東京都池袋・新文芸坐にて2024/2/10 22:00から2/11 5:35まで開催されたイベント「血みどろオールナイト2024」についてレポートします!新文芸坐さんの挨拶が本当に素晴らしいんです!
僕は普段房総半島の南端に居住してるのですが
ココは今や文明不毛の地で
映画館がとっくの昔に潰れ
本屋も次々と潰れ
CD・レコードショップは更地にされた挙句駐車場になり
ツタヤも潰れ…と本や音楽・映画の収録された円盤は
ネット通販に頼らないと視聴する方法がゴリゴリ削られてる。
「サブスク」?
若しや僕にチッコイ画面でチマチマ映画を観ろって言ってますか?
映画の提供形態も変わって行くのでしょうが
1.映画館の大画面で観たい。
2.自宅の大画面TVで観たい。
のですよ。
老眼の進行著しく眼鏡なしには本も読めない身の上のこの僕に
チッコイ画面で映画を観ろってのは「首吊って死ね」と同義なのですよ。
今回新文芸坐という東京都池袋の映画館で
ホラー映画4本をオールナイトで放映してくれるイベント
「血みどろオールナイト2024」が開催されることになりまして
池袋は僕が学生時代に下宿してた土地勘のある場所なのも手伝い,
懐かしさもあって老骨に鞭打って
房総半島の南端から各駅停車の列車を乗り継いで
(房総半島全体が過疎化して「特急」なる概念が県南には無く
東京に行くなら高速バスが主流になってる昨今です)
遥々池袋まで遠征した次第です。
上映される映画の詳細はコレを見てね!
ロビーで催しの開始を待っている間,それとなく周囲を見渡しました。
先ず殆ど男。年齢は年配の方が多いけど若い方も結構多い。
「笑っている人」が殆どおらず
皆一様に「難しい顔」「厳しい顔」「険しい顔」をしてる。
この時点で僕は「血みどろオールナイト2024」に来る人は「映画を観る事」を求道的に考えていて昨今の遊園地のアトラクション化した収まりのいい「映画」に一家言がある「うるさ型」揃い…と予想した。
映画は…人生そのものであり
映画館の座席の上に正座する気概で観なければいけないのだ。
着席して22:00になると先ず新文芸坐さんからの挨拶。
「昔は新文芸坐で毎週オールナイトやってたんですよ」
「ソレが段々開催されなくなって…」
「だから「血みどろオールナイト2024」が開催出来て本当に嬉しいんです」
「僕にとって令和の御代は窮屈で堅苦しくて…」
「窒息しそうですッ!」
「今回上映される4本のホラー映画は…」
「とってもユルくて…」
「隙だらけで…」
「あってもなくてもどうでもいいケド…」
「あったら心が豊かになる…」
「…かも知れない映画をギュギュっと凝縮してます」
「あのさ」
「映画はユルくていいんです」
「隙だらけでいいんです」
「あってもなくてもどうでもいいんです」
「僕は…ユルくて隙だらけであってもなくてもどうでもいい映画で!」
「今の皆さんの眉間のシワを取りたいんですッ!」
新文芸坐でさんはさあ。
劇場内の皆が皆眉間にシワを寄せた観客の「人相」を見て
「これはいけない」と思われて
「挨拶の内容」を咄嗟に変更されたのだと思う。
映画は「文化」だけど
「文化」って生きてく上で無くても別に構わない。
でもさ。
生きてく上で必要不可欠なモノしかない
「世界」って何て貧弱なんだろう。
「世界」には「無駄」が!
絶対に必要なんだッ!
正直さ。
この「新文芸坐さんの挨拶」だけで池袋に行った甲斐があったよ。
僕の「映画は映画館の座席の上に正座して観るべし」
って考えは間違ってた。
映画は幾らでもリラックスして観ていいんだ。
眉間のシワが次第に取れてシアワセになる映画があっていいんだ。
そもそも創作って何をどう描いても自由な形式じゃん。
「映画はこう観るべき!」
って求道化する必要なんて何処にもないんだ。
新文芸坐さんの熱い熱い熱い熱い熱い挨拶の後に
鶴田法男監督,山崎圭司さん,田野部尚人のお三方によるトークショー(約40分)
不参加の中原昌也さんのリハビリの模様が胸が痛みます。
田野辺さんは前回に引き続き
杖をついての登場でお加減の様子が慮られます。
トークショーの後はお待ちかねの映画上映。
「ドクター・モリスの島」は改めて脚本がしっかりしてると思ったけど
双葉十三郎さんは「脚本が古臭い」って仰られてたのか…。
「死体と遊ぶな子どもたち」は初見。
…コレは言いたい事が山の様にあるので
独立して本レポートとは別に映画のレビューを書きます。
「キルボット」はやっぱりあの
プレデター式エンドクレジットで笑いが起こってました。
「パニック・アリゲーター」…流石にゼンマイが切れ半分寝てました。
まあ…半分寝て観ても何ら支障のない映画だから…。
午前5時40分に映画館を追い出されて先程帰って来て
ガッとレビューを書きました。
次は「死体と遊ぶな子どもたち」のレビューだああ!