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ジャッキー・チェンの映画「拳精(吹替完全版)」レビュー「観客に…「どうせ」って思われたら…帰られたら「負け」なんだッ!」

少林寺門外不出の殺法・七殺(ひちし)拳の極意書が黒装束の曲者に盗まれ…。
七殺拳の極意書はルーツァオ(青野武!)の手に渡っていた。
ルーツァオの母親は彼にこう諭す。
「七殺拳の奥義の悉く(ことごとく)を身に付けよ」
「30年前…貴方の父は少林寺最高位に就く力と技を身に付けていながら…」
「その望みが叶わなかった…」
「貴方が力と技を身に付け…30年前の父親の無念を晴らすのです…」
ルーツァオは「父親」に…例え何をしようとも
少林寺最高位の座に就くことを約束するのだった…。

ルーツァオは母親の希望通り七殺拳の奥義の悉くを身に付け…
選挙で選ばれる少林寺最高位の対立候補を片っ端から殺して行く…。

30年前…何故「父親」が少林寺最高位の座に就けなかったのかが
「息子」の所業を見ていれば実に具体的に良く分かる…。

殺法・七殺拳に対抗し得るのは
龍・蛇・鶴・虎・豹の力を借りた「五獣の拳」だけだ。

だが…「五獣の拳」の極意書は失われ…。
今や「七殺拳」を駆使するルーツァオに対抗出来る者はない…。

少林寺上空に彗星が過り(よぎり)何やらただならぬ気配が漂って来る…。

ココで観客の100人が100人…こう思うだろう…。
どうせ…少林寺の見習いの問題児イーロン(ジャッキー・チェン)がその…。
「五獣の拳」とやらの使い手になって
ルーツァオを倒して大団円なんだろう…?

「どうせ」と思ったら観客は映画館を出て行き…。
そして二度と戻って来ない。

ソレはな…その「どうせ」が事実その通りだってことが問題なんだッ…!
作り手としては…。
事実その通りでありながら観客の予想を裏切る絶対の必要があるのだ。

ソコで本作では…。
1.失われた「五獣の拳」の奥義書の5人の精霊が彗星と共に顕現する。
2.5人の精霊を蝶の羽の生えた素っ裸の美少年とか美少女として描かず…
むさ苦しい5人のオッサンが頭に虎や蛇のフィギュアを乗っけた
全身白タイツ姿で腰ミノを付けた威厳もヘッタクレもない…。
日本で言ったら志村けんさんの「白鳥の湖」の如き
「おかしみ」のある姿で…。
ジャッキーにパントマイムでめんどくさそうに拳法の奥義を指南して行く。

コッ…コレがッ…「精霊」だとッ!?
フザけるなあ!

3.「五獣の拳」を身に付けたジャッキーはルーツァオと対峙するが…
ジャッキーののぼせ上り易い性格ゆえに一度は敗れる。
4.二度目の対戦でルーツァオを倒すものの「真のラスボス」が姿を顕す。
5.「真のラスボス」は滅茶苦茶強く5人の精霊が手助けしてコミカルに戦う。
どおおおおおしてもジャッキーは…。
ストイックで…ニコリともしない真剣勝負になんかにしたくないのである。

…と何とか観客に「どうせ」と思わせない工夫が凝らされている。
「真のラスボス」については…勿論皆さんの予想通りの存在なのだが…。
「真のラスボス」の正体は最後の最後の最後まで分からない工夫がある。

ジャッキーは真剣勝負でもおちゃらけ要素を入れて来るので
ソレの全くないブルース・リーを信奉される方には
苦々しい思いがあるだろう。

しかし…「ブルース・リーと同じコト」をやっていては
観客に飽きられてしまうという
ジャッキーの危機感は鬼気迫るものがあり
「何が何でもおちゃらける」という彼の執念を感じる。

ソレは…「ブルース・リーのフォロワー」と見做されがちな
ジャッキーが何とかして新味を出そうとする悪戦苦闘の結果であり
観客を「飽きさせたくない」という
彼のエンターテインメント性の発露なのだと思う。

何をやっても「所詮はブルース・リーのフォロワー」と言われ続けて来た
ジャッキーの執念と怨念が…。
絶対に観客に「先の展開」と予想させまいとする
彼の姿勢を生んだと考えるのである。

ジャッキー・チェンの声の出演は石丸博也さん。
石丸さんは…軽薄で短慮で直情径行な若者を演じさせたら世界一であり…
ジャッキー映画に於いても
石丸さんの「長所」が遺憾なく発揮されているのである。

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