「面白いとされる自分語りの書き方」を考える
ここではネットへ投稿した際に多くの人に「面白い」と感じてもらえる自分語りの書き方について考えます。
僕が自分語りを書く際に意識していることを書きました。色々と詰め込んだので文章量がめちゃくちゃ大きいです。1万字あります。日本人は平均500字/分、早くても倍の1000字/分の読書速度らしいので読み終わるのに10分~20分かかるっぽいです。
考えの言語化を始めるとなかなか止まらず、膨大な量になってしまった。
急にこんなものを書き出したのはnote等を「読んでて面白い」と褒められて調子に乗っているからです。それと、先日30歳を迎えたのでちょっと賢めな大人へのシフトチェンジを目論んでいます。そのための演出として、含蓄のありそうな記事を書く意図もあります。
まずは自分語りとは何かを知る
漫然と書き始めない。自分語りをなぜしたいのか、読み手にどういう捉え方をして欲しいのかを考えよう。
そもそもなぜ自分語りとはなんなのか
承認欲求、持ってますよね。
あらゆる場面で何かしらの形で認められたいという欲を人間は持っているし、逆に全然認められなければ鬱にだってなる。
この欲求を満たすために「自分はこんなことを経験しました!」などと自己を開陳し、それによって注目を浴びることで承認を受けたとして気持ちよくなるのが自分語りだ。
何を当然のことをと思われるかもしれないけど、物事を語るときにはその輪郭を明らかにした方がいいからね。
承認欲求とは「開陳すること」ではなく「開陳したものが注目されること」で満たされる欲求であることを認識しましょう。
読み手の動機を考える
注目を浴びていることを認識するための指標として、文章であれば閲覧数だとかいいね数がある。
ただ、厄介なことに単に数字があがるだけでは僕たちは完全には満足できない。数字を裏打ちしていることを示すような「感想」の量や質によって、確かに注目を受けているのだと認識できることが重要だ。
幸いなことに感想はなにもリプライやDMで直接受け取るといった形でなくても大丈夫だ。肯定的もしくは中立的であれば、単にタイムライン上で何かしら言及されているという程度でもいい。
他方、残念なことにチャットbotや会話AIを僕たちはまだ「隣人」として認識にするに至っていないので、どんなにこれらから褒めちぎられたところで欲求はほとんど満たされない。
ネタツイをしたのにいいねしてきたのが業者垢だけだったら虚しいし、chatgptに自分語りして「素晴らしいです」と言われても大多数の人は満足できないだろう。
そういうわけで、承認欲求を満たすためには(今のところ)生身の人間が必要だ。
他人に自分語りを観てもらうということは、その人が保有する時間的資源を消費させていることと同義となる。これは読者に費やしてもらった時間に応じた強度の刺激を報酬として与えないといけないという意味を持ちます。
相手は持て余している時間を、質のいい刺激を得るために使おうとしている。これを簡単に言い表す言葉が「暇つぶし」だ。
なので、刺激に乏しい=つまらないと思われた瞬間に文章の閲覧は終わってしまい、いいねは押されず感想も書かれないでしょう。
それどころか、つまらない文章に時間を浪費したとして嫌悪感を抱かせてしまう。一般的にインターネットでは自分語りが嫌われがちな理由がこれ。
「言語」という情報媒体を認識しよう!
自己を開陳して注目を集めることが自分語りの本質で、注目を集めたことを確認するための感想を得るためには読者に肯定的な刺激を与える必要があると書いた。
これは手段を問うていない。情報を伝えるための媒体は文章でなくてもいいわけだ。体験を動画にしてYoutubeに公開してもいいし、相手に追体験させられるゲームの形にしてもいいし、伝えられる技量があるのなら絵に描いたり歌にしてもいい。
どの手段を用いて自分語りを行ったとしても、多くの感想がもらえれば気分が良いことに違いはないから。
では、自分語りをするのに文章が最も多く使われるのはなぜだろうか。
僕はこれについて
が主な理由だと考えている。
もう少し具体的に言うと
ということです。
自分語りをするのに文章という手段が用いられがちな理由をあえて言語化したが、だいたいの人は無意識的に「これなら使えるから」と日頃用いている言語という情報媒体を採用しているはずだ。
しかし、日頃使っているからと言って、言語という手段の扱いは本当に上手いのでしょうか?
