モンゴル武者修行2024初級編レポート⑥
大都会へ(9/19)
草原生活も終わりを迎え、夜明前からウランバートルに戻るべく出発します
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寒さで目が覚める
朝4時前、顔に猛烈な冷気を感じ思わず目が覚めました。ストーブを点火するためにおじいさんが扉を開けた瞬間、冷気が襲ったようです。起きてゲルの外を見るとなんと一面銀世界になっていました。昨日の雪がそのまま降り続けていたようです。数日でここまで気候が変わるのかと驚かずにはいられません。
出発
雪が降っているからといってゆっくりとしている余裕はありません。この日はカラコルムまで数台の車で行き、そこから路線バスに乗り換えるそうです。路線バスの出発が10:00なのでそこまでになんとしても間に合わなければいけません。
朝食を早々に済ませ車に乗り込みます。私はロシア製の車に乗りました。目印である轍は雪に埋まっており、果たして無事着くのか不安がよぎります。
車内はエアコンがなく、寒さとの戦いでした。またノンストップで3時間以上走るためトイレは必ず済ませる必要があります。乗馬の効能か皆オフロードに慣れてきて、寝ている方もいました。行きは草原だったのに帰りは雪景色です。本当に同じ場所にいるのか疑いたくなります。
路線バスに乗り換え
3時間ほど走り車は無事カラコルムのバスターミナルに到着しました。こちらも銀世界です。数日前とは全く光景が違いました。
車を降り、ヒュンダイ製の大型バスに乗り換えました。10:00ごろ再び6時間かけウランバートルに向けて出発しました。車内はモンゴルの音楽pvが延々と流れていました。歌詞は分かりませんが、歌のジャンルは日本の曲と共通するものが多いのかなという印象でした。途中で食堂に寄り弁当を食べ、再びしばらく走るとウランバートルが近づいてきました。
ウランバートル入り
ウランバートルに近づくにつれて建物と車の量が次第に増えてきました。アジアの都市特有の雰囲気が徐々に出てきます。渋滞に捕まりながら16時過ぎウランバートルのバスターミナルに着きました。朝までいた草原とのギャップが凄まじいです。タクシーに乗り換え、この日泊まるマンションに移動しました。タクシーに乗って中心部にいくと本格的にアジアの首都です。車は常に渋滞し、クラクションが鳴り響き、空気はよどんでいて、独特の匂いがする。それでも人々は活気に溢れている。アジアに来た!と元気が湧いてきます一日でこれらに嫌気がさすのですが。以前訪れたジャカルタに比べると、寒いせいかバイクと屋台がおらずその分だけマシでした。
マンション
ウランバートルでの宿はマンションの一室でした。マンションは中心部の裏手にあり、普段は賃貸している部屋のうち空いているものを1,2日借りることができるようです。セキュリティは厳重で、駐車場に入るゲート、マンションに入る扉、部屋に入る扉それぞれに暗証番号が設定されていました。暗証番号がわからないというトラブルもありましたが、なんとか中に入ります。中はなんと2LDKのかなり豪華な部屋で驚いてしまいました。冷暖房はもちろん完備、シャワーも2つ、ベッドも6台あり、家賃はいくらなんだといいたくなります。扉が開かなくなることがあるのはご愛嬌です。ゲルとのギャップはすさまじいとしか言いようがありません。似たような部屋を2部屋借りてあり、2グループに分かれました。
ウールショップとデパートへ
荷物を置き終わったら早速ウランバートル観光と夕食です。移動の疲れがありましたがアジアの街を歩いているとなんとなく戦闘モードになってきて元気が出ます。はじめにウールのお土産が売られているお店に行きました。
数々のウール製品がありどれも素敵なのですが私はウールでできたゲルのミニチュアとカレンダーを買いました。
続いて“国営”デパートへ向かいました。デパートの中は日本と変わりません。お土産を急いで買いました。
お土産として購入したのはモンゴルのチョコレート、お茶、アロルです。アロルは草原で食べたものとは全く別物で、柔らかく砂糖で甘くなっていました。あの激烈な硬さと酸っぱさを求めていたので想定外でした。お茶は薬効があるお茶を効果を見ずに適当にいくつか購入しました。日本で翻訳してみると、そのうちの一つの効能が「生理痛緩和」という私にはどうしようもなく、人に渡すのもなかなか難しいというものでした。まだ家にあるのですが、どうすればいいのでしょうか。急いでいてもとりあえず翻訳をかけるのは大事ですね・・・。
国会議事堂前で記念撮影
デパートでの買い物が終わった後、観光のため国会議事堂前の広場に行きました。ここが本当の中心部で劇場など様々な施設があるようです。ここで全員集合し、記念撮影をしました。と同時に私が他の観光客に写真撮影を頼まれ、記念撮影をしました。
この時、伊藤さんが突如、フィギュアスケートのように1回転ジャンプを決めていました。動機はよくわからなかったので改めて聞いてみたいところです。
プーチン氏がここを訪れた際には周辺の道路は全て封鎖され、建物はすべて営業停止になったそうです。このあたりはまだ社会主義の名残なのでしょうか。
夕食
お土産の購入も終わり夕食へ向かいました。伊藤さんお勧めの鍋屋に行きました。店内は非常に豪華で、巨大な円卓に椅子が並んでいました。円卓の中央には回転台がありました。街中華のなんちゃって円卓しか知らない私にとってこのようなものは初体験です。鍋は一人一つスープを選び、IHで加熱します。具材は別途注文し円卓に乗せられて順番にとっていくというスタイルです。どの具材も非常に美味しく、値段も4000円ほどと内容の割に安かったです。
夕食後に最後の挨拶をしました。印象に残っていること、楽しかったことなどを述べました。私は乗馬の楽しさ、牛車の面白さ、そしてメンバーの方々への感謝を述べました。私がここで印象に残っているのは、半数以上が実は人見知りで集団行動が苦手だと言っていたことです。やはり多かれ少なかれ似ている人が集まっているのだなぁとしみじみ思いました。
帰国へ
夕食も終わるとあとは身支度をして帰国の準備をするのみです。なんとか荷物を2つにできないか試行錯誤しましたが土台無理、ということでおとなしく帰りもお金を払うことにします。翌朝は5時にマンションの前にタクシーが来てくれるそうです。料金は25ドルで夕食時に伊藤さんから受け取りました。空港のタクシー料金は米ドル払いのみ認められるそうです。実物のドル札を人生で初めて触る場所がモンゴルとは思いもよりませんでした。
私ともう一人が帰国するということで残りのメンバーと別れを惜しみながら翌日に備えました。私と一緒に帰るメンバーが寝る前、私に「私は4時に起きるのは無理なので起こしてください」と敗北宣言を早々に出されたのにはまいりました。相手は女性なので、大義があるとはいえ女性部屋に突撃したくはありません。旧社会主義国で社会的に死んでしまってはシャレになりません。ダメなら見捨てるからねと釘を刺しておきました。無事帰れるのでしょうか?
ここまで読んでいただきありがとうございました。次は最終回、帰国とまとめを書きます。
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