映画「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」レビュー「しんのすけと廉姫が見出した「青空に浮かんだ白い雲」は過去と未来が繋がっている事を示しているのだ。」
ある夜,野原一家は全員同じ夢を見る。
湖の畔(ほとり)に大樹が生えていて
大樹のたもとに見目麗しい姫が佇んでいる…。
翌日野原家の愛犬シロは裏庭に穴を掘り始め
「大判小判がザックザク」
と期待するしんのすけは
漆塗りの木箱の中に書状が在中してるのを発見する。
その書状はしんのすけ自身の筆跡で
「オラはてんしょうにねんにいる」
「くるまでむかえにきて」
と書かれている。
なんだこれ一体…。
しんのすけが瞑目して再び目を開けると
自宅が無くなって目の前に湖があり
その畔に大樹が生えている…。
しんのすけは広い平地で大河ドラマの収録現場を目撃するが
ソレは大河ドラマの収録ではなく現実の合戦の模様であり
彼は井尻又兵衛(尾良有作)という侍大将と出会う。
又兵衛の言によると現在は天正二年(1574年)であり
彼は春日城主・春日康綱に仕えていると言う。
「春日」と言うのは現在の埼玉県・春日部の昔の言い方で
しんのすけは康綱に「未来から来た子供」として珍重され
主命で又兵衛に世話をさせる事となる。
康綱には一人娘の廉(レン)姫(小林愛)がいて
廉姫こそが野原一家が夢に見た姫の姿であった。
廉姫はしんのすけに次の様な質問をする。
「未来では男女は如何なる恋愛をしているのか?」
「お互いが好き合っていること」
だけが恋愛の成立条件であると知った
廉姫は含みのある視線を又兵衛に向ける。
又兵衛はかつて廉姫の遊び相手であり
オトナになってからは
昔の様に遊べなくなった事を口惜しく思っているのだ。
又兵衛も廉姫に対して「思うところ」は大いにあるが
「ソレ」を口にすることは許されない。
又兵衛は侍大将としては「鬼の井尻」と呼ばれる武者であり
男が惚れる男の中の男ではあるが
女(おなご)に対してはからきし意気地がなく30歳の行き遅れであるが
廉姫もまた数多ある縁談を悉く(ことごとく)蹴る
男勝りの行き遅れの姫なのだ。
「ヘンなの」
としんのすけは思う。
「オマタのおじさん」は「レンちゃん」のコトがスキで
レンちゃんもオマタのおじさんのコトがスキなのに
なんで告白しないのかって。
一方書状を残して姿を消した
しんのすけの行方を追うひろしとみさえだが
郷土資料館で天正二年の出来事を追うひろしは…。
天正二年
大蔵井高虎(おおくらいたかとら)は2万余の軍勢を率い
力押しで春日康綱の居城を攻め落とそうとした。
数で劣る春日側は野原信之助とその一族等が奮戦…。
との「春日合戦」の記述を発見する…。
野原信之助…しんのすけは書状に記述された通り
天正二年にいて「その一族等」と書かれているからには
自分達も天正二年に行く事になるのではないか…。
廉姫には政略結婚の話があり
その嫁ぎ先が大蔵井高虎なのである…。
「青空侍」と呼ばれる気風のいい行き遅れの侍大将がいて
その青空侍が仕える主君の娘…。
行き遅れの姫に仄かな(ほのかな)恋情を抱き
姫も青空侍に恋情を抱いている…。
しんのすけの役割は両者の仲を取り持つコメディリリーフとなる。
しんのすけは道化でもあるので
「なんでおたがいに好き合ってるのにそう言わないの?」
とズバッと聞けるのだ。
廉姫も「思うところ」大アリであって
又兵衛に身を投げ出して潤んだ瞳で見詰めるが
又兵衛は「お戯れはお止め下さい」と
沸騰したヤカンの様に真っ赤っ赤となるのみだ。
実にじれったい「ふたりの恋」がどうなるのが本作のキモと言える。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で「過去を変えるコト」に対して
ドクの「まァそんなにカタいこと言うな」に満場は拍手喝采であったが
ドクの発言によってタイムトラベルが「軽く」なったのは確かで
「運命は変えられる」説を支持するが
本作は「運命は変えられない」説を採る。
「運命の非情さ」にしんのすけは涙するが
「天正二年のひとびと」は運命を受け入れて行く。
ソレは…「生と死」が今よりずっと身近にあった
「天正二年のひとびと」
が生きて行く為に仕方なく身に付けた処世術なのだ。
野原一家は「自分達の役割」を終えると現代に戻って行く。
しんのすけが空を見上げて青空にぽっかり浮かんだ白い雲を見出し
「おじさんの雲だ!」
と叫ぶ。
「青空に浮かんだ白い雲」は井尻又兵衛の旗印であり
廉姫もまた空を見上げて「青空に浮かんだ白い雲」を見詰めながら
「おい青空侍」
と呼びかけて映画は閉じる。
合戦の模様は非常に精密で良く調べてあって
アニメで大河ドラマを越えてやろうと言う気概を感ずる。
しんのすけはタイムトラベルをしてるんだけど
目を閉じて開いたらタイムトラベルが終わっていて
必要があるから呼ばれ用が済んだら帰る
非常に淡白な表現になっていて
SFやタイムトラベルに主眼を置いていない事が分かる。
「運命は変えられない」けれど
多少の融通は効き「やり残したこと」があるうちは待ってくれるのだ。
本作に「欠点」があるとするなら
ソレは別に「クレヨンしんちゃん」である必要が無い点で
後に「BALLAD(バラッド) 名もなき恋のうた」と改題され
実写映画化され「クレヨンしんちゃん」でなくなっている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?