「小学生の頃、作文得意だった?」って問われたときに苦笑いしながら「あんま得意じゃなかったw」って言う人は多いと思う。それが答えだ。
オタク向けに言い換えると「自分でラノベ書こうとしたとき、上手くいった?」です。答えはだいたいはNoだ。(僕もです)
言語という情報媒体は伝達の正確性においては群を抜いた媒体だが、逆に言うと正確であるがゆえに文章はちゃんと書かないと伝わらない。
幼少期を振り返ったときに作文が得意じゃなかったと思いだすのなら、教師から作文で褒められた経験がないはずだ。これは内容を伝えるための文章を正しく書けていなかったということを意味する。
情報を伝えるのに適した文章を書くというのは思いの外、高等な技術なんですね。
だからこそ営業のおじさんたちはメールだけでの営業じゃなく、現地へ赴いてPowerPointでプレゼンをしているのです。
「情報を伝えるのに適した文章」には内容の正確さや洗練具合だけでなく、文章自体の可読性の高さも求められる。
読めないわけじゃないけど読むのだるいはず。そういうテンションで文に向き合ってるわけじゃないから。
自分語りはサクサク読めるような軽い口当たりの文体で書こう!
小学生でも読めるくらいでいい。読者は隙間時間で自分語りを観ているに過ぎないので、雑に読めるくらいがちょうど良い。
他にも情報が細切れな文章は可読性が低いです。
頭の中で文章がぶつ切りになっちゃうんでしょうね。これを応用してインターネットで非難しにくい嫌がらせを行うこともできます。(カスのライフハック)
偉そうに書いている手前、このnote自体が円滑に読める文章に仕上がっていることを願う。
言語を適切に使うのは難しいとだけ延々と書いていて、言語が得意なことを書くのを忘れてた。
先に言っているように出力のための工数が少ないです。誕生日にサプライズでプレゼントをもらって嬉しかったと表現するのには文字ではそう書くだけですが、例えば絵だけだとどうだろうか。
やってみます。
十分に表現できているかどうかで言うと、かなり無理がある。
このように誕生日であること、サプライズであること、プレゼントを貰ったこと、嬉しかったこと、それぞれをまとめて一枚の絵で描くのはものすごく表現力が必要なはずだ。
言語というものは論理的な構造を持つ。他の情報媒体は直感的な傾向があるので差別点となる。
言語であれば頭の中を公開する際に素直な形として出力しやすいということ。感情や時系列を表現するのが得意とも言う。あとは自分で加えない限りは余計な情報が入ってこない。自分が表現したい内容を狙った通りに伝えやすいことが言語を使って表現をする利点だ。
非言語の情報媒体にも頼る
非言語的コミュニケーション要素が強いTikTokのように踊れというわけではない。noteだけでも太字にすることで示せる情報は増えるし、画像を入れて補助してもいい。
構文や語録等のミームを使うという手もある。ミームとは意味のパッケージです。学術的なことを言うと脳から脳へと複製を行うための情報の遺伝子だなんだ出てきますが、ここでは「ミーム自体が意味を内包してるから、表現の簡略化に使える」ことだけ言います。
例をあげる。
ミームを共有していることを読者が認識できれば、読んでもらっている文章に対して親近感を与えられ肯定的な刺激を提供できるのも利点。
ミームを混ぜるのは得だってすっげぇ明白になってる。はっきりわかんだね。
2024年2月に猫ミームでの自分語りが流行ったのは、各種猫に感情や動きという意味が付与されていて扱いやすかったのと、流行りに乗ってるという親近感が視聴者に提供できたことが理由だと僕は思います。
文章による自分語りで絵やフォントで情報を補強するのとは逆に、動画や絵に文字を入れても情報を補強できますね。
自分語りのまとめ
自分語りそのものの目的は
筆者
注目を集めて気持ちよくなるために行う。
読者
読者は暇つぶしのために読んでいる。
文章で自分語りを行う利点
自身の経験や内面、想像していることをそのままの形で伝えやすい手段での自分語りができる。
情報の補強として、言語外の手段も併用したほうがいい。
以上です。
面白い文章の要素を考える
自分語りを最後まで観てもらって感想をもらい、気持ちよくなるには「受け取り手が飽きさせないうちに自分語りを終わる」ことが重要だといままで書いた。
ではどのようにしたらそれらが達成できるのかというと「飽きないうちにさっさと終える」もしくは「読んでいて面白いと思ってもらう」の二つの手段がある。
前者の手段がTwitter等で1ツイートで完結させるというものです。今回は1000字以上は書くと想定して後者の手段を考えます。
文章を読んでいて面白さを感じる要素はだいたい以下だとおもう。
興味深い人物や話題であること
自分語りの語り手が大谷翔平だったらどうだろうか。内容が「朝起きてトレーニングをしました。昼には簡素なパスタとゆで卵を3つ食べました。今日は練習の中で課題が見つかってよかったです」を3000字程度使ってだらだら書いたものだとしても、多くの人が最後まで読むのではないか。
でも大抵の人は大谷翔平じゃない。自分という個人に興味があって自分語りを読んでくれるような「ファン」はいないものと考えていい。
だったら話題はある程度独自性があった方がいい。
「朝起きて学校へと登校する話」と「友達に誘われて山登りをしたところ猿に帽子をパクられた話」では後者の方が新規性があって面白そうじゃないすか?
読者を引き込む冒頭
「友達に誘われて山登りをしたところ猿に帽子をパクられた話」を書くとして、朝起きてから朝食を摂り、荷物を確認して家を出て、友人と合流し、電車に乗って目的地近くに移動してから~~~とかやってたら冗長で読んでてつまらん。興味深いと思ってもらえそうなところから話を始めよう。
ツイートの場合は使える文字数が少ないのでやってる余裕がないけど、数千字書くのであれば最初に情報を可能な限り濃く与える。
これには読者への刺激を与え、続きの内容を期待させる意図がある。
タイトルも「回顧録」とかのなめたやつじゃなく、昨今のライトノベルやweb小説のごとく概要そのものにする。
また、読者に自分語りの内容の受け取り方を最初から定めさせることができる。パッケージを見てもジャンルがわからない映画を観て、結果的にホラー映画だったと知ると嫌な気持ちになるが、最初からホラー映画だと分かった上で観れば楽しく怖がれます。
内容を表している画像とか使えるなら使った方が良い。何かしら主張するタイプの自分語りであればここで自分の主張を明確に書いといてください。
明確な構成と流れ
文章全体の構成や流れという意味だが、一文単位での読みやすさを持っていることが前提になる。
主語述語が分かりやすいようにする。修飾語がどのにかかっているのかも分かりやすくしよう。目が滑る文章はたぶんこの辺が原因です。例を挙げます。
↑普段通りの文章
↑目が滑りやすいように書いた文章
この程度読みやすさが変わる。主語述語は1,2年生。修飾語は3,4年生で学ぶ単元らしいですよ。一文をきちんと書けないとその辺の小学生以下になってしまう。
全体の構成については「言いたいことがあり、これを受け止めてもらうために必要そうな情報がこれなので、先にだす。それを受け止めてもらうためにはまた別の情報が必要なので~~~」を繰り返すことで逆算して流れを決めてもいいし、とりあえず書き出してから順々に書いていくのでもいい。好きにしてください。個人的にはとりあえず書き出してある程度溜まったら再編成する形をとることが多いです。
このnote自体も文章を書く時間と同じくらい、順序を整えるのに使っています。
文章が示す内容が飛び飛びにならずに常に連続する方が読みやすい
数字で表現するが
1,2,3,4,5,9,7,8,9,10なら読み取りやすいが
8,3,5,1,7,10,4,2,9,6だとむずい。内容の連続はこれに近い感覚だ。
同様に、話の枝葉も不必要に増やさないようにした方が良い。
「猿に帽子をパクられた話」を例にするか。面倒くさいからchatGPTに出してもらった話を原型にしています。まずは自然な流れです。
山登りに誘われた。普段のキャラとは違うのに実行したのはこういう理由です。目的と場所はこうです。休憩中に荷物から離れたら猿に帽子を持っていかれた。悔しい。という流れです。ある程度自然だと思います。
数千字程度書くのならヤマノススメに出てきたアイテム買ったwとかヤマノススメが良い作品なんすよwとかでもっと肉付けするかもしれない(僕自身はヤマノススメ未視聴なので細部が違うのが気になるのであれば教えてください。直します)けど、基本形はこういう形で書くと思う。
次に、様々な意味で読むのがだるいタイプの自分語りで書くぞ!!!
自分だけで出力するのが難儀だったので食べログのカスのレビューを参考にしました。
無駄に長くなったのでちゃんと読む必要はありません。だるくなったら読み飛ばそう。
自分の意見を正確に伝えることは大事だ。そのためにことわざを使うことができる。色々なことを簡潔な言葉で言い表せるから。僕と友人の関係もそう。ある日友人から誘われて登山をすることになった。道具を揃えるために買い物をしたら女の人に話しかけられてうれしかった。山登りは苦労したがその分得られるものも多かった。休憩中に猿に帽子をとられた。
構成上いらない部分が多いのがはっきりと分かるはず。主題とは関係のない書き出しで始まるし、途中イキってるし、主張内容がぼけている。
これは極端な例だけど、意外とやる人がいる印象がある。主題の一個前の行動から説明を始めるのはやりがち。冒頭の項で言った「朝起きてから朝食を摂り~」と同じことではある。
一文の中で主語が重複していて、意味を読み取りにくい文がある。
この文章ではヤマノススメというタイトルを書いていない。自分が知っているのだから当然わかるよな? と言わんばかりに読むのに必要な情報が欠落している文章は読んでいて不快だ。
山登りに行くことが決定するまでの流れについて。一応は前の文章と接続されてはいるものの、主題とは関係のない内容なので読者を混乱させる元となる。やめよう。マジカルバナナをすることは話を続けていることではない。
主旨外のことはむやみに書かず、内容にも一本の軸を通してそれに沿うように順序だてて書くことを僕は意識しています。
適度な情報量
語りたい内容に対して文章が長いと情報密度が下がって飽きを誘発するということ。
内容に対して文章が短く、情報密度が高い分には不快感を抱かせないので「友達に誘われて山登りをしたところ猿に帽子をパクられた話」なら「珍しく山登りしたら野生の猿に帽子パクられて草」程度に済ませてツイートするのがダメとは言わないが、せっかくだから相応に長く書いてより気持ちよくなった方がよくね?
結局どれが最も重要なのか
明確な構成と流れが自分語りでは最も重要です。
大谷翔平並みに興味をかきたてる人物になれるのなら、その限りではない。僕を含めた一般人は自分語りを読んでもらうために、内容の充実というよりもこっちを重視しよう。
読者は「暇つぶしで読んでる」に過ぎないからだ。自分語りの書き手が一般人であれば、その読者はタイトルを見て「ふーん。まぁまぁ面白そうじゃん。暇だし読むか」くらいの気持ちで自分語りを読み始めている。
だから、有象無象の人間が書いた自分語りは「減点法」で採点されるのが基本だと思っていい。無料で読んでいる暇つぶしなんかにそこまで期待するようなやつはいません。
読者は暇つぶしとして刺激を求めて読み進めるわけだが、刺激は内容から得られる知識やら感情やら以外にも「文章を読む」という行為自体からも発生している。今まで仕入れたことがない情報を頭に入れているという軽微な快感を得ているわけ。
内容で加点されるに越したことはないが、読みにくさで減点されなければ多くの場合は暇つぶしとしての合格点をもらえる。
そのため、少なくともその自分語りが読まれている間は、読者が持っている他の趣味(動画視聴とか、読書とか、ゲームとか、スポーツとか、曲を聴くとか)に移らなくてもいいかなと判断されている。これは読者に面白いと思われているのと同義だ。
読者に面白いと感じてもらえていれば、読むのに使った時間が長ければ長いほど読後に与える満足感は大きくなる。
とはいえ先に「隙間時間で読んでいる」と書いたように、読者は2,3時間を捻出し、本腰入れて自分語りを読み始めるわけではない。どんなに長くても15分とか20分で読み終わる分量が良いと思うよ。(このnoteはぎりぎり)
2,3時間も読み続けてもらえる自分語りができるのであれば、それはそれで素晴らしい才能なので本を書きましょう。
読んでいること自体に快感があるのだから、読みやすい文章を提供する。
そのために構成や流れが自分語りでは最も重要。そういう論理です。
読みやすい文章を書く
・主語述語、修飾語が乱れていると可読性が下がって読みにくくなる。
・主題に沿ったことだけ言う。
は既に書きました。それ以外に意識していることです。
・一つの文には一つの意味だけを組み込む。
悪文の例です。景色を見たことと、その隙に猿が荷物を物色していたことで二文に分けた方がいい。
・同様の内容は位置的にまとめる。
関連事項はまとめた方が順序立てしやすい。同一の内容を複数回登場させるだるい文章になるのを防ぐこともできる。文章の流れ云々と同義。
・主張内容と文体を合わせる。
何かを告発するような内容であれば可能な限り正確に物事を書き留めた方がいいが、単に経験の開陳であれば軽めの文体にするべき。
経験した内容が正確に伝わるかどうかよりも軽い文体でサクサク読めるかどうかを重視する。
・自分がどう感じたかを書く。
嬉しかった。悔しかった。楽しかった。怖かった。語った内容の中で自分はどういう感情を抱いたのかは入れる。これがないと読者側に結局どういう話だったのかが伝わりにくい。
1万字超えたのでここで終わります。とにかく読みやすさに気を払い、画像で捕捉しつつ自分語りしたら大抵は受け入れられます。
このnoteもまた自分語りの一種なの、ここまで読んだ方はTwitterで何かしら褒めてください。気持ちよくなりたいので!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?