小林賢太郎、小山田圭吾、DaiGo・・・次はあなたの推しかもしれない
僕の大好きな小林賢太郎が炎上。
それより前には、小山田圭吾が炎上しました。
その後、メンタリストのDaiGo、名古屋市長河村たかし、サンデーモーニングの張本勲、プロ野球日本ハムファイターズ(現読売巨人軍)の中田翔・・・有名人の「炎上」騒動は枚挙に暇がありませんね。常に誰かを燃やしてないと気がすまないんだろうか、と思うほどです。
何で世の中そんなに炎上騒動が絶えないんでしょうか。
簡単なことですね。正直楽しいからです。
名のある芸能人、有名人、アーティスト、文化人、政治家・・・そんな人たちが、自身の行動や発言をネタに一斉に攻撃されてタジタジになっている様を見るのは、なかなかの快感です。
僕らとは世界の違う「成功者」たちが、小さくなって頭を下げて謝罪文を綴っている様はとても分かりやすい娯楽なのです。
そう言う思考の、なんと不快な事でしょう。
自分達が何か偉いことをしたわけでもないのに、上から目線で「失敗した成功者」たちを断罪し、憐れみ、小馬鹿にする。そんな様のなんとみっともない事か、と思います。対象者を最初に叱咤して見せる人はまだ敬意を持って見ていられるんですが、その尻馬に乗って安全な場所から誰かがどこかで言ったような「お叱りの言葉」を投げて愉悦に浸っている人たちは本当に見ていられないほどに醜い人種だと思います。
これは、自省自戒の言葉です。
誰あろう、僕の精神的な姑息さを恥ずかしく思っています。
僕は誰かが炎上したときに、わざわざその人に対して「俺様論でお言葉を賜る」様なことはしません。
しないのは、単にSNS不精だからです。
言葉を投げたりはしないだけで、twitterにおいて誰かが炎上していると言う情報を見つけると、わざわざその人のアカウントを探して、その炎上しているコメントを観にいきます。
そして、そこでボコボコに叩かれているのを見て、「楽しい」と思うような人間です。僕は何かにつけ言葉が多くなって文章を纏められないので、140文字制限があるtwitterが不得手です。書こうとすると必ず文字数オーバーして、ちょっとずつ単語を削ってようやく140以内に収める作業をします。正直めんどくさいです。
そのため、炎上している誰かに対してのコメントはしません。攻撃したい気持ちが無いからではなく、単に書くのが大変だからです。140文字制限が無いSNSだったら、文字数気にして切った貼ったする作業がない分楽なので、遠慮なく「攻撃活動」している事でしょう。
本来小山田圭吾を断罪できるのはいじめられていた人であるべきで、DaiGoを攻撃できるのはホームレスの人たちであるはず、河村たかしに否を突きつけられるのは後藤希友投手のみのはず、僕ら直接関係の無い人間は、勿論意見を発する事はしてもいいでしょうが、過剰に彼らを批判するのは良くない行動だと考えます。それをされるのは炎上している人達の自業自得だとは言えるのでしょうが、結果として単なるいじめ行為に堕ちると思うからです。
そう思うのに、炎上が楽しいと一瞬でも思ってしまう自分の心の汚さにがっかりする日々です。
我に返って恥ずかしくなることは小林賢太郎騒動の前からもあり、炎上している人が大変な思いをしているのを見ると「一旦その人の側に立って物事を見てみよう」と思うようになってはいるのです。炎上している側を擁護する目線でその事象を捉えてみよう、って言うことですね。実際に擁護する点が見つかったり、それでもやっぱりこりゃ炎上しても仕方ないな、と思ったり色々ですが、とりあえず一方的に誰かを踏みつけにしたいと言う感覚はなくそうと、意識を改める・・・努力はしてます。それでもやっぱり、炎上している人が居るとついつい検索してどう言う内容か調べちゃうし、「強い」人が防戦一方になっているのを見るのは、野次馬的見地で未だに「楽しい」と捉えてしまいます。卑しい精神だと思ってます。
ただ、昨今の尽きる事のない各所の炎上案件とそれに関する一般の人の攻撃的なコメントを見るに、僕や、他の人達だって、大本の性格ってそう言うものなのかな、これがデフォルトなのかな、と言う諦念みたいなものもあります。
