コラム「『食人族』と『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』のうち…一体どちらが『ファウンド・フッテージ・モキュメンタリーの元祖』なのか?」
昨日SNSで映画「食人族」(1980年)と
映画「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」(1999年)のうち…
どちらがファウンド・フッテージ・モキュメンタリーのルーツ(元祖)なのか
との疑問が呈されており…こうして「コラム」の形式にして
その疑問に答えておきたいと思った次第である。
映画「食人族」と言うのは
米国の4人のジャーナリスト達が
「緑の地獄(グリーン・インフェルノ)」と呼ばれる
南米アマゾンの樹海の何処かに棲むと言われる
食人族の姿を求めて旅立ってから消息を絶つまでを描く序章,
「緑の地獄」でモンロー教授を団長とする捜索隊が
食人族の様々な奇異な風習に戸惑いながら
彼等とコミュニケーションを取ることに成功し
先に「緑の地獄」へと旅立った4人の白骨死体と遺留品と
彼等が残したフィルムを発見する第1部,
モンロー教授が4人の身内の証言を聞いて回る幕間,
そして問題のフィルムの内容が開示される第2部によって構成される。
この…4人の米国人ジャーナリストの
「緑の地獄」に於ける所業が克明に記録されたフィルムが
モンロー教授によって発見された…と言うのが
『ファウンド・フッテージ(発見された未公開映像)もの』と呼ばれている。
勿論…これらの「事実」は…
全てルッジェロ・デオダートの「創作」であるから…
ドキュメンタリー(記録映像)に対して
モキュメンタリー(疑似記録映像)と呼ばれ…
モキュメンタリーはフェイク(ニセの)・ドキュメンタリーとも呼ばれる。「疑似」であるから「ニセ」であるから「ヤラセ」とも呼ばれるが…
「ヤラセ」には創作行為を…「物語」を…「ウソ八百」と呼ぶが如き
創作に対する無理解・偏見を感じ…僕はスキではない…。
ただ…デオダートは創作行為の過程で…
アラン達米国人ジャーナリストに事実の捏造を行わせており…
この…「事実の捏造」こそが「ヤラセ」だと僕は思っている…。
つまりデオダートは「創作」と「ヤラセ」の違いを明確に理解したうえで…
明確に理解してる癖に…両者を意図的に混同させて…
「『事実の捏造=ヤラセ』を創作する」という手法を駆使して…
観客に混乱を招かんとする…誠に食えない創作者と言えるのだ…。
デオダートの独創は「ファウンド・フッテージ」ものと
モキュメンタリーを結び付けて考えた事と言えるのだ。
一方映画「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」こそが
ファウンド・フッテージ・モキュメンタリーものの
「原点」だと主張するものの「論拠」はこうだ…。
「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」の制作に当たって
架空の伝説が作られ…ブレアの町が1734年に作られ,
そのブレアの町に最初の魔女(ブレア・ウィッチ)が誕生したのが
1756年という設定(勿論フェイク)なので
「フェイクの歴史」が18世紀まで遡る事を指して
「原点」と自称してるのだ。
こんな「寝言」が…
こんな論法が罷り通る(まかりとおる)なら…
「神様は天地を創造される前に『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』を
創造されていたと聖書から削除された『隠された記述』があるコトを…
読者諸兄は御存知だろうか…?」
…と幾らでもフェイクの歴史を捏造でき…時代を遡れ(さかのぼれ)…
「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」こそが
ファウンド・フッテージ・モキュメンタリーの「原点」であると
主張する「論拠」を捏造するコトが出来る…。
「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」側の「主張」に
「食人族」側は色めき立ち…
「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」を
はじめ幾多の作品に多大な影響を与え…
(「食人族」ブルーレイの商品説明より)
「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」(1999)をはじめとする
”ファウンド・フッテージ・モキュメンタリー”映画のルーツ(元祖)にして
イーライ・ロス監督の「グリーン・インフェルノ」(2013)の原点
(「食人族」4Kリマスター無修正完全版
