し掛け
彼女は「同じ猫好き」だからってんで家に上げてしまった。
彼は彼女の「1000万回再生された猫」を撫でても帰らず,口論となり
カッとなった彼は猫を窓から投げ捨て,
彼女に対して乱暴狼藉に及んだばかりか,
その乱暴狼藉の一部始終を録画していて
録画データをYouTubeに投稿してバズるのであった。
投稿タイトルは「住所氏名を明かした女の末路」。
頭のおかしい男に愛猫が殺され,凌辱され,
凌辱された模様を録画され動画を拡散された彼女は「有名人」となり,
愛猫がアスファルトに叩きつけられて死んだ場所が「観光名所」となり
彼女を見ると「あ,住所氏名を明かしたアホ女だ」と動画を撮られる有様。
彼女は愛猫を失った悲しみに耐え切れず
「愛してたペットを失った人たち」
の互助会のコミュニティに入会する。
そこで彼女は愛猫パトリックを失ったというテッドという男と知り合い,
同じ悲しみを共有する者同士意気投合し,間もなく男女の仲となる。
あのさ。
「クレアの弱点」はさあ。
「同じ猫好き」とか「同じ悲しみを抱えてる」とか
「この人,私と「同じ」なんだ」って認識すると
もうそれだけで感激してしまって
途端にガードが緩んで
胸襟を開いてしまうところなのよ。
クレア…オマエは「他者との距離感」がバグってるうえ,
人を見る目がゼロのうえ,
生きものとして最も大切な危機察知能力及び学習能力がゼロなのである。
そりゃいいようにサンドバッグにされて酷い目に遭うよ…。
この弱点こそが,いい年して
特撮番組やアニメや漫画が好きな「オタクの弱点」なのよ。
赤の他人をそんなに簡単に信用するなって話なの。
だがテッドは愛猫パトリックを生き返らせるには
9人の女の魂が,生血が必要だという妄想に憑りつかれた気違いであり,
今日も彼は猫面猫目の殺人魔になって夜の町を暗躍するのであった…。
土曜の朝は「ウルトラマンブレーザー」が
日曜の朝は「ひろがるスカイプリキュア」「仮面ライダーガッチャード」「王様戦隊キングオージャー」が放送され,
全国の良い子達を夢中にする「ニチアサ」と呼ばれる夢の時間帯であるが,
大人になっても特撮やアニメを観る人達が存在し
「大きなお友達」と呼ばれている。
「大きなお友達」は特撮やアニメの登場人物に過剰に感情移入し,
感情移入しているキャラクターが可哀想な目に遭うと,
「誰かソラちゃんを救ってあげて!」
「誰かジェラミーを救ってあげて!」
とSNSに投稿してる。
「大きなお友達」のキーワードは
「救われたい」「幸せになりたい」であって,
ソラ・ハレワタールやジェラミー・ブラシエリが何らかの形で報われると
生まれてこの方,1度も救われる事のなかった
自分達の魂をも救われた思いがするのである。
皆どれだけ「救われない」「不幸せな」半生を送って来たんだよ…。
…と共感する事しきりなのだが,
本作の主人公クレアは徹底的に「救われない女」として描かれ,
男と付き合えず女性と同性愛関係にあることが示唆され,
頭の弱い男に自宅を探知され押し掛けられ
愛猫を殺され,凌辱され,互助会で知り合った男は気違いで,
殺した9人の女の生血を飲まされ,
頭の弱い男は性感染症持ちで,
感染症が発症した彼女は
映画「エクソシスト」で悪魔が憑りついて
アバタ面になったリーガンソックリに描かれ,
収容された病院で男性職員に家畜同然に食事を与えられ,
最後の心の拠り所たる「神」の姿が
派手にデコレーションされたネオンサインを発する十字架として描かれ
神父は彼女に「受け入れなさい」と説教し,
挙句孕んだ彼女は猫と人間の「合いの子」を産み,
猫面猫目の殺人魔に
「この子はパトリックの生まれ変わりだ」
と耳元で囁かれるのである。
本作には彼女を救うガッチャードもブレーザーも現れないし
彼女はキュアスカイにもヒメノ・ランにもなれない。
映画でよくある様に彼女を凌辱した男や猫面猫目の殺人魔を
彼女がショットガンで撃ち殺すとか,
彼女に同情したハリー・キャラハンがマグナムで彼等を撃ち殺すといった「救い」が…「ウソ」が一切存在しない。
その代わりに
「余りにもピュアな感激屋過ぎて
人を疑う事を知らない奴は「救われない奴」であって
そういう奴は未来永劫救われる事はない」
って「本当の事」が延々描かれてる。
ただ監督が余りに彼女が可哀想だからってんで,
途中から「彼女が見た悪夢」にしてるのである。
でもね。「実際にあった事」は彼女は世を儚んで愛猫と同じ様に
窓から身を投げても死に切れず
「観光名所」に来ていた奴等が「こりゃバズるぞ!」と言いながら
「彼女の死にそうな姿」を動画撮影してる光景なのだ。
ホントにね…マジでマジでマジでキツいのだ。
監督はキューブリックの「シャイニング」が好きだと言う。
キングの原作の「シャイニング」を引用するなら
「現在のクレアの姿」は次の様に描写出来る。
月の暗黒面(Dark side of the Moon)を引き摺り回された揚句に漸く帰還していまやっとバラバラになった「自分」を繋ぎ合わせている人間。
だがその断片は…それらは決して元と同じ様には繋がらない。
決して,この世界では。
恐らくニチアサを観て
「救われたい,救われたいんだよう」と嘆き悲しみ続ける
「大きなお友達」の魂もまた決して救われる事は無いのだ。
特典映像の「ガチャガチャ」は大阪に住むガチャ命の女(日本人)と
ライバルのガチャ命の女(日本人)が「当たり」を求めてガチャを回す話。
ガチャで「当たり」を引いたガチャ女がライバルのガチャ女に
これ以上無い位の「ドヤ顔」をして相手が泣いて悔しがるのが見所。
ガチャ女もライバルのガチャ女も幾らガチャを回しても満たされず
ふたりとも競って「次の」ガチャに向かう結末に
オタクの本質が描かれている。
監督は日本の会社に務め,5年在日しているという。
「日本人は「特別」であり特に日本人オタクの事は外国人には分からない」
なんて事,断じてないのだ。