オリンピック開会式直前で、小林賢太郎が炎上しました。
深刻な話になる前は少々軽い捉え方をしてましたが、国際的に非難に晒されるような大問題となりました。
無責任に炎上しているアカウントを覗きに行って楽しんでいた自分に、物凄い巨大なブーメランが突き刺さった感覚でした。まさかこんな事になるとは夢にも思ってませんでした。
その時は動揺もしたし真剣に悩んだものの、今では僕は彼の「無罪」を信じてますし(不適切、不謹慎とは思います)、小林賢太郎本人のコメント等も読んで「これからも彼を応援していくのみ」と腹も据わりましたので、そこまで深刻な問題とは位置づけてませんが、やっぱり衝撃的な問題でした。
でも、もし小林賢太郎のファンじゃない人がこの文章を読む機会があるとしたら、これは本当に危険な話である事を理解して頂きたいのです。
あなたに、応援する有名人、好きな作家、推しのアーティストなどが居たとしたら、その人達もいつどうなるか分からないってことなんです。
小林賢太郎を非難していた人も、明日になれば急に「自分の大事な著名人」が攻撃に晒されている可能性があるということなのです。
炎上すべくして炎上した人、も確かに居ます。
でも、小林賢太郎に関しては、僕はそうじゃないと思ってるんですね。
炎上させようとして炎上した人、になると思うのです。
河村市長や張本氏に関しては、炎上しても仕方ない事をやった、言ったと思います。自然発生的な炎上と考えていいんじゃないかと思うんですが、
小林賢太郎に関しては、「日本のオリンピックを傷物にしたい」と考えた誰かが、わざわざ過去に遡ってまで火種を見つけ、ガソリンをぶっ掛けて火を付けた、確信的な炎上だったと思うんです。
きっとその誰かは、小林賢太郎と言う人物そのものに何の恨みも怒りも、ひょっとしたら興味も無かったんじゃないかと思います。それこそ、ホロコーストに対してすら興味が無かっただろうと思います。
ただ、ここに火をつければ、自分の政治的イデオロギーに適った結果が得られるんじゃないかと言う、自分勝手な世論誘導を行いたいがための腐った性根で行った火付け行為だったと考えてます。
「ユダヤ人大量殺戮ごっこ」と言う幼稚で不快な言葉が何故「すべくしてした炎上」では無いかということについてはこれまでの記事で散々書いてますので詳しくは繰り返しませんが、基本的に違法アップロード動画でしか見れない大昔のフィクションの台詞の切り取りを持って、開会式の直前に問題にする行為に関しては、悪意ある指向性を感じるのみで、問題提起でも前向きな指摘でもなんでもなく単なる放火犯に過ぎませんよね。
このように、「あいつは悪だから攻撃しよう」ではなく「攻撃したいから悪に仕立ててやろう」は成立しうる事象です。時と場合によりはします。「あいつ昔こんな不適切なことしてたぜ!」と喧伝したところで、「だからどうした今はちゃんとしてるじゃん」とスルーされることの方が多いでしょう。しかし、世情やタイミング、その攻撃対象の負ってるモノによっては爆発的な炎上に繋がることもあるということです。今回は「コロナ禍においてオリンピックは中止した方がいい」と言う強い日本中の意見、世界の多くの人が注目するオリンピックの式典のプロデュースをすると言う栄誉というものが強い燃料となり、炎上してしまいました。当然そこには火種が無ければ燃えはしないので、小林賢太郎の責が全く無いとは言えません。それでも、あのタイミング、あの論調での炎上は絶対に誘導されたものだと確信しております。
おいおい、俺の推しは火種なんて持ってないよ!と自信を持って言える人がどれだけ居るでしょうか。一つ、しつこく繰り返させてもらいたいことがありますが、小林賢太郎の言った「ユダヤ人大量虐殺ごっこ」だって、あれはフィクション、創作劇の中の、不適切な事を言ってしまうキャラクター、が発した、おぎやはぎさんの言うところの「言ってはいけないこと大喜利」の「台詞」です。
これが火種になりうるなら、正直何でもありです。毒舌で笑いを取る芸人さんや、戦争を題材にした映画、人が沢山殺される推理小説、人体実験をしてゾンビが蔓延してしまったゲーム、ヤンキー漫画、etc・・・
