モンゴル武者修行2024初級編レポート⑦(終)
帰国(9/20)
1週間にわたるモンゴル武者修行も終わりです。帰国までの様子と書ききれなかったこぼれ話、まとめを書いていきます
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空港へ
4時すぎタイマーとともに無事起床しました。着替えてもう一人を待っていると30分に無事起きてきました。よかったよかった。準備を済ませると伊藤さんが最後に迎えに来てくれました。最後に挨拶をしてタクシーに乗り込みました。タクシーに乗っている間、旅のいろいろなことが頭に浮かび、終わってみれば実に楽しい旅でした。朝5時は流石に道も空いていて、スムーズに空港に着きました。
チェックイン
空港につくと早速チェックインへ行きます。成田行きを見つけてカウンターへ行くと私が乗る予定のモンゴル空港ではなく間違えてエアロモンゴリアのほうに行ってしまいました。同じ時間帯に同じ成田行きがあるので間違えやすいです。
気を取り直してモンゴル空港のカウンターへ行くと、あなたの航空券は明日ですと言われます。どういうことか事前にもらったメールを確認してみると確かに明日になっていました。手違いがあったようです。私は確認不足でしたが、皆様におかれましては間違いなくチケットの内容は確認しておきましょう。仕方がないのでいったんカウンターで交渉しますが、満員ですという返事。「このままウランバートルに残ってやろうか。」「昨日別れのあいさつしたのに気まずいけどそんなことも言ってられないしなあ。」と考えがよぎります。伊藤さんに連絡するとエアロモンゴリアでとれないか、差額は払いますとの返事です。ビジネスクラスのみ残っていた場合どうなっていたのか気になるところです。
さて、カウンターの係員が後ろにある航空会社の窓口へ行ってくれと教えてくれました。窓口へ行くとニコリともせず全くこちらの方を見向きもしないおばちゃんがいました。パスポートとGoogle翻訳の場面をみせると、しばらく(別のおばちゃんとしゃべりながら)作業をするとなんと無事変更できました。きちんと対応してくれれ何でもよいので感謝しかありません。
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無事定刻通り飛行機に乗り、帰国となりました。ヨカッタヨカッタ。モンゴルは気温5℃以下、日本は34℃と全く違います。草原はもちろんありません。ギャップに苦しみながら帰路につきました。
これにて武者修行は終了ですここまでお付き合いいただきありがとうございました。
こぼれ話
ここでは本編で乗り切らなかった小ネタを書いていきます。思い出したら適宜追加する予定です。
朝青竜は野茂だった
私にとってモンゴルといえばやはり相撲です。モンゴルでは大相撲の視聴率が50%を超えるとか、中継中は街から人がいなくなるという都市伝説を耳にしたことがありました。この都市伝説の真偽を伊藤さんに聞いたところ、現在は大相撲にそこまでの関心はないものの、朝青竜が現役だったときはあながち間違いではなかったようです。というのも朝青竜は草分け、パイオニア的存在で、だからこそ非常に人気が高かったようです。これは日本でいえば丁度、野茂英雄さんのようなものです。MLBの草分けとなり日本中で熱狂を起こした野茂さんのように朝青竜はフロンティアとして大人気を博していたのです。思わぬところで思わぬ人が繋がり妙な感動がありました。
生誕永年私財法
