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NEMURENU56thテーマ決定

NEMURENU(眠れぬ夜の奇妙なアンソロジー)はnoteユーザーの記事をひとつのテーマで繋げるアンソロジーです。 毎回テーマを決めて新しい作品を提出するもよし、過去作品を紹介するもよし、他の方のおすすめ作品をご紹介する事もできます。作品の形式は文芸、イラスト、音楽、動画、どんな形式の作品でもnoteに投稿された記事であればご参加頂けます。

そんな企画もとうとう五周年を迎えました。回数にして第56回でございます。
開始当初からの低空飛行で、細々運営されております。

さてこの度も、NEMURENUのテーマが決定致しましたウエーイ!
さあ、諸君らの命運を惑わすテーマの発表だぜ覚悟は良いか野郎共……ッ…!!




と、気勢を上げるのもホドホドに、ますば年寄りの話でも聞いてください。


掛川。
静岡の真ん中には掛川という街がありまして。
最近、ちょっとした掛川ブームになっている。
それは、こんな企画があるから。

怪談もしくはTTRPGの公募、もしくはコスプレの祭典。
「掛川百鬼夜行」

12000文字以内の怪談コンテスト(怪談をテーマにした文芸コンテスト)が開催される。(詳細はホームページ参照のこと)

賞金はなし。
入選作を集めて冊子が作られて頒布される。
そして、ハロウィン(令和5年10月29日)に開催されるイベントにはみんなで妖怪のコスプレをして集まる、というもの。

テーマにする伝承、怪談は何でも良いけれど、掛川に伝わる伝説の方が評価が上がるらしい。

ワオ、ローカル!

という公募をnemu隊の千本松さんから教えて頂き、ムラサキ属するムラサキ事務所で検討の結果、ムラサキも参加させて頂くことになりました。

これ。

以前書いた小話を掛川編に改稿。全体的に掛川です。

どうして掛川で、ハロウィンで、百鬼夜行?
と思われるかもしれませんが、掛川は城下町で古い伝承がたくさん。
怪異の集まるお化けの街なのです。


ん?

ん?

お化けの街?



デンデロデロデロ
デンデンデン……


はい。
ということで次回テーマの発表です。



NEMURENU56th GHOST TOWN

ゴーストタウンです!

ゴーストタウン(英語: ghost town、幽霊都市)とは、一度形成された都市や集落が廃墟化して、居住していたことを示す建物や痕跡のみが残されている場所のこと。ただし実際にはごく少数の住人がいる場合もある。

Wikipedia「ゴーストタウン」より抜粋

Wikipediaにある「ゴーストタウンの例」は世界中の放棄された街が詳細に語られていて読み応えがあります。読んでみて!

産業構造の変化、気候変動、災害、戦争、ダム化。あらゆる理由で街が、村が放棄されている!
限界集落が消滅したらゴーストタウンと呼ばれる訳ですね。日本にある市町の半数が限界集落で、今後三十年の間に消滅する危機がある。ということは極端な話、三十年後の日本は半数がゴーストタウンの幽霊国家になるわけです。嫌な未来ですねえ。

字義通りのゴーストタウンの他に掛川百鬼夜行のような「ゴーストなタウン」もテーマの一環としても良いでしょう。NEMURENUは何でもアリの企画です。

京都一条通りは百鬼夜行発祥の地。通りに面する大将軍商店街は妖怪ストリートとして町おこしを企画してきたが、いま妖怪ストリートの妖怪たちは「百鬼夜行に化けた古道具」さながら老朽化し、無惨に打ち捨てられていく。妖怪ストリート消滅の危機。本物の百鬼夜行が現れる日も近いかも。

水木しげる出身地、妖怪のまち。境港市の観光ガイド。妖怪ストリートに並んだ妖怪ブロンズ像は177体いるそうです。作り過ぎだなあ。何処もかしこも妖怪だらけで子供の情操教育に不安を覚えます。子供、泣くんじゃないか。

https://officeburn.jp/

全国各地で特設お化け屋敷をプロデュースする会社。体験するホラー映画、といった感覚のお化け屋敷が設置されます。ホームページでは今までに作られたお化け屋敷企画がご覧いただけます。今度はどの街にお化け屋敷ができるかな!

ゴーストタウンと言えば廃墟。
廃墟は管理されていないだけで、土地や建造物には所有者がいる筈です。日本全国、所有者のない土地など無い、と思うのですが。最終的に所有者のない土地は市役所などが収用する訳ですし。
廃墟と言えど私有地、公有地への無断の侵入は犯罪です。廃墟にもっと配慮が必要だと思います。土地所有者を明記するとか。

今回のNEMURENUのテーマはゴーストタウン。
ゴーストタウンな作品を持ち寄ろうぜ!