再上映(2023年)時のパンフレットより)
「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」や
イーライ・ロス監督の「グリーン・インフェルノ」の原点
(「食人族」4Kの商品説明より)
…と相当神経質になっているコトが分かる。
要するにい~ファウンド・フッテージ・モキュメンタリーの「元祖」は
「食人族」であると我が世の春を謳っていたら…
突然「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」があ~
ファウンド・フッテージ・モキュメンタリーの「本家」はウチですぅ~と
暖簾を高く掲げたワケでェェェ…
寝耳に水の「食人族」側は大慌てってワケ…。
しかし「食人族」側は「ブレア」側に…
「コレ以上…フェイク(ニセ)情報を流布するなッ!」
とは決して強く言えない…
「ブレア」側を怒鳴れない…「ブレア」側を訴えられない…。
何故ならそうした「洒落(シャレ)の分からない振る舞い」は…
「創作」と「フェイク」と「ヤラセ」の間を巧みに泳いで見せた
ルッジェロ・デオダートの創作意図を全く理解出来てない…
「粋(いき)」を全く解さない「無粋(ぶすい)」な行為だからで…
「食人族」側としては
「『食人族』が『元祖』です」
「『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』が生まれたのは
『食人族』があったればこそです」
と控え目に主張し…
自分達が洒落や粋を解し…デオダートの創作意図を理解し…
「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」側の「オイタ」にも
「ブレアくんも困ったヤツだハハハ…」
とオトナの鷹揚(おうよう)な態度を示さざるを得ないのである…
「コレ以上…フェイク(ニセ)情報を流布するなッ!」と怒鳴るコトは…
「創作行為の否定」そのものなのである…。
勿論「ブレア」側はそんなコト百も承知で
「食人族」側に執拗に挑発行為を繰り返してるワケでェェェ
「性悪度」に於いて「ブレア」側は
「食人族」側を上回っていると言わざるを得ない…
とは言え…この胸のムカツキは如何(いかん)ともし難くッ!
僕としては…
「ダレかナマイキな『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の
メスガキを『分からせる』エロ同人描いてくれねえかなァァァ」
と天を仰ぐ他無いのである。
閑話休題
先に解説した通り「食人族」は
1.モンロー教授による「緑の地獄」での
4人の米国人ジャーナリストの所業を記録したフィルムの発見。(第1部)
2.フィルム内容の再生(第2部)
と言う構成となっており…
第1部と第2部は時系列的に因果が逆転した構成となってます。
僕は…「食人族」を観て…エドガー・アラン・ポオの「黄金虫」(1843年)や
コナン・ドイルの「四つの署名」(1890年)を連想しました。
第1部で「財宝を発見する」という「結果」が先に描かれ…
第2部で「財宝を発見する」という「結果」に至った
「財宝の隠し場所を示した暗号の解読」という「過程」を描く
結果→過程を2部構成で描くという19世紀の文学手法の一形態ですね。
デオダートは古典推理小説の古臭い手法に則った(のっとった)為に
彼の手法に倣う追随者は遂に現れませんでした。
温故知新(=故(ふる)きを温めて新しきを知る)という手法は…
人の虚をつくと言う意味で
相撲で言えば「猫だまし」や「小股すくい」に近く…
その心は…「二度同じ手は通用しない」と説くのです…。
デオダートの手法(やりかた)に追随者が現れなかったのは
「同じ手はもう使えない」
と皆知っていたからです。
ただ…コレから生まれてくる新しい命にとっては…
デオダートの作劇技法は極めて新鮮に映り…
ポオの暗号解読の過程に胸踊らされるコトもまた間違いはないのです。
実はポオの「黄金虫」は
コドモ向けに分かりやすく書き直された月刊児童向け雑誌が初見でして…
口の悪い言い方をすれば…
「子供騙しに子供だった僕は見事に騙された」というワケです…。
即ち…人類の歴史が続く限り…新しい命が生み出され続ける限り…
温故知新(=故(ふる)きを温めて新しきを知る)と言う手法もまた
決して古びるコトを知らないと言えるのです。
「僕が知っている」から…
「(僕が知っている)知識をイチから教える行為に全く意味はない」
と言うのは余りに独善的かつ…
自分を中心に世界が回っている世界観だと言わざるを得ず…
「昔からの知識」を新鮮な気持ちで受け取る若年層を無視した
自分もかつては初学者だったコトを忘れた
「賢者の思想」だと言わざるを得ないのです…。