05 どうして人間だけ自殺ができるのか
どうして人間だけが自殺しようと思ったり、それを実行したりできるのでしょうか。
まず、自殺しようと思うためには、自分が「死ぬ」という事を知っている必要があります。
人間以外の動物たちはおそらく死という概念をそもそも持っていないか、持っていたとしても人間のように高度な死の概念は持っていないのではないでしょうか。
人間は何かに対して様々な発想ができます。
たとえば目の前に「水」があったとします。
物理的な液体としての水は、目に見える具体的なものでしかありません。
しかし、水を様々な概念で置き換えると、
「飲むもの」「火を消すもの」「洗うもの」「泳いで遊ぶもの」
など多角的な見方ができます。
このような発想力、認識能力があるからこそ、人間は「目の前に起こる動物や他人の死」という出来事を一般化して考えられるようになり、
自分も「いつか必ず死ぬ」
ということを理解できるようになったわけです。
「自分の死」は死の概念を理解できなければ想像することさえ不可能です。
なぜなら自分の死は、いま生きている自分にとってどこまでも架空の出来事でしかないからです。
人はいつか必ず死ぬという考えは、人間に様々な恩恵をもたらしました。
・人を殺したり、自殺したりするのは悪い事だという善悪の価値観の共有=法律などをもとに他者と契約を結べるようになった。
・自分の命が貴重なものだという認識。死への恐怖。=命はひとつだけ。自殺はもったいないことだ。死ぬのは怖い。
・命への弔意。死への共感。=死ぬのは悲しい事。命が失われたことに対する悲しみや哀悼の気持ちを持てるようになった。
死がもたらしたもう一つのもの
・死は生きることで得られる全ての幸せを失うが、同時に一切の苦しみからも逃避できる。
そうなのです。
死はあらゆる苦痛からの完全な逃避先
にもなるのです。
苦痛から逃避するための手段、それこそが自殺なのです。
自殺したいと思う気持ちは、その善悪の議論や倫理・道徳などよりもっと原始的な、人間というシステムの基幹部に発生するバグのようなものだと考えられます。
通常時は理性が「死への恐怖」や「死への悲しみ」で制御できていますが、その制御が外れた時、自殺が実行されてしまうわけです。
睡眠は小さな死
意識が遮断されるという点で、「死」と「睡眠」はよく似ています。
精神活動の一時停止が睡眠だとすると、永遠に停止されたものが死です。まさに「永眠」です。
死ぬことであらゆる苦痛から逃避できるので、小さな死である睡眠に「苦痛から逃避できる恩恵」を求めて人は眠るのです。
メンタルを病んで寝てばかりいる人は、怠け者というわけではなく、本能的に苦痛から回避しようとして寝ているのです。
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