伊藤さん曰く、モンゴルでは誕生と同時に各国民に1人ずつ12畳ほどの土地が与えられるそうです。なんとも太っ腹な話で、日本史で習った墾田永年私財法が現代でも生きているようです。というよりも、開墾の必要すらないのではるかに上回っています。実際にはモンゴルには私有地という概念がなく、あくまで土地の使用権を得るだけのようなのですがそれでもすごい話です。多くの日本国民が猫の額のような部屋に高い家賃を払っていることを考えると羨ましい限りです。遊牧民であることを活かしてとりあえず手頃な土地にゲルを建てて土地の使用を開始してしまうそうです。日本では考えられない常識に驚いたものです。
何事も交渉次第
本編でもしばしば書いたようにモンゴルでは交渉が非常に重要です。私がそれを感じたエピソードをいくつか書きます。
・運転手
初めにウランバートルから草原まで私たちを運んでくれた運転手さんは、実は数日前に確保できたそうです。それまで予約していた運転手さんが突然、「次の日仕事があるから無理」と契約を反故にしたそうです。今回の運転手さんも一度断られたものの、なんとか交渉して無事契約できたそうです。はじめは突然断るなんて無責任だなと思いましたが、あの旅程を味わうとそもそもよく引き受けてくれたなと今になっても思います。
・キャンプ
草原でのキャンプは本来、営業が終了している予定だったそうです。それを私達が行くために交渉の末、終了を引き延ばしてもらったそうです。最終日に雪が降ったことを考えるとかなり妥当な終了ラインだったようです。キャンプ無事畳めてるといいなあ・・・。
・バスの座席
帰りの路線バスに乗った際、私の隣はモンゴル人男性、前はモンゴル人の父親と赤ちゃんの親子でした。少し乗ると前の父親が私の隣の男性に話しかけ、何事か話しています。すると隣の男性はどこか別の席に移動し、前の父親はリクライニングを倒しました。リクライニングを倒したいから移動してくれといったのでしょうか。日本だったら喧嘩になりそうです。モンゴル人の交渉術を身に着けられれば営業職として大成できるかもしれません。
アイ・オービス
草原へ向かう途中、バスは突然停止し運転手は警察官と話しています。通訳さんに聞いてみるとどうもスピード違反を取られたようです。スピードガンなど持っていそうになかったのですが、見た目でスピード違反だったので捕まってしまったそうです・・・。ここまで警察権力が強いのは社会主義の名残でしょうか。
鼻ウォッカ
乗馬が終わって休んでいると何人もの遊牧民が1頭の馬を取り囲み作業を始めました。鼻の中に虫が入り炎症を起こしているそうです。解決方法が“鼻にウォッカを注ぎ込む”という非常に大胆な方法でした。馬は当然暴れ、一人は吹っ飛ばされていました。あの馬の目は未だに夢に出てきそうです。
日本でゲルを
ゲルは現地で1500ドルほどで購入できるそうです。日本への輸送料を考えても100万円はあれば家が建てられそうです!とはいえ、断熱と防犯はあまりよくありません。台風の心配もあります。昨今の灼熱具合を考えると、夏は北海道、冬は沖縄や宮崎に移動するという遊牧生活を送るのがベストでしょう。いろいろな所に土地をお持ちの方は、是非ゲル生活を送ってみてはいかがでしょうか。
モンゴル中央銀行
私たちが泊ったマンションはモンゴル中央銀行の側にありました。いわゆる日本銀行のような施設です。日銀はずいぶん立派な建物ですがモンゴル中央銀行はただのビル、それも路地の奥にあります。同じ中央銀行でもずいぶん差があります。
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モンゴルのサラリーマン
通訳さんに聞いたモンゴルのサラリーマン生活。ウランバートルは朝渋滞する上に駐車場を探す必要があるので通勤2時間以上、定時は朝7時から午後4時まで。これでも最近”短縮”されたそうで、昔は9時~21時だったそうです。5000兆円ほしいとか言ってる労働者諸君!そんなんじゃウランバートルでは生きていけないぞ!だから私には1mol円でいいから下さい!
魔法瓶の文字は?