お笑いにしても音楽にしても小説や漫画、ゲームにしても、その作り手たろうとする人で「何の問題も無いまーるくまっしろい作品を作ろう」なんて志す人は居ないと思います。その最初は、自分にしか作れない、強烈な個性がある、尖ったものを作りたい、と思うでしょう。
その世界に居続ける中で色んな事を学び、やがては角も取れてきて丸く白くなっていき、そんな中でも人の心を動かせる方法論や技術を身につけて問題のある表現等は減っていくんでしょうけど、尖ったものを志していたときには、そりゃあ「痛い」ことも多い事でしょう。
その中で、今だったらアウトな事は有っても不思議じゃないんじゃないかと。絶対無い!と言える人のほうが少数だと思います。
完璧な人間は居ません。有名人とされている人達は、自分の立ち居振る舞いには僕たち以上に気をつけているはずと思いますが、それでも問題発言、問題行動を起こしてしまう人は出てきます。その一つ一つは取るに足りないものだったとしても、世情と、タイミングと、その時のその人の持っているモノの大きさによっては、その「取るに足りない」何かが火種になって、誰かの悪意の放火の元炎上してしまう可能性がある、
小林賢太郎の問題はその証拠と言えると思います。
twitterだったと思います、どなたかの書き込みでこんなコメントがありました。
「23年も時間を遡らなければ攻撃材料が無かった小林賢太郎が誇らしい」
「今の小林賢太郎」を炎上させようとしても難しい事だったのでしょう。被災地支援や障がい者スポーツ支援に私財を投じている人格者、言葉の使い方が巧みな彼のインタビュー記事やコントでの台詞回しを見て、隙を見出すのは至難の業です。
だから「昔の小林賢太郎」に目をつけ、確信的に「今の小林賢太郎」と混同させて火をつけたんでしょう。
大昔の事でも時効にせず「今の事」と誤導させて攻撃する。それがまかり通る事例を作ってしまったのです。
今小林賢太郎を嘲っている人、小山田圭吾やDaiGo、河村市長を馬鹿にしている人も、いつ自分が好きな誰かが「攻撃される側」に立つか分からないと言う事を可能性があるかも、と考える事は大事だと思います。
正当な怒りによってその火種に対して物申す事は悪い事ではないと思います。しかし、良く知りもしない案件に対して面白半分に首を突っ込み、意見奉るのはきっと止めた方がいいです。その投げた球と同じ威力、スピード、硬さのモノが、自分の推しに当たって傷つける可能性がある事を頭の隅にでもおいておいて頂けると、世の中少しだけでも平和になるんじゃないかなぁ。
あと、炎上するのは何も有名人だけじゃないですしね。
あなた自身も炎上する可能性があるかもしれませんよ?
僕がtwitterとかで覗きに行っちゃう炎上してるアカウントって、半分くらいは有名人ではない一般人っぽいひとだったりしますしね。
武勇伝を書いたつもりが犯罪自慢になってたり、大真面目に書いた意見が科学的根拠ゼロで大反論をくらったり、書いてる事が矛盾だらけで馬鹿にされたり、他人の事を悪く言ったら過去の自分の発言を掘り起こされて「お前も同じじゃん」と言われたり。
軽はずみに相手を攻撃したツイートをした結果、攻撃相手が「とても苦しい思いをする結果」になってしまい、同情が集まったその人を攻撃したツイートをスクリーンショットされて拡散された結果炎上してみたりね。
自分はそんな後ろ暗い事は一切無い!絶対に攻撃されるような火種は無い!!と言う方。
最後に、僕のこんなエピソードを書いておきますので、ご一読ください。
わたくしこと、むらまさは、警察に捕まったことがあります。
今から17年くらい前のことでしょうか。新宿中央公園だったかと思いますが、そこの駐車スペースに車を止めて中でごそごそやっていたところ、二人組みの警察官に声をかけられ、任意ではありますが代々木警察署まで連れて行かれ、両手の指紋を全てスキャンされ、調書というのでしょうか、書かされてました。確か、「軽犯罪法違反」として処理されたのだったでしょうか。
では、僕が具体的に何をしたか。
刃渡り4センチのペーパーナイフを所持していた、です。
