ルチオ・フルチ監督の映画「未来帝国ローマ」レビュー「本作はシュワルツェネッガーの「バトルランナー」のパクリでもリチャード・バックマン(スティーヴン・キング)のTHE RUNNING MAN)のパクリでもないッ!」
2072年の未来都市ローマでは娯楽に飢えた視聴者は
死刑囚に剣闘士(グラディエーター)の仮装をさせバイクに乗せて
バトルを演じさせ優勝者に恩赦を与えるデスゲームに夢中となっていた。
TV局は更なる視聴率獲得の為にバイク・バトルの王者ドレイクに
妻殺しの濡れ衣を着せ死刑宣告を出させ
デスゲームへの参加を強要する。
ドレイクは身に覚えのない妻殺しの汚名を晴らすべく
止む無くデスゲームに参加しつつTVスタッフの女性と懇意になって
彼女を通じてコンピュータにハッキングさせ
事件の真相を探るのであった…。
本作を語る上で課税の如く付いて回るのが
「本作はシュワルツェネッガーの「バトルランナー」(87)のパクリである」
と言う謂れのない中傷である。
本作は1983年の製作であり「バトルランナー」をパクる事など出来ない。
本作の脚本を書いたダルダーノ・サケッティは
「本作は!「グラディエーター」を20年も先取りしてる!!」
「「バトルランナー」が本作をパクっているんだ!」
と怪気炎を上げる。
映画「バトルランナー」は
リチャード・バックマンの小説「The Running Man」(82)の映画化であり
リチャード・バックマンとはスティーヴン・キングの事なのである。
スティーヴン・キングがリチャード・バックマン名義で小説を書いた
理由のひとつは「スティーヴン・キング」って名前がブランド化して
「出せば何でも売れる」って状況に「俺はミダス王じゃない」って
反感から「いち小説家としての自分の力量を試したかった」からなのだ。
だがリチャード・バックマン名義で出した本の売り上げと
スティーヴン・キング名義で同じ本を出し直した売り上げに
大差があるのを見たキングは「何かを物語ってるよね」と語っている。
従ってフルチへの中傷は「原作」へのパクリ疑惑への詰問へと移行する。
「アナタはスティーヴン・キングの
「The Running Man」をパクりましたよね?」
「僕(質問者)調べたんですけど
「The Running Man」はリチャード・バックマン名義で出てるんですね」
「でもそんなコト僕には関係無いんです」
「アナタがスティーヴン・キングの
「The Running Man」をパクったと認め謝罪するコトが重要なんです!」
…全く中傷には理屈もヘッタクレもないのである。
「The Running Man」は質問者が調べた通りリチャード・バックマン名義で上梓されていてリチャード・バックマンの正体が
スティーヴン・キングである事など1982年~83年のフルチが知る由もない。
リチャード・バックマンという聞いた事もない米国の作家が書いた
ペーパーバックを何でフルチが読んでいて,
尚且つこのペーパーバックを元ネタに映画を作ろうと思うんだよ。
フルチの本作制作のアイディアの根底のあるのは
ジョージ・オーウェルの「1984」(1949年)であると
彼の肉声が録音された
特典映像「フルチテープス」にハッキリ収録されている。
フルチ「フットボール選手の更衣室まで隠しカメラがセットされ」
「プライバシーなど何処にもない」
「我々は皆『ビッグブラザー』によって監視され飼い慣らされてるんだ」
「オレは将来到来するであろう監視社会・管理社会を描いたんだ」
「ビッグブラザー」とは「1984」に登場する権力者・支配者の名称である。
映画「スクール・オブ・ロック」では大物(The Man)と呼ばれ
映画「バトルランナー」に於ける大物とはキリアンのコトだった。
ジャック・ブラックは
「大物に反抗するコトがロックなんだ」
と小学生相手に吠えた。
ともあれ「フルチテープス」の後半は「ビッグブラザー」に対する
フルチの罵詈雑言が延々と続き声のトーンが上がり続け遂には絶叫に至る。
フルチの肉声を聞くのはコレが初めてだが
これ程熱し易い瞬間湯沸かし器とは知らなかった。
フルチはキングの著作は読んでいないと言う。
「オマエに最近読んだ本を聴かれたなら
「スティーヴン・キング以外!」と答えてやるッ!」
というセリフにフルチの全てが言い表されていると思う。
余程質問者の不躾な態度が腹に据えかねたのだろう。
「マジレスするとオレはキングよりクライヴ・パーカーに注目してる」
「アイツの自称「オレは天才」ってトコロが特にな!」
映像面に於いては寧ろ「ブレードランナー」(1982年)の影響を見て取れる。
本作に於ける「ビッグブラザー」の正体に唖然とすると共に
「フルチが作ったSF映画」は「1984」が提示した管理社会・監視社会に
対する言い様のない嫌悪感が生んだ
「遅れて来た1970年代のシニカルなSF映画の末裔」だと僕は受け取ったよ。
僕は1970年代後半に人格が形成された。
だから…本作品を見てると
「チャチな世界観・チャチな特撮・チャチな批判精神すら皆懐かしい」
んだ。
僕は今…沖田艦長の様に静かに涙を流したい心境なんだ。
放っておいてくれ。