不適切な祝辞「絵画」(完結)

あれこれ続きました不適切な祝辞(挿話)シリーズ、漸く完結です。今回は様々な障害を乗り越えて「不適切ではない祝辞例」をご紹介致します。

(不適切ではない祝辞例)「絵画」

「ナインチェ・プラウス」という名前を聞いた事のある方はいらっしゃいますか?

ナインチェ・プラウスが初めて日本に紹介されたのは東京オリンピックが開かれた1964年です。それ以来、ずっとナインチェは日本でも愛され続けております。
ナインチェと言う言葉は子うさぎを意味するオランダ語から作られています。ナインチェは小さなうさぎの女の子です。と説明すれば分かる方も多くいらっしゃいますね。日本ではうさこちゃん、英語圏ではミッフィーと呼ばれております。

うさこちゃんの生みの親はオランダの絵本作家、ディック・ブルーナ氏です。絵本を描きながら、障害のある方のために標識をデザインする等、福祉にも造詣のある方だったんですよ。

ところで皆様は「うさこ」ちゃんの横顔が描かれた絵って見た事ありますか?ありません。ブルーナさんはうさこちゃんの横顔を一枚も描いたことは無いんです。
「ナインチェを愛する子どもが絵本を見ている時に、絵本もまた愛情を持ってその子どもを見つめている」。ディック・ブルーナ氏のそんなメッセージが込められているのだそうです。ディック・ブルーナの絵本は読者と絵本の愛で繋がっているんですね。氏の深い愛情が感じられる良い話です。

今日はお二人にディック・ブルーナの言葉を紹介します。
ディック・ブルーナが若かった時、彼は小説に挿絵を描く仕事をしておりました。
小説の挿絵と言えば主人公を中心にして作品世界が描かれるものですが、彼は挿絵に主人公を描く事は無かったそうです。
「何故あなたは主人公を描かないのか」と尋ねられた彼は「主人公の姿は読者の心の中にあるのだ」と答えます。つまり、ブルーナさんの描く挿絵は「読者」が自分の中にいる主人公の姿を重ねることで初めて完成するんですね。
これは凄い事だと私は思います。絵を描く人はつい一人で絵を完成させてしまいます。空白を開ける事は出来ません。もし空白を開けて、其処に自分の美意識に反するものを描かれたら大変です。自分の作品を汚されたと、怒るでしょうね。これは芸術家のエゴです。思い通りの作品が完成しなければ気がすみません。
しかしブルーナさんは逆です。空白を作り、其処に好きなものを描いてご覧と言います。どんな絵が完成するのかブルーナさんにも分かりません。読者の思うままに任せる事ができる。これは読者に対する愛ですね。

この事は結婚に於いても同じです。
誰かと一緒に暮らせば、自分の思う通りにいかないことも多くあります。思い通りにいかないことを面白くない、と思うのはエゴです。思い通りにいかない事が面白いと思うのが愛です。
自分のやりたい事はやる、相手のやりたい事はやらせない。とお互いがエゴイスティックになってしまってはいけません。
お互いに相手の事を気遣って暮らせばお二人の暮らしはとても豊かなものになろうと思います。
難しい事ではありますがお二人ならきっと出来ると思います。
結婚は二人のお気持ちが重なって完成される一枚の絵画です。お二人の描かれる絵画はきっと素晴らしいものになると信じております。
改めまして本日はおめでとうございます。
私もお二人の幸福を心から祈っております。


皆様のおかげで何とか祝辞の挿話が完成致しました。式にも間に合い、嗚呼良かった。
後は笑顔と礼儀を忘れずに!
不適切を繰り返した祝辞シリーズ、これにて完結です。

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(後日談)
改めまして皆様こんばんは。
ただいま結婚式より帰って参りました。良いお式でございました。皆が幸福そうでした。
そして諸々危ぶまれました私の祝辞は何うなったのか、結果をご報告致します。
実は。
結局、この祝辞は使いませんでした。
いや、場の雰囲気がですね、思っていたよりもくだけていて、こんなに畏まったお話を長々できる雰囲気ではなかったんです。(引っ込み思案)
結局、挿話は交えずにご挨拶とお祝いの言葉で終了致しました。
一体何処から間違えていたのか。事前に空気を読めない私の性格が不適切。とそんな結末でございます。
ううむ。

本日結婚されましたお二人と、誰も知らない私の一人苦労に乾杯。
(笑顔は作れていたと思います。。)

了。

(村崎懐炉の不適切な祝辞「絵画」)

#エッセイ #祝辞 #ナインチェ #うさこちゃん