モンゴルではお茶やお湯を入れるため巨大な魔法瓶を使います。その中に書かれた文字を見ると写真のように
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“Here you can place your text information”と書かれています。おそらく図を挿入した時についてくるテキストボックスを、そのまま貼り付けたのでしょう。この魔法瓶は中国製なので、おそらく製造から流通まで誰も英語を読まなかったのでしょう。こういうものを見ると海外に来たなあと実感できるので大変嬉しくなります。なお、魔法瓶としての性能は優秀でした。
総括
モンゴル武者修行初級編は大変満足の行く旅でした。私が当初目的としていた乗馬、屠畜、遊牧というすべての要素を十分に味わうことができました。特に乗馬は非常に楽しく、また草原の中で馬に乗ってみたいです。また、PCもスマホも見ずに年甲斐もなく草原を駆け回るというのは色々と蘇ったような気分でした。
メンバーの方々にも恵まれました。個人情報に触れるので文中ではあまり触れられませんが、皆さん大人な非常に良い方々でした。会社に勤めているとどうしても会う人や属性が固定化されてしまいます。日常では会う機会のない職業の方々と出会えて大きな刺激になりました。また、学生さんと久々に話すとこちらも学生に戻ったような気分になり非常に楽しかったです。気を浮くと老害トークを披露しそうでした(実はしてた?)。彼、彼女たちがどのような大人になるのか今から楽しみです。きっと自由で立派な大人になるに違いありません。海外旅行4か国目でモンゴル武者修行を選んだのは間違いなかったと思います。
海外旅行は私にとって「必然」を見つけられるものでもあります。フィンランドに行ったときは「サウナ」、台湾に行ったときは「パクチー」が「必然」だなと感じました。たかだか1週間程度の旅行でその国の必然を芯から理解できるわけはありませんが、少しでも体感できると嬉しいものです。必然を知ることができるとその国や文化、モノに対して自分の中の解像度が上がり、日本にいてもモノの見方がガラッと変わります。モンゴルでも様々な必然に出会うことができました。「遊牧」というと牧歌的で自由な生活というイメージがありますが、そうではなく緻密に積み上げられた「必然」の世界です。耕作がほとんどできないモンゴルの厳しい自然を生き抜くために人類が生み出した解決方法なのです。必然に裏打ちされた生活様式やその所作は美しく洗練されたものでした。私は煙草を蛇蝎のごとく嫌ってますが、彼らの咥え煙草でさえ遊牧に必要な構成要素であると感じられるほどに所作が綺麗でした。私は以前「ここではないどこか」へずっと行きたいと思っていました。「遊牧」という響きはその願いをかなえてくれそうな気がしていました。しかし、実際はそうではなく自然と最大限に向き合った合理性と必然性の塊だったのです。このような論評は本来、その土地で春夏秋冬を味わってから考えるべきで、1週間程度少し生活を覗いただけで分かったような気になってはいけないのですが、それでもその一端を垣間見ることができる大変意義のあるものでした。
一方で、草原では存在しないはずのペットボトルなどのゴミをしばしば目にしました。目くじらを立てたくなりますが、私も本来は草原にいないはずのものなので同じ穴の狢です。草原に落ちたペットボトルを見ているとき私もペットボトルに見られています。月並みではありますが、草原が草原であり続けられるような生活がどんなものか、改めて考えるきっかけになりました。
遊牧生活は非常に緻密で合理的ですが、危ういバランスのもとに成り立っているようにも感じました。ただでさえ過酷な自然がさらに厳しいほうへシフトすると、かつての日本のように飢饉になってしまいます。実際に20年ほど前に大雪がモンゴルを襲ったことで遊牧を諦めざるを得ず、ウランバートルに移り住んだ遊牧民が多くいたそうです。急激に都市が拡大しているモンゴルを見ると伝統や文化の継承に不安を感じます。しかし、都市はセーフティーネットであり、生きる砦でもあります。私たちが都市に住むように、モンゴル国民も都市に住みたいのは当然です。さらに、現代都市ではグローバル化とリベラル化は避けられないものです。モンゴルは女性の社会進出が進んでおり、日本がイエ制度、メンバーシップ型雇用に起因する重層的な差別社会が形成されていることを鑑みると、モンゴルの人々を見習うべきことは多いでしょう。しかしながら、伝統が残る部分もあります。遊牧の世界では男性優位な部分も残っているように感じました。リベラル化していく社会とどのように価値観を擦り合わせていくのでしょうか。その過程で、遊牧民が持つ緻密さと合理性、美しさが無くなってしまっては元も子もないでしょう。遊牧と都市というモンゴルでなくてはならない両輪をどのようにバランスをとっていくのでしょうか。モンゴルの人々が作り上げるその答えは私たちにとっても参考になるに違いありません。
謝辞
今回のモンゴル武者修行を企画、運営してくれた伊藤さん、通訳のTseegiiさんにまずは感謝申し上げます。この文章が私なりのお礼のつもりです。楽しい旅をありがとうございました。また、ツアーメンバーの方々、皆様のおかげで本当に楽しい旅でした。皆様においては不本意かもしれませんが、なんとなく似ている人がこれだけいるのだなと思うとさらに前向きに生きられれます。ありがとうございました。日々生活を支えてくれている家族、友人のお陰で旅行並びにこのレポートを書くことができました。ありがとうございました。
最後にここまでこの文を読んでいただいた読者の皆様ありがとうございました。ここまで読んでいるあなたはもうモンゴルに行くしかありませんすぐに伊藤さんに連絡しましょう。
またどこかで会えたらよろしくお願いいたします。
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