昭和50年頃の航空写真を見て回る(相模線)
今年になって地理院のページに登録すればそれまで購入か地理院の事務所に行かなければ見れなかった高解像度の航空写真が見れるようになりました。最高すぎて時間がめちゃめちゃ溶けています。下の航空写真は転載禁止となっている高解像度のものではありません。
・茅ヶ崎駅
西側に小規模ヤード配線図的には貨物線あるけど写真からするとホキが止まっているので保線基地のようだ。さらに昔の配線図だと駅北側の相模線ホームが貨物駅だった様子。北上する相模線に北西側にあるサイロが日本精麦の工場。専用線そのものは個人所有。画像外のずっと東側に伸びる先にTOTOと日本プライブリコの専用線。茅ケ崎機関区にDD13のほかにDD16のような機関車も見える。
・北茅ヶ崎
画像は右が北。東海道を渡ってすぐのサイロが日本精麦。現在の中央公園の古そうな倉庫への専用線が電源開発。今でも研究所が茅ケ崎市役所のそばにある。当時こんな広い敷地何につかってたんだろう。写真で分かりやすく湾曲してる専用線は長く千ノ川を越えてトピー工業まで。駅西側に平行して東邦チタニウム 北西側に伸びると東洋カーボン。路線の南東側のセメントサイロが秩父セメント。この写真の段階で専用線に貨車が止まってるのは東邦チタニウムと秩父セメントだけ。電源開発に関しては線路はがされている。秩父セメントの専用線にサイロ横づけのタキの他にフォークリフトで荷扱いしてる有蓋車が見えるけど秩父セメントの袋詰め小売り商品の荷扱いしてるのだろうか。
・寒川駅
かつての川寒川への路線の跡がはっきり分かる。もっと前の航空写真だと西寒川は廃止直後の駅のはるか南の銀河大橋あたりに砂利採取していた。この航空写真だと疎開?された客車がとめられてる。貨物はもう扱ってないのか本屋そばの貨物ホームだったろう部分も転用されてる。
・厚木駅
南西(左上)に相模興行への砂利線、北東側に小野田セメント、貨物船をまっすぐ北上した部分に北見木材への各専用線。既に相模興行への線路ははがされている。ホーム北側の移転前の駅跡のヤードに目立つのが車運車。既に自動車輸送が下降気味で構内のモータープールに停車してる自動車もまばら。同時期の相武台下駅の側線に余剰車が留置されてた。厚木駅は日産座間からの発だったみたいです。戦前築のような国鉄官舎っぽい建物も見えるけど相模線が戦中まで私鉄なの考えると国有化後のものなんだろうか?
・南橋本駅
ホームのすぐ東側に三菱セメントの専用線あり。