テレビ離れ
ここ二ヶ月くらいだろうか?テレビを余り見なくなったんだ。
切っ掛けは、、、
もっと前の東京オリンピック辺りからだろうか?
オリンピックをやる、やらない?とか色んな博識な人や知識人さん達が物知り顔で色んな議論を繰り広げて、オリンピックが悪の祭典地味て、開催する事の危険を披露していた筈なのに、
いざ始まってしまえば、やんややんやの大騒ぎ。
○○の競技で誰々がメダルを捕りました、のオンパレード。
あれ程、開催するべきではないなどと否定的な意見を堂々と述べていたはずの、なんちゃらの専門家さんも、感動したと絶賛の嵐。
そりゃあ、人生を賭けて直向きに頂点を目指して頑張ってきたスポーツマンの姿には感動しますって。
地道な努力や鍛練を積み重ねて、ここぞとばかりに爆発させてるんですからカッコいいし、凄いし、立派ですよ。
そんな姿を見せ付けられれば、そんなモノの何処にも否定するべき部分などありはしませんて。
で、北京ですわ。
同じ様に、また、やるやらないの話しが持ち上がり、結局は始まって、また感動だらけで、今はパラリンピックをやっている状態。
連日、感染者数をこれ見よがしに報道して、3密だの手洗いうがい、会食やマスクだのと感染対策の重要性を謳っていた報道番組が、オリンピックが始まれば、アスリートの汗と涙を特集して、メダルまでの道程を絶賛して、それまで、あれ程までに熱を入れて特集していたコロナ禍の危険性を訴えていた筈がが、何処吹く風よ。
感染を恐れ過ぎて経済が回らなくなってしまったら、コロナの犠牲よりも違った意味での社会的な経済被害が心配になって来たりして、話題の焦点がコロナか経済かが定まらなくなって来た辺りから、ロシアとウクライナが動き出してしまった。
今度は、戦争に焦点が絞られて、
今は、ウクライナの惨状を報道し捲ってる。
対岸の火事ではないと連日の報道がされて、日本にも経済的な影響が波及する事は避けられはしないのは明白なんだけれど。
それをあらゆる観点から分析して、その対処対策は絶対的に必要なのは分かるんだけど。
ひねくれた見方?穿った見方?なのだろうか?
この戦争は、勧善懲悪の様に報道されているけれど、
分からないのは、悪は本当に全面的に悪なんだろうか?
そりゃあ、一般市民が沢山犠牲になってしまっているのは悪に決まってる。
これは戦争なんだから。
なんて当事者にして見たらそんな事で済まされる様な問題ではないけれど。
この戦争を止められない世界の国々の在り方ってのは、これで良いのかな?
各々の国々が自国の立場を考えて、守って、俯瞰してて。
陰で加勢したり、もしかして煽っていたりしてないのかな?
情報がテレビでしか入って来ない、島国に居る取るに足らない小市民が何をどう考えた所で何も変わりはしないのだろうけど、
この現状を極東にある、この小ささな島国の報道で知る限りは、世界は間違っている。
としか思えないんだ。
まだパラリンピックは北京で開催されていて、メダルを争ってアスリートが頑張っている一方では、空爆で変わり果てた市街地が報道されてるんだよ。
多くの一般市民が、事故や病気、自然災害ではなくて国が持つ武力によって亡くなってるんだよ。
それを俺達は、どう捉えるべきなのかな?
テレビって、エンターテイメント性が激し過ぎているのに、それを無関心に観ていられる国民の一人として、ささやかな抵抗としてのテレビ離れをしているんだ。
かんか、
ごめんなさい。