あゆみ
その人の名は、
俺は、25年振りに再会した昔の恋人の姿を見て、
一瞬でも「汚い」と思ってしまったんだ。
そんな俺を、ずっと俺自身が許せずにいるんだ。
俺の知らなかった、この30年間の空白の年月にあゆみがどれ程の苦難を乗り越えて、どれだけの辛さを味わって来たのかを考えもせずに、自分の自堕落な安穏とした生活感があゆみの苦労が滲んでいる姿を見て、汚いと思ってしまったんだ。
結婚相手を見誤って、僅か数ヶ月で離婚をして、
そして、生死をさ迷う様な大病に掛かり、何度かの手術を重ねて、再会した時点で生きているのが奇跡なんだと医者に言われたんだよ。と、笑いながら話していたあゆみだったんだ。
その辛い離婚や苦しい闘病生活を支えてくれていたのは、高校時代に経験した恋愛だったんだと真顔で俺には向かって話してくれたんだ。
そんなあゆみを、一度でも「汚い」と思ってしまった自分が、
人として生きていてはいけない最低なグズ人間なんだと痛感した。
そんな純粋な気持ちで俺と向き合ってくれているあゆみの顔をまともに見る勇気が持てなくなってしまった。
こんな俺があゆみに取って唯一の支えになっていたなんて。
それを俺は、、、
喜んで良いんだろうか?
それとも、執着心?執念?
そこに怨み辛みの感情がなくて、単純に別れてしまった後悔の念だけの悔しさだったのならば、それは俺も同調すべきなのだろうか。
嬉しさや感激は何処かに感じてはいるものの、その長年抱いて来て貰っていた気持ちを俺は素直に真っ直ぐに受け取る事が出来なかった。
確かに、思い起こせば綺麗な思い出しか記憶に残っていないあゆみとの青春時代の付き合いには、遠くて懐かしくて楽しかった思い出しか残っていなかったけど、、、
そんなひた向きな純愛を胸に生きて来た、昔の彼女を、俺は、汚いと思ってしまったんだ。
そんなあゆみに対して、面と向かって「老けたよね。」と、臆面もなく言ってしまったんだ。
その後は、あゆみを汚いと思ってしまった贖罪の意味を含め、出来る限りの感謝を惜しまずに、あゆみが望んだ通りの関係を結んだんだ。
それから暫くは、冥土の土産になんて冗談の様に言いながら、あゆみとは何度か関係を繰り返していたんだ。
忘れていたあゆみとの思い出、記憶が彼女の昔話や二人の記念品?などで所々だが呼び起こす事が出来たし、
体を重ねれば、懐かしいあゆみ特有の体の匂いがあの頃を如実に思い出させてくれるのだった。
セックス中にする仕草や癖が鮮明に呼び起こされて、
あぁ、この彼女は、あゆみなんだなってついつい嬉しくなったりもしてたんだ。
しかし、あゆみも大病や苦労をしながら長い年月を重ねて生きて来た様に、俺もまた、それなりの苦労や苦難を重ねて生きて来ていた。
将来が見えていなかったあの頃とは違い、今では、将来どころか終活も視野に入れてもおかしくない年齢になってしまってる。
少女のままの夢物語を支えにしながら生きて来てくれた、あゆみの理想像。
それは、俺に取っては余りにも非現実的で夢にすらならない世界観でしかなかったんだ。
俺の今の現実は、妻子がいる定年間近のサラリーマン。
それ以上の何者でもなかったんだ。
あゆみの夢の延長線上に俺は存在はしないし、居てはいけないんだ。
夢は夢のままで、その夢を、夢の主人公が踏みにじる様な事をしてはいけないんだ。
あゆみは、あの頃の様な、無茶で乱暴なセックスをして欲しいと願ってはいたのだが、
病気に依って失われている体力面や犯されている健康面とか、あゆみにも現実問題としてのジレンマが立ち塞がっていたし、
そもそも年齢的にも無茶なセックスが出来る年齢ではなかった。
まだ通院をしなければならない状況や、
俺の家庭の事情などにも気を使い、
あゆみの抱いていた夢の世界を汚さない為に、お互いに傷付かない為にも、
関係をフェードアウトして行ったんだ。
訃 報
大学へ進学するための受験勉強を一緒にしてくれた、中学から勉強を疎かにしてきた俺に丁寧に根気強く受験に必要な勉強を教えてくれた。
多感でヤリ盛りな年頃に、性欲の吐け口として、思う存分やりたい事をやりたいだけやり尽くし合ってくれた、言わば恩人ですらあった青春時代の彼女。
そんな忘れてはいけない、過去の大切な思い人と再会をしたと言うのに俺は、
彼女だと言う事に気付かないだけではなく、汚いおばさんとまでに思ってしまったんだ。
