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モッタイナイ、ゼッケンさえあれば
「あの日、あのとき、ああすれば良かったのに、モッタイナイことしたな」
と、悔やまれるのが人生には沢山ある。
誰でも一度や二度くらい、そういう経験はあると思う。
「この人凄いんだよ! 一年生なのに走り高跳びで今度県大会に行けるんだよ」
「この人こそ凄いんだよ! 一年生なのに砲丸投げで今度県大会に行けるんだよ」
走り高跳びの選手はE治。砲丸投げの選手はイモ(由来はガッチリした体格とゴリライモから来るらしい。でも端正な顔立ち)
高校一年生、いろいろ迷って、遅れて初心者として入部した陸上競技部。
そんな初練習の私に、彼ららしい自己紹介、ファーストコンタクトだ。
ここはNW高校のある、ニュータウンの市営野球場の周回道路。いたるところに植栽を施した、ピンクに彩られたアスファルト舗装道路を先輩たちと一緒にウォーミングアップしているタコの姿があった。
「タコ(出身中学の名からの連想で付けられた)は先輩たちと一緒のメニューなの?」
「あいつは、中学から陸上やっていて、一寸速いんだよね。高校総体県大会のマイルリレー(4×400m)に先輩たちと一緒に出場する」
イモが教えてくれた。
「へえー、大したものだ」
このときは、度々出てきた『県大会』というワードに、それ程ピンとは来なかった。やがて私の中で徐々に大きくなり、全身に根が張ることになるのだが。
空港管制塔近く、通学に使う地下の成田空港駅は現在、ターミナル直下の新駅にとって変わってしまった関係で、うら寂しいゴーストタウン駅。名前も東成田駅に変わってしまった。
だが当時は開港のイメージが悪く、駅としての本来の賑わいが今一つではあったが、主要駅として、京成電鉄沿線内で随一の洗練された駅であった。
朝の通学時、始発として出発を待つ車内でS田(タコ)が
「お前、今度陸上部に入りたいというI辺だろ?」
「そうだけど、よく知っているね」
「俺は鼻が利くんだよ」
「俺のクラスでは、T澤とN尾が陸上部に入っているよ」
「おまえF組か。N尾かぁ、あいつスケベだろ? ムッツリだけど」
「えっ、そうなの?」
「まあ、とにかく俺が顧問に話しておくよ。だから初練習の際、軽く挨拶すれば晴れて陸上部だ」
鼻が利くとは言っていたが実はタコに、私が陸上部に入りたいということを話してくれたのは小学、中学、高校と一緒だったY之だった。タコとは同じH組だ。Y之が
「俺のクラスで陸上部はS田だな」
呟いたことがあった。
Y之は中学、高校と軟式テニス部で、中学では確か県大会にも進出している。
中学入学時は部活に入るつもりはなかった。でも恵まれた体格に、女性クラス担任教師が
「運動部に入ればいいのに。後で後悔することにならなければいいけど?」
言われて何気なくテニスを選んだ。でもおかげで彼の才能が目覚めた。ふとしたきっかけは誠に不思議だ。先生の一言が無ければ帰宅部として埋もれてしまったかもしれない。
私とY之はSI中学、タコは更に東隣りの町の中学出身で、帰宅方向は同じで成田空港駅を利用している。これから三年間の朝夕なれにしになる。
話は戻りNW高校陸上競技部、私の入部初日、顧問のK嶋先生は、見かけぬ私を見て首を傾げた。
「今度入部しましたI辺と申します。宜しくお願いします」
「ああ、君がI辺君か、これから宜しく」
タコの言うように、とくに入部届という書類は提出することなく晴れて陸上部だ。
二年生のN野先輩とF田先輩にも挨拶。
N野先輩が
「こちらこそ宜しく。ところでI辺の希望種目は何?」
「はい、中長距離走です」
「そうか、1500mや800mなら問題ないな。試合には出られるぞ。まあ、他の種目も同様だけどな」
「えっ、いきなりレギュラーですか?」
「初予選にブロック大会があるけど、一人三種目までエントリー可能。それとは別にリレー種目にもエントリーできるぞ」
意外だった。私は中学時代野球部。先輩たちが居る間は練習試合すら、出場することはなかった。当然高校の陸上部生活も二年生になるまでは下積み期間だと覚悟していた。
少しラッキー!