その当時、僕はアニメーション制作会社で働いておりました。制作進行、と言う肩書きです。テレビ番組のADさん、漫画家や小説家の編集者、みたいなのをミックスしたものだとイメージしていただけると近いと思います。
とあるテレビアニメのひと話数を担当してました。
30分モノのテレビアニメでは、大袈裟に言えば1話で約3000枚の絵が描かれます。今でこそ絵自体もコンピューター上で描かれるのかもしれませんが、当時はほぼ紙に描かれていました。それらの紙をカット毎の大きな封筒(カット袋)に入れたまま、作画担当のもとに持って行き、演出家のもとに持って行き、彩色をする人のもとに持って行き、撮影所に持って行きと、飛び回っておりました。
それらアニメの素材を各所に持ち込むにあたり、簡易ではありますが梱包をして自社名や相手様のお名前、これからやってもらう作業に対するお願いの一文などを添えておりました。カット袋はかなり大きなもののため、梱包と言っても別のまっさらのカット袋の上を切ってそこに他の使用するカット袋を差し込む、と言った程度のものです。しかし、切る為には当然刃物が必要なのです。普段は会社でその作業をしてますが、その時は特に忙しく、車中で梱包をしようと、ペーパーナイフを使ってその作業を行っていました。
そこを警察に見咎められました。
当然僕には後ろ暗いところは何もありませんので、余裕綽々で応じました。車内を見せてくれと言われたときも、一切恥じ入るところが無いのでお見せしました。
その際、ペーパーナイフが見つかりました。そりゃそうですさっきまで使っていたんですから。
それで僕は軽犯罪法を犯したものとして処理されました。
僕は警察署に連れて行かれないといけないような間違いを犯したでしょうか??何故警察は僕をわざわざ署まで連行して、僕を罪に落としたのでしょうか。
想像ですが、「犯罪行為と思って声をかけたのに、やっぱり何もありませんでしたでは自分達の威信に関わる」とでも思ったんじゃないでしょうか。
でなければ、サバイバルナイフでもない、日本刀でもない、ドスでも包丁でもなんでもない、刺したところで致命傷にもなりえないほど短いペーパーナイフでこんな事はしないと思うのです。
それより大分前ですが、オウム真理教が世間を騒がせた頃、信者が「カッターナイフ」を持っていたことにより銃刀法違反で捕まった事がありました。
公務執行妨害、と言う犯罪は、警察官が無理やり相手に体を押し付け、相手がそれに少し触れただけで「公防!」などと叫んで相手を拘束する事が出来るとんでもないものだったりしますし。
ペンは剣より強し、と言う言葉が好き、と僕は何個か前の記事に書いたんですが、それは必ずしも良い意味にだけなるものではありません。
どちらも強く、そして悪意を持って使えば凶悪な武器になってしまうと言うことでもあります。
警察の持つ「剣」、マスコミや、報道局、それに限らず僕らも使う「ペン」。
これらは相手を強烈に傷つけてしまう可能性を秘めた物騒なモノと化し得ます。
さて、僕はペーパーナイフ一つで罪に問われました。僕を炎上させようとすれば、その火種はあるということです。勿論僕みたいな人間を意図的に燃やそうとしても「燃料が足りない」のでどうにもならないと思いますが、何かの弾みで僕が有名人にでもなったとしたら、何か大きな冠を貰い、それを不快に思う人が居たとしたら、それが燃料となって「軽犯罪法違反」の火種で炎上するかもしれません。
今、工事現場で働く人間になってますが、車の中には仕事で使うナイフ、ノコギリ、ハンマー、電動カッター・・・。沢山の危険な道具が載っています。おそらく、警察が「むらまさという人間を捕まえたい」と思えば、即それは実行に移せると思います。
では、新しい包丁を買って職場に持っていく料理人は?趣味で模造刀を店頭購入し持って帰っている人は?
家で紙を使った遊びをするためにペーパーナイフを買った人は…。
誰かに「悪」のレッテルを貼るのは、強い「剣」や良く色の付く「ペン」を持っている人にとっては非常に容易い事なのです。
あなたは、絶対にひとつも火種を持っていない人間で居られますか??
推しどころか、次に炎上するのはあなた自身・・・の可能性もあるかもしれません。