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残響と号哭:雑感

久しく更新を忘れていた雑感シリーズ。
何事もまずは続ける事が大事。と言う事で、
お久しぶりの更新です。

さて、先日、新しく公開した新曲、
残響と号哭ですが
聞いていただけましたでしょうか?
最近の曲の中では、
大分ヘイトに傾いた曲になりました。
まず出だしからさっそく
僕らひとりぼっち。
結局最後の最後
こんな結末誰も思いつかない
からはじまります。
この曲は、現実と創作、その何方もが
自分の味方をしてくれなかった時、
何に縋るのかをテーマにした曲です。
テーマにするくせにあまり深くは掘り下げないのが個人的には僕らしさなのかななんて思っています。
僕らは、どれだけの人と関わっても最後は
ひとりぼっちです。
凄いですよねこのシステム。
僕が神様的な立場にいる人間でも
中々考えつきません。
そんな感じで、ふと、その仕組み自体が
結構酷いなって思ったんですよね。
だから現実なんて
大嫌いです。
曲の中の“僕”は。
2番目の創作の下りもそうです。
創作って
創作なんですよね。
正義のヒーローとか。
救世主とか。
絶対的味方とか。
いないんですよ。大抵。
この曲の主人公は現実を捨てて
創作に縋ったけれど、
創作すらも助けてくれなかった。
やるせないほど泣くって…
ねぇ、相当ですよね。
でも“僕”が生きてるのは現実なので
正義のヒーローには出逢えませんでした。

終わらせる事が間違いならば
君が止めてみろよ
っていうのは、
自殺に限らずですけど、
終わらせる事を無責任って言う人
結構いると思うんですけど
そういう人達こそ無責任だと思っていて
多分、曲のなかの“僕”という存在は
かなり辛い何かがあって
首にかけるロープや
血を流した胸をみて
自分と同じだと、勝手に
仲間をつくっていったとおもうんですよ。
でいざ終わらせようとするとこの世では
無責任だと言われ
やめなよ〜と言われる。
生きた後の責任は誰も持ってくれません。
“君”というのは別に人というわけではないです
終わらせる事を“間違い”として非難してくる
者たちを、“君”としています。
じゃあそこまでいうなら止めてみなさいよ
と。
ちょっと怒ってます。

ただ、僕らはずっと繋がって生きてます。
最後の
君が止めてくれよ
というのは、
その繋がりに最後まで縋っていた
“僕”の本質です。
現実でもなく
創作でもなく
目に見えない
“繋がり。”

現代では特に、
この繋がりが大事なんじゃないかなって思います。

「残響と号哭/むらさき。」
https://eggs.mu/song/6f4f5c7f3f0861e1937deb60775420e77b85a61a4e361df6e0812b629279f423
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