実はN野先輩とF田先輩も県大会マイルリレーに出場する。
やがて陸上部は市営野球場周辺へ移動。
この日は土曜日。野球場周回道路で先輩たちと練習に励んでいるタコをよそに、
「今日はロードに行こうか、センタービルを一周する4キロコースだ」
今日は二年生の女子、Y子先輩がT澤と私をロードワークに誘ってくれた。団地とマンションと戸建て住宅街、これらが適度にパズルを構成するように、しかし綿密に設計されたニュータウン。その中のトリムコースと称される、ウォーキングとサイクリングコースとなっているアスファルト舗装の道を走り続ける。住宅街や団地を縫うように、ときに谷間、ときに築堤盛土。バラエティーと起伏に富んだ、ウォーキングにも人気が出そうな感じのコース光景だ。そして東京の貿易センタービルを二回りくらい小さくしたような聳え立つセンタービル廻りを階段のアップダウン含め、コの字を描くように、違うコースで野球場に戻るルートだった。Y子先輩は道中、先に入部していたT澤に、○○先輩はこのコースを何分で走るんだよ、とか話していた。
今日は比較的ゆっくりなペースだったので、初めての私でもついていけた。
Y子先輩をはじめとする二年生女子選手の面々は、実は美女揃いだった。クラスメートにも羨ましがられる程だ。
「Y子先輩やF枝先輩は美人だけど声も綺麗なの?」
「うん、ドスのきいたガラガラ声だよ」
「えー! 嘘だろ?」
冗談も弾んだ。
初の平日放課後練習、この日は厳しい洗礼を受けた。
この日もタコは先輩たちとリレーの練習をしていた。
三年生の部長、リーゼント姿の生徒会長でもあるS木先輩。マイルリレーの練習もあるのだが、今日は私たちのインターバルにお付き合い。100m全力走100mジョグ、200m全力走200mジョグ、400m全力走200mジョグ、これを延々と三回繰り返す。メンバーは他にY子先輩とT澤。
「ファイトだぞ!」
とS木先輩。
皆、速い。土曜日のロードではゆっくりだったので、力量がわからず、大したことないかな、とタカをくくっていた
100、200、400m全力走は最初からついていけない! Y子先輩とT澤は何とかS木先輩にくらいつき、一丸を保っている。ジョグの際は皆で、遅れる私が追いつくのを待ってくれた。でも全力となると大きく離される。もう全力が来るのが怖い! その度シンドイ思いをするのも辛い!
結局初インターバル走は散々な結果になった。走り終わった後、T澤が
「びっくりしただろ! 皆こんなに速いとは思わなかっただろ! I辺もこれから心を入れ替えて頑張ってくれよ」
微妙な言い回しではあるが、T澤なりの実体験からくる励ましと受け取ろう。
秘かにはY子先輩は、もっと遅いかと思っていた。でも大きなしっぺ返し。彼女は女子800mと4×100mリレーでは県大会進出の常連で800mは確か2分20秒前後で走り、県大会でも上位に食い込む実力者だった。
翌日の練習は1000m×3本のロングインターバル走。間は600mのジョグで繋ぐ、私にとってはハードだ。スターター兼コーチをしてくれるS木先輩が
「そうだな、1000mを3分10秒以上かかつたら中長距離走は諦めたほうが良いな」
ええー!!
