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旧乃木邸〜乃木坂は乃木希典の”乃木”だった

今や知らない人はいないであろう「乃木坂」。
港区にあり江戸時代には「幽霊坂」などど呼ばれていましたが、乃木夫妻が殉死されて以降「乃木坂」と改名され現在に至ります。

けっこう急な坂

明治時代に活躍した陸軍大将 乃木希典の邸宅は、その乃木坂のすぐ側にあり、年に数回だけ内部公開されています。

乃木希典の略歴。主なものだけを挙げるとなんとも血生臭い感じに。
子供4人のうち2人は夭折、残り2人も戦死してしまっています。

 1849年    東京生まれ
 1877年(28歳)西南戦争に従軍
 1894年(45歳)日清戦争に従軍
 1896年(47歳)台湾総督に就任
 1904年(55歳)日露戦争に従軍
 1907年(58歳)学習院院長に就任
 1912年(63歳)明治天皇のお葬式の日に、静子夫人(享年54歳)とともに自ら命を絶つ

乃木希典と静子夫人


母屋は1902年に築造された半地下を含めた3階建て木造建築。
希典がドイツ留学時に見た、フランス連隊本部を参考に作られたそう。

玄関側から見ても地味な母屋

地階:女中部屋(思いのほか広い)、書生部屋、台所、浴室、トイレ、電話室(電話ボックスが家の中にある感じ)、調度品置場など
1階:大応接室(愛用品など多数展示)、小応接室、書斎兼来賓食堂、婦人居室、希典居室など
2階:書庫、子供部屋

室内の写真を撮ることはできませんでしたが、室内も使用品も時代感がありとても興味深いものでした。

見学後にいただいたポストカードから、書斎兼来賓食堂
右側にあるのは希典の常用机、暖炉のほか火鉢で暖をとっていたよう
38歳のドイツ留学をきっかけに、就寝時以外は常に軍服を着用するようになったとか!
なんとも肩の凝りそうな軍服
母屋より立派なことで有名だったという馬小屋
馬小屋の内部
希典の金銭的サポートをきっかけに、大成を成したという、辻占売りの少年と希典の像
辻占とは子供が売る、煎餅におみくじを入れたフォーチュン・クッキーのようなもののこと
辻占売りは1933年に児童虐待防止法が成立してからは禁止された


【感想】
120年ほど前のこととはいえ、お二人の最後のエピソードも、殉死をきっかけにその名前を地名にしてしまうという考えも、現在の価値観ではとういて理解し難いと感じました。
内部見学は整理券制。質問に対応してくださる方もいるので、興味のある方は是非。


【おまけ】
乃木坂駅構内のアイドル応援ポスター。こういうのって韓国のイメージでしたが、最近は日本でもやってるんですね。聖地巡礼をしているファンも多く見かけました。

綺麗な横顔


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