あれから、もう数年の年月が流れていると言うのに、俺は未だに深い後悔の念を胸に抱きながら生きていた。
ある日、突然に配達されて来た一通の手紙。
送り主の名前には全く覚えはなかった。
しかし、その送り主の住所の名前は彼女の口から何度も聞かされていた港町だった。
飾り気のない、白い便箋には、
既に連絡を断ち切ってしまってから、暫くの月日が経っている彼女の名前が書かれていて、
その命日が記されていた。
孫娘の遺品を整理している際に、生前に大変お世話になっていた貴方から頂いた品物が、幾つも大切に保管された状態で出て来ましたが、既に今ではそのご縁も切れてしまったご様子なので、お知らせすべきなのかを迷いましたが、大切な孫娘の想いをと思いまして同封させて頂きました。
ご迷惑でなければ御些少下さればと存じます。
達筆で丁寧な文字で書かれた文章が、良く晴れ渡った昼下がりの陽射しを消し去って、立ち竦む俺を一瞬にして底知れぬ暗闇の中に引き込んでしまうのだった。
淡々とした静かな悲しみと居たたまれぬ後悔をもたらし、足許が揺らいでいた。
そして、その封筒からは、あの「鈍色のリング」が便箋の切れ端に包まれていたんだ。
確かに、大病を患って高校時代の面影は失われてはいたけれど、
再会後の彼女は、それなりに健康を取り戻している様に見えていたんだ。
つい、この間の出来事の様に甦る彼女の面影には、この世を去る影など見い出す事など出来なかった。
それは、彼女のあの姿に違和感を感じなくなるまでに慣れ親しんで付き合ってしまっていた、俺の油断だったのかも知れない。
あんなにも身近に感じていた大切な存在の人が、この世から居なくなっていたなんて。
もう、何処にもいないなんて。
もう二度と会えないなんて。
俺は、その後悔に追いやられ、居た堪れなくなって、ある日にその封筒に記してあった住所を尋ねて行ったんだ。
仏壇に上げたお線香の灰が、
くるんと丸まりながら、
燃え繋いでいる。
それは仏様が喜んでいる
記しだと、
何処かで聞いた覚えがある。
遙々と遠い港街の外れまで
長い時間電車に揺られて
始めて訪れてみた。
あれから三年。
忘れる事も出来ず、
亡くなった事実からさえも
俺は目を背けていた。
何度も聞いていた
あゆみの故郷の風景は、
始めて訪れたにも関わらず、
こんな薄情者の俺を
懐かしさの
中に誘うのであった。
赤レンガを積み上げた
倉庫の角を曲がると、
風景が一変して
目の前に穏やかな海が広がった。
潮風に背中を押されながら、
緩やかな坂道を登る。
確かに、あゆみに何度か
聞かされていた想像通りの風景に、
あゆみの子供の頃の姿が
見えていた。
港を見下ろす小高い山の上。
沖で停泊している船や
港の中で世話しなく動く船。
こんな美しい風景の中で
あゆみは育って来たんだな。
なんで今更になって、
伸び伸びとしたあゆみの
笑顔を思い出していた。
そうか、そうだったんだね。
ここで生まれ育ったんだね。
じっとこちらを見詰めたままの
あゆみの遺影に、
数え切れない想い出が廻り
身動きが取れずに
ただ見詰め合うだけの時が
過ぎて行く。
遥か遠くからの船の霧笛が、
何故こんなにも懐かしいのだろう。
立ち上がる事を拒むかの様に
遺影のあゆみが語り掛けてくる。
「ここが私の生まれ育った家なんだ。
話した通りに見晴らしが良くて、
素敵な住まいでしょ。
やっと来てくれたんだね。
何よ今頃になってから来るなんて、
遅過ぎるんだから、
ここから、
夏の花火や雪の港を
二人で見て暮らしたかったな。」
真っ直ぐに立ち昇る、
白く細いお線香の煙が
揺らめき踊り出す。
それはまるで、
おどけながら
家事をこなしていた
あゆみの後ろ姿にも似て、
細く華奢なラインを
模しているようだった。
丸まったお線香の灰が
音もなくぽとりと落ちた。
差し出された遺品には、
若き日の二人が
おどけて、はしゃいで、
揺らめいて見えた。
その名はあゆみ
去年の7月の話しです。
俺は、とあるサイトに例に由って例の如くに下らない独り言を書き綴り捲っていたのです。
こんな分けの分からない下らない絵空事にも多少のフォロワーさんが居てくれて、楽しみにしてくれたり、時には共感してくれたりしてメッセージを残してくれていたのです。