今日のメンバーはT澤と、短距離走が専門のN尾だ。
T澤は中学時代、バレーボール部だが3ヶ月でやめてしまい、殆ど帰宅部状態。でもランニング等運動大好き人間だったため、1500mは5分15秒ほどで走ったという。その自信から陸上部中長距離走を選んだのだろう。
一方N尾はイモと同じ中学で陸上競技経験者。とぼけた一面もあるが、100mは12秒6位で走る。
1000m一本目はトップのT澤は3分20秒、2位のN尾とも大きく離された。4分くらいかかってしまった。早くも、あと二本もシンドイ思いをするのは嫌だな、もう中長距離クビでも良いや。弱気の虫が騒いでいる。
結果は三本とも2人に大きく差を付けられた。常にトップのT澤とは300mトラックで3/4周くらいの差だ。でも三本目の1000mのラスト100mはS木先輩が並行して走りながら𠮟咤激励
「もっと腕を振れ! 足を上げろ! もっと出る! もつと! もっと!」
励まされると、ホントは息も絶え絶えだろうけど、不思議とスピード感はあった。でも冷静に客観的に見ている自分も居て、あー、これつて青春? まんまドラマだな。
今となっては思い出だ。
社会人になってから、何かのニュース番組でS木先輩たちの世代はしらけ世代と言われ、やがて彼らは社会へと飛び出した。そんなナレーションだった。でもあの世代の先輩たちは、怖い人も居たけど面倒見の良いお兄さんが多かったように感じる。しらけ世代なんてとーんでもない!
さて、練習が終わり、教室に戻り着替えをしているとき、
「N尾にも、大差で負けてしまったよ。本職なのに。ところで1000mタイムはどのくらい?」
「あー、ふー、大体3分40秒平均くらいかな? I辺は陸上部入部までのブランクが長くて本来の力が出ていないのでは? まあ、辛抱して練習を続ければ。俺なんか抜けるようになるよ」
「そうかなぁ?」
この時点では、T澤もS木先輩の言った3分10秒よりは遅かったが、やがて二年になったときには1500m、4分22秒の走力を得ることになる。
五月中旬の金、土、日の三日間の日程で千葉県高校総体が行われた。ところは千葉市内の千葉県総合運動場、京葉道路穴川インター降りてすぐだ。でも、その前のブロック予選もここで行われていたらしい。
タコの話によると、T澤はブロック大会出場予定だったが、足を痛めてしまい、出場辞退とのこと。N尾は100m走、残念ながらブロック大会落ち。E治とイモは前述の通り、余裕でブロック大会通過、県大会出場。
N野、F田、タコ、S木でマイルリレー出場。
順位は残念ながら上位には遠く届かなかったが、そこは県大会、誰でも出られる大会ではない。選ばれし者たちが集う大会。迫力のあるリレーを演じた彼らは輝いて見えた。
因みにS木先輩はバッサリとスポーツ刈りだ。
E治には驚かされた! 彼は走り高跳びで2mに迫る高さを飛び、6位以内に入り、南関東大会出場のチケットを手に入れた。
普段の彼はというと。練習帰り校舎を出る前に、
「君たち、ピットインしていかないのかい?」
皆を誘ったのは校内の三角パックの牛乳自販機。白とコーヒーの二種類ある。身長1m82㎝のE治の学生服姿は迫力があるが、可愛い一面もある。
またNW高校名物の悪ガキ軍団とも交友関係がある。E治の口癖は「君たちは~」「実を言うと~」「特定の女はつくらない」だ。入学時は中学の校則の関係で坊主。高校では伸ばすつもりが、たまに悪さをするので、坊主→坊主→スポーツ刈り→パーマ→坊主→パーマ→坊主→パーマ→スポーツ刈り→高校部活引退でパーマ、という具合だ。大会の関係でのスポーツ刈りもあるが、三年間で彼ほど髪型が目まぐるしく変わるのも珍しい。でも基本的には喧嘩は好まない穏やかな性格である。と思う。
私は、というと入部したのがブロック予選と県大会の間の時期に入部したので試合に出られる筈がない。なので県大会は多少遠足気分で雰囲気を味わった? 一面もある。
会場は各校思い思いにテントを張り、ユニホームもカラフルで髪型も自由(学校にもよる)で、女子も沢山いるので、開放的で華やかな世界だ。弁当を忘れた際は、スタンド裏で売られているアンパンやクリームパンがなかなか美味しい。
その後は私も着々と日に日に走力を付けていった、にはならなかった。
インターバル走やタイムトライアルの日々に左足がビックリしてしまったのか、左足大腿部を痛めてしまい、ぴっこを引いて歩く日々になる。
痛みながらも自分では普通に歩いているつもりが
「I辺、ぴっこ引いているぞ」
T澤やN尾や、他のクラスメートにも言われる始末。痛いときは激痛に近く、
「よく、それで練習できるな?」
と言われる始末。
とにかく、いつ治るのかわからない程、長引いてしまっている。左足に体重がかかると、何とも形容しがたい抜けるような痛み。これはもう医者だな。顧問のK嶋先生にも言おう。
ニュータウンには所々に、超コンパクトに縮小されたショッピングモールのような商店街がある。スーパー、本屋、花屋、飲食店が昭和の雰囲気で揃っていた。
そんな商店街のひとつに、整形外科があったので、学校帰りに通い始めた。確か三日に一度くらいの頻度で。行きは学校から二十分くらいかけて歩いたが、バス通りでもあるので帰りは、さすがにバスで駅へ。
「電気治療と湿布薬で治していきましょう」
と物腰の柔らかい先生だった。
幾度となく通った。規則正しく並ぶ団地や戸建て住宅の数々、さらに外側に広がるオールドタウンの緑の森林。
買い物カゴを抱え、商店街を往来する主婦たちを見ていると生活感を感じて、何故か心地よい。整形外科通いも悪くないな。
電気治療は受けた直後は、少し良くなった感はあるが、一時的で左足の痛みは本当に治るのか? 安堵と不安の複雑な気持ちだ。
やがて妙に心地よい整形外科通いにも終止符が打たれた。
同じクラスのS谷君に、この足の痛みを話したら、
「成田山に向かう参道沿いに、俺が生まれたF倉病院があるから尋ねてみなよ」
翌日早速尋ねた。白髪の初老の先生だつた。
問診で今までの経緯を話した。先生はレントゲンや電気治療等をすることなく、
「化膿止めの飲み薬を出そう」
えっ! あっけない。
その後、ミラクルが起きた。薬を飲んだら、嘘のように左足の痛みが治り、練習に復帰出来たのだ。まるで足の痛みに苦しんだ日々が無かったかのように。
S谷君とF倉病院には感謝、感謝だ。
その後の練習の日々で私は徐々にではあるが、走力をつけていった。だが、1500m走で5分を切るのは、ずっとずっと後だ。
思い返すと部活帰りの日々。旧成田空港駅の改札を出る際、
「今日は遅いな、いつもより長い距離、走ったのか?」
顔見知りになり、声を掛けてくる駅員さんもいる。でも、友人と一緒のときは気を利かせて声を掛けないでいてくれる。今思うと毎日なれにし。ささやかな幸せだったのかも。
強いて言えば、当時の私がもっと社交的であれば談笑とかして、少し年上のお兄さんたちから、いろいろ吸収できたかもしれないのが、少しモッタイナイ。
そんな日々の中、駅のロビーの柱を取り囲んでいる丸椅子に座り、ロビー壁沿いにある自販機で買ったドリンクタイプ発酵乳『ヨークドリンク』を飲みながら、ホッと一息ついていた。
改札を出て、こちらに向かっているY之の姿が。テニス部と練習終わりが同じくらいだったのかも。
「おっ、I辺ちゃん何飲んでいるの?」
「ヨークドリンク、お気に入りなんだ」
「そうかなぁ? 飛行機乗る人は、よく飲んでいるけど、なんか牛乳臭いんだよな。ジョアのオレンジは俺も好きだけど」
「ジョアもヨークも同じヨーグルト、そんなに変わらないと思うけど」
飛行機乗る人は当時、駅から地上に出て、そこから旅客ターミナルへは更にバスで向かうのだ。
あー、でもこれも学生時代のささやかな日常の幸せ。社会人になった今、しみじみと思い出される。この駅もそれなりに華やかだった。
高校生活も気づいたら夏休みに突入していた。冷夏だった。部活の帰り、また雨降りだして夏とは思えぬ涼しさ。雨模様のニュータウンとオールドタウンの山林を見ながら、
「夏じゃねぇ、異常気象だよな」
皆で言いながら帰ったものだ。
夏休みも終わる、少しは暑くなった8月下旬にブロック大会が千葉県総合運動場で開催された。
私にとっては、待ちに待った初めての大会。
中学の野球部三年間はレギュラーになれなかった自分にとっては試合に出られるだけでハッピーだった。
1500m走出場するも、5分以上かかつた。顧問が、まさかの5000m走エントリー、少々面食らって出場するも、トップとは周回遅れ。何れも順位は散々だったが、一応試合デビューで、気分は妙に晴れ晴れだった。
でも先輩や同輩は一歩上の高みを歩んでいた。はっきり言って、私以外はリレーも含めると皆、県大会行きのチケットを手に入れた。
部員数が少ないので試合出場は当たり前。皆、県大会出場がメインの目標なのだ。
取り敢えず、皆さんおめでとう!
夏休みが明けて9月中旬に金、土、日の日程で千葉県新人戦、陸上競技大会が開催された。会場はブロック大会と同じ。
T澤も初めての大会だが、ブロック大会では800m走2分11秒で予選落ち、でも400m走では県大会チケットを手に入れた。
県大会では400mは56秒という結果。
ブロック大会では相手チームの棄権で、県大会4×100mリレーに出場したN尾は第二走で12秒6(確かその位だと思う)。
皆、檜舞台を走り抜けた。羨ましい!
E治はまた快挙。走り高跳び2m2㎝を跳び、県大会優勝! でも新人戦は上位大会無いので、ここで終わり。
新部長となったN野先輩をはじめとする二年生や他の同輩も県大会に出場する種目が幾つかあるので、私は付き添いとして補佐した。
先輩や同僚は殆どが中学からの陸上競技経験者、自分は高校に入って陸上競技を始めた初心者、最初はこんなものかな、と言う感じで、どこか満足していた。だが、この満足がモッタイナイを招いてしまったのだ。
大会何日目かは定かではないが、深刻な事態になっていた。
4×400mリレー、所謂マイルリレーのスタート時間が迫ってきていた。メンバーであるタコが来ていない。
大会中、成田から電車で皆、会場入りするのだが、タコは電車に乗っていなかった。
まだスマホ等はない時代。
マイルリレーは四人のメンバーの他に二人の補欠を登録している。そのうちの一人がゲッツー先輩、もう一人が私である。
ゲッツーとは体育の授業のソフトボールでいつもダブルプレーをくらうので、その名がついた。この先輩も一年のとき、新人戦の1500メートル走でブロック大会を通過し、県大会出場を果たしている。素質は有るのである。一見、長髪パーマで不良っぽいが、結構面白い先輩である。
「タコはしょうがない奴だな、ゲッツーかI辺に走ってもらうか」
と、部長のN野先輩。
顧問のK嶋先生が
「ゲッツー、スタート時間が迫っている、リレーに出る用意をしろ」
「それが、ゼッケンを忘れてしまって」
「なんだ、しょうがないな、I辺、お前が走れ、一年生なのに桧舞台に立つことが出来るぞ!」
「実は、私もゼッケン忘れてしまって」
「ナニィ! お前ら、自分の立場がわかっていないのか! 何のための控え選手なんだ」
やがて、
「4×400mリレーの選手は集合して下さい」
場内アナウンスが流れた。依然タコは来ない。
苛立つK嶋先生。
「モッタイナイ! 棄権だけはしたくない」
でも時間は容赦ない。
とうとう、無念の棄権という結末になってしまった。
それから五分後、タコが現れた。
「いやー、悪い悪い、でも先輩かカツオ(私の名字の頭文字からサザエさん、タコはこう呼んでいた)が出たんでしょ?」
その後、私達三人は、こってり油を絞られた。
そのときは、そうでもなかったが、年数が経てば経つほど、後悔の思いが強くなった。
南関東大会やインターハイは雲の上。でも県大会はなんと微妙な位置なのだろうか?
大会の前にブロック予選があるので、県大会出場は一寸したステータス。
選ばれし者たち、持っている者たちなのだ。将来社会人になって
「実は俺、高校時代に県大会に」
なんて会話をしてみたい。
あー! ゼッケンさえ持っていれば、憧れの県大会に出場できたのに、モッタイナイ。
(了)