募集要項

NEMURENUは毎回、テーマを決めて皆様から作品を募集しております。
第56回のテーマは「ゴーストタウン」!

自作品の宣伝に、武者修行に、クリエイター同士の交流の場として……etc。
お気軽に企画にご参加下さい!参加資格や制限はありません!
参加の方法は応募作品にハッシュタグ「ネムキリスペクト」と付けるだけ!
文芸、イラスト、写真、音楽オールジャンルでご参加できます!
新作、過去作、自薦、他薦問いません。
誰でも、なんでも、歓迎します!

作品提出後に私が気がつかない場合は記事のコメント欄等でおしらせください!

皆様のご参加お待ちしております!!
提出締切は8月末日です!

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おまけ

「掛川百鬼夜行」の資料として掛川の伝説を調べていました。

掛川の伝承メモを公開します。メモだから内容分かりにくいですが。インターネットには出てこない話もありますので、掛川の伝承に興味のある方はご覧ください。



文化のしおり第1集 掛川市教育委員会社会教育課(歴史教室)
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2大蛇退治
小夜の中山の真下、沓掛(日坂の宿)
底なし沼と呼ばれる古池、地下はくらほね池まで繋がっているといわれた
大蛇が子供をさらって食べる。沓掛の神隠し。
榛原郡の湯日村の養勝寺に悪魔払いを頼む
大蛇はお経で退治されて、鑑和尚はその地で常現寺の住職になる
昔は蛇塚があった
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3蛇身鳥物語
場所、菊川の里
登場人物、
周鳥(一字でくまたかと読む)平内という狩り好きな男
その妻
娘の月小夜、息子の八太郎
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7策平さんの家の瓶のはなし
東山口の海老名(あびな)の鳥居策平さんの家の庭に骨がめが2つある。それを嫁の頼美さんは気味悪がっていた。
ある時観音様の夢を見る
海老名の、お滝のほうえんさまに出かける。ほうえんさまにお祈りをしてもらう
市川準之助と千恵が蛇になって息子である信千代の骨を探している
いわれた通り、茶原に遺骨が埋まっていたので二つの骨がめと一緒に埋葬した
8うなぎが渕
うなぎ商の宗一が海老名の里の洞窟で籠の中の鰻を取り逃がす。洞穴に逃げてしまって掴み出せない。
何年かけても鰻は捕まらず
それは子供の宗平に継がれ、孫の宗助に継がれた。宗助は鰻に餌を見せて餌を与えず、心労で痩せさせて見事に捕まえた。そのうなぎは掛川城の北の堀に放したが、北の堀に魚が1匹も居なくなってしまった。男たちが化けうなぎを発見して、捕まえようと格闘したが
鰻は捕まらない。老婆の姿に化けて鰻の命乞いをしたが、結局鰻は捕まって食べられてしまった。うなぎを食べた人たちは熱病になった。宗一がうなぎを逃した海老名の淵をウナギ淵という。
話者は鳥居策平。
9雄鯨山、雌鯨山
事任神社の八幡様の娘(脇宮のよめ石権現宮)を嫁にもらおうと雌雄の鯨が川を遡る。故にその川の名前を逆川と言う。
事任の八幡様は鯨を撃退。雄鯨山と雌鯨山となる。鯨が退治されると7日7晩周囲が暗闇になったので、その土地をくらみと呼ぶ。
10白蛇様
塩町の真ん中に身代わり観音が、祀られている。一度、大水でお堂が流されてしまったが、後に身代わり観音は掘り起こされて、同じ場所に祀られた。そこに2匹の白蛇が住むようになり、白蛇様と呼ばれて一緒に祀られた。
土から観音様を掘り起こし新しいお堂を寄進した源太さんはその後に栄え、その息子は第二次大戦の硫黄島の決戦で、自害しようとしたが、そこに白蛇様が観音を抱いて現れ、自害を止めた。
じゅうくしょ
掛川と神田は、平将門の胴体と首つながりで姉妹町になっている。上やしきの八幡様(東光寺)は将門が信仰した「鼻取薬師」で、お参りすると狐憑きが治る。
20惣ケ谷お菊
五明村の惣ケ谷にお菊というおばあさんがいて、狐を助けて家で飼ったら化けるようになった。
それを宇吉と名付けて、働かせていたが、村娘から惚れられる。庄屋の娘が宇吉に夢中になり、縁談を迫ったが、断られる。
娘はノイローゼになって、お菊お婆さんと宇吉の家に放火して、惣ケ谷池に飛び込んで死んだ。お菊お婆さんの家からはお婆さんの焼死体と狐の死体があった。
庄屋の娘の死体は3日後に池から発見された。惣ケ谷には火の玉が出るという。
33無間の鐘
設置は弘道仙人(天平年間)
撤去は忍雄和尚(天禄二年)
34
https://www.tazunearuki.info/tengu/densetsu13.html

昭和6年12月25日常発行
小笠郡下傅説集(編集 小笠郡中村西之谷 青木康一 小笠教育時報編纂委員)
〇大鐘老婆の亡霊
大鐘家は代々大地主。繁栄したが、大鐘勘十郎、その嗣子大鐘勘左衛門が急死した事で、一族は大鐘老婆だけになり、彼女は孤独の中で自殺。
田畑、財産は親戚に分与された。
大鐘家の畑、大鐘堤には亡霊が出るという。
〇原田村字高山の断じ
旧暦12月18日から24日まで断酒する習わしがあり、断じ破りすると火難にあう。
寛政享和の頃に高山村は火災が多く、村民が火災の厄除けに秋葉山に立願した事に起因する。この立願書は高山村の井口家に残されている。
玉法寺の住職が外村から来て、断じ破りをして酒を飲んで寝たら、朝になって着物が灰になっていた。
またある男が外から婿に来て、断じを守らなかったら、翌日持ち物が全て灰になっていたので、秋葉山にお詫びに行った。
高山村出身の人もこの掟は守っている。
〇剛力僧の倍長
原田村寺田に大きな墓石がある。倍長の墓。
倍長の物といわれる大きな弁当箱が祀ってあった。
豪族、原出羽守が没後に怨霊となって大蛇の化身で現れ村を襲った時に、倍長が蛇を捕らえて祭祀の礼を厚くした。毎年10月28日を祭日と決めた。
〇片目の大蛇
天平年間、佐野郡五明村に悪い大蛇がいて、観音さまに罰として片目にされてしまった。
佐野上人(元正天皇の病気平癒の褒美に上人の位を賜る)が五明村に来ると、村人が蛇と喧嘩している。佐野上人が蛇を咎めると、蛇は非礼を詫びて海に身投げした。
村の人々は海に行って蛇の亡骸を探したが、探しに出掛けた者が、帰らない。30年後にその時出掛けたもののうち20人だけが帰ってきて、大蛇の鱗100枚を持ち帰ったという。

掛川豆知識
・掛川城の北東にある龍尾山、東にある北池は京都の比叡山と琵琶湖の位置関係を模倣している。鬼門封じの役割りがある。
・掛川城の裏鬼門にあたる南西には十九首塚(じゅうくしょづか)という首塚があって、平将門とその部下十八人の首が埋められているという伝説がある。十九首塚の隣を流れる川は血洗川という名前。
・掛川の市街から隣町の金谷に抜ける峠道は日坂と言って、急坂が続く東海道の難所。別名小夜の中山。峠の途中は日坂宿という小さな宿場町がある。
確か日坂には地獄の入口があるという伝承が残っている。
・日坂の中腹、小夜の中山は昼間でも薄暗く、夜泣き石の伝説が有名。現在夜泣き石は二つあって、権利関係で揉めている。
・掛川から見て日坂の入口には事任八幡宮がある。これは掛川市内全体の鬼門封じになっている。
掛川城を挟んで南西(うラキモン)にも事任神社という小さな社殿がある。
事任八幡宮と事任神社は「ことのまちひめのみこと」を主祭神に祀るが、「ことのまちひめのみこと」を祀る神社は全国でもここしかない。「ことのまちひめのみこと」がどのような神であるかは謎だが、託宣の神であると思われる。天岩戸で祝詞を読んだ天児屋根命の母。天児屋根命は藤原氏(中臣氏)の祖神。つまり「ことのまちひめのみこと」は藤原氏の母神にもなる。
・掛川に先住した国人は、京都から移住した藤原南氏系統の原一族。原野川などに原氏の名前の痕跡が残る。原野神社は京都市街の南西に位置する原氏の祭神。十九首などの地名は原氏が名付けた可能性がある。掛川城と十九首塚、京都御所と原野神社の位置関係はどちらも西南西と同じ位置。原氏の傍系に孕石氏がある。孕石のある孕石神社周辺を納めたので、孕石の姓を名乗った。


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