そんなフォロワーさんの中に、去年の7月頃からサイト上に残るメッセージではなく、Twitterのダイレクトメッセージ(DM)でお便りをくれる女性が現れたのです。
ハンドルネーム?ニックネームはちょっとギャバ嬢の様な名前だったので、本名を呼び会う様な関係でもなかったので、取り敢えずDM上での仮の呼び名を決めてやり取りをしましょう。
と、言う事にしてお話しをするようになったのです。
その女性は俺の書いている文章を読んで、彼女に取って俺は海の様な存在で、彼女はその中を自由に泳ぎ回る人魚になった様な気持ちになれたと言って、仮の名前には「海」の時を使いたいと、
心に響くお話しを書ける人と言う意味で「鳴」の字を合わせて「鳴海」にしたいと彼女が決めたのです。
彼女は離婚をして、暫くはシングルマザーとして子育てをしながら必死に暮らしていたのですが、体調を崩してしまい働く事が困難になってしまって、
結果的には、子供の親権を剥奪されたらしいのです。
その心労から精神的に不安定になってしまい、更に働く事が困難になっていたのです。
彼女は、そんな個人的な苦労を赤裸々に打ち明けてくれる様になり、
それを励ます様なやり取りを何度も何度も繰り返している内に、
いつしか彼女は、そんな俺に会って見たいと言い始めてくれる様になったのです。
しかし、たまたまネット上で知り合った相手の住んでいる場所は、そう近い距離にはありませんでした。
まぁ、新幹線で一時間ちょっと位でしたが、なにぶんにも、体調を崩してしまっていた彼女ですので、その一時間ちょっとの旅ができなかったのです。
俺はと言えば、
このパンデミックのさ中で左遷に合ってしまい、生活が判で押した様な正確な時間の行動パターンが当たり前になってしまっていたのです。
更に、長年付き合っている愛人のひろみの存在もあったので俺には自由な時間が作り難い
困窮した生活をしていたので容易には彼女と会う事が出来ませんでした。
7月から始まった文通?も7か月が過ぎた頃に、彼女の我慢の限界が来てしまい、体調の良くなったタイミングで会いに来てくれたのでした。
鳴海さんはとても美しくて清楚な雰囲気の落ち着いた女性でした。
こんな素敵な女性と結婚して、子供まで作った上に離婚してしまう男がこの世に存在するなんて、俺にはとても信じられませんでした。
それ程までして、わざわざ、素敵な女性が体調が余り良くないにも係わらずに、はるばると俺に会いに来てくれたのです。
そんな感動的な場面なんて、一生の内に一度あるか無いかの奇跡でした。
すぐれない体調と俺の縛られた時間の合間だけの、僅か3時間ほどのウィンドーショッピングでしたが、夢の様な時間を過ごせたのでした。
改札口での別れ間際に、俺の手を握って、
「必ずまた来るからね。」と言い残して彼女は帰って行ってしまいました。
それからのDMは、それまでの身の上話しよりも、もっと内面を包み隠す事のない繊細な性欲の話しや、この次に会った時には何処へ行こうとか、何をしようとか、とても身近な存在としての関係を築くビジョンを話す様になっていたのです。
そこまで俺に夢中になってくれてしまった彼女に対して、俺が先ずしなければならない事は、愛人のひろみと別れる事なんだと思いました。
元々、俺はあゆみの死を知らされて、その償いの対象としてひろみに愛情を傾けていた傾向があったので、一人立ち出来る様になったひろみとはそろそろ別れなければならない時期なんだと思っていた矢先だったんです。
ひろみには、ひろみとしての人生をこれからしっかりと歩んで行って貰いたかった。
どう転んだとしても、こんな先に望みのないオヤヂなんかと付き合っていて良い分けがなかった。
まだ若く綺麗な女を保っている内に、ひろみに合った男性と巡り合って、幸せになって貰いたかったんだ。
妙に、俺に都合の良い話しに完結させようとしているみたいなのだが、その時点で俺はそれが最良の方向性なんだと判断していたんだ。
そして、決してハッピーエンドではなかったにしろ、ひろみとはなんとか縁を切る事が出来た頃に、
彼女は自分が身動きが取れない事に業を煮やし、自分の住んでいるアパートの住所を教えてくれて、暇がある時にでも来られるんだったら来て欲しいと願う様になっていたんだ。
そして、とうとう彼女が、
住所と共に本名を教えてくれたんだ。
その名は、
なんと、、、
○○あゆみ